第14話 恐怖

 繰り返し訪れる旅先で、彼は同じ人物として現れることもあれば、別の人物として現れることもあった。


 クラスメイトとして隣の席に座っていたかと思えば、実習生として教壇に立っている。

 七五三のお神酒を共に舐めていたかと思えば、祭壇にむかって大幣おおぬさを振る宮司になっていることもあった。


 年齢もばらばらだった。

同じ旅先の中で、複数回別々の人物として現れることも多くなった。


 紗和は混乱した。

彼の姿を記憶の中で目撃したその瞬間は、「またか」と思うのに、旅行から現実へ戻るころには、本来正しかったはずの記憶を思い返すことができないことが増えた。彼がその場所にいたことが、本来の記憶であると思い込みそうになっているのだ。


 それは恐ろしい勘違いであると、紗和は辛うじて把握できていた。

記憶が書き換えられていく恐怖を感じつつ、その恐怖さえ感じなくなった時が、真の恐怖から逃れられなくなった瞬間なのだと、紗和は覚っていた。



***



「最近は、旅行に行かないんだな」


 輝くメダカの背を目で追っていた紗和は、顔を上げて健人を見た。テーブルに置いた彼のビール缶が軽い音を立てる。


「行ってないだろ?」

「うん」


 良く分かったねとは言わなかった。紗和は頷いただけだった。


「あんまり過去を考えてばかりなのは、いけないかなと思って」

「なんだそれ」

「未来に目を向けなきゃ」


 冗談めかして笑ったはずだが、紗和の思惑に逸れて、健人は心配そうな顔を向けてきた。


「夏に地元に帰ってから、少し変だ」


 口を噤んだ紗和の頬を、健人の手がふわりと撫でた。


「何かあった……? いつも一緒にいるし、何か変わったことがあったとは、思えないんだけど……」


 真剣な目の中に、紗和のことを切実に心配する感情が読み取れた。


――どうしよう


 打ち明けたい気持ちと、黙っていなければいけない強迫観念のような謎の思いが、紗和の心に生じていた。

相反する二つの思いがぐるぐるとせめぎ合っている。


「紗和が辛そうなのは嫌だ」

「健人……」

「前みたいに、もっと笑ってほしい」

「……」

「俺に何ができる? 頼ってよ」

 

 抱きすくめられ、顔を胸に押し付けられた。心地よい圧迫感と、馴染みきった体臭に包まれる。絆されるように、健人の腕の中で紗和は言葉を紡ぎ始めた。


「追いかけてくるの……」

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