第5話 ベビーカー
「覚えている一番古い記憶って、いつの?」
カシャリ、というシャッター音に振り向いた紗和に向かって、ファインダーを覗いたまま健人が問いかけた。
「ベビーカーの内側にいたのを覚えてるよ。多分それが一番古いかな」
「ベビーカー? 赤ちゃんの頃ってこと?」
「うん」
カメラから顔を上げた健人が目を丸めている。紗和はふふ、と笑ってから続きを話した。
「私が赤ちゃんの時乗せられてたベビーカー、日避けが水色なの。布目から見えるお日様の光がキラキラしてて、水色がすごく鮮やかで、とても綺麗だった。あんまり綺麗で気に入ってたから、ずっと見ていたかったんだろうね。母が、『あんたはベビーカーの中で全然眠らない子だった』って言ってたよ」
「そんなに細かいことまで覚えてるのか」
「だけど赤ちゃんの頃の記憶は、これだけ。次は三歳の七五三の時に舐めたお神酒が、すっごく苦かったなぁって記憶だから」
二人は東屋のベンチに腰掛けた。
八月の容赦ない日差しが降り注いでいたが、今日は湿度はそれほど高くない。日陰には心地よい風が吹き込んできた。
「いい写真撮れた?」
カメラの液晶モニターを二人で覗き込み、今しがた撮れたばかりの写真を眺めていく。
「花が多くて、綺麗な公園だ」
広い花壇一杯に咲き誇っているのは、大振りな向日葵だった。
「もう少し早い時間に来ると、池の蓮の花も開いてるんだよ」
「へえ。綺麗だろうな。ここにもよく遊びに来たんだ?」
「うん。今の町に引っ越す前まで、この辺りに住んでいたから」
大学の長い夏休みを利用して、二人は紗和の記憶旅行の定番スポットを巡回するツアーを実行に移していた。
拠点とするのは紗和の実家なので、宿代はかからない。母の軽自動車を借りて連日様々な場所を訪れ、写真におさめていた。
「県内で結構引っ越ししてたんだな」
「今の家を買うまで、父の職場に近い場所を点々としてたんだって。県内転勤の多い仕事だから」
そんな理由から、紗和の脳内旅行先は様々な土地に点在していたのだ。移動距離が遠い場所からスタートして、明日はいよいよ実家のある町内のスポットを回る予定である。
「さすがに紗和が乗ってた、水色のベビーカーはもう残ってないよな」
思い出の場所の現在の景色を写真に収めようと提案したのは、健人である。彼の趣味はカメラだった。大学でも写真部に所属している。
「あのベビーカー、従兄弟二人が使った後のお下がりだったらしいから。私が乗せられてた頃も、相当ガタがきてたみたいだよ。一歳になる前にタイヤが外れて、壊れちゃったんだって。あ、でも」
パンと手を合わせて、紗和は目線を上げた。
「写真は残ってたと思うよ。家に帰ったらアルバム見てみる?」
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