第4話 砂の城
「この間も話したでしょう。お母さんと弟と三人で、海に出かけた時の」
「ああ。あの話か」
「うん」
たった今トリップしていた旅行先について、紗和は話していた。健人にとっては初めて聞く旅の話ではない。
「波打ち際で遊んでた弟さんが、波にさらわれて大変だったんだよな」
「そうそう」
あの時、まだ三歳だった弟があっという間に大きな波にさらわれて、浮き輪ごとひっくり返った状態で流されたのだ。
母の悲鳴と、着衣のまま海の中へと走り込む中年男性の背中が脳裏に蘇る。
「弟さん、無事で良かったね」
「うん」
周囲の大人がすぐに気がついて、助けに走れたことが幸運だったのだ。弟は事なきを得て、今では健康な中学生だ。本人は当時のことは覚えていない。
あの出来事以来、母は一人で子供二人を海に連れて行くことは絶対にしなくなった。
「そういえばその時ってさ、紗和は海に入ってなかったの?」
「うん。私はずっと砂浜で遊んでたの。浮き輪は弟の分しか持ってきてなかったし、游ぐ気分でもなくて」
そういえば前回健人にこの話をした時は、自分に焦点はあてていなかった。
「きっと母にとっては、嫌な思い出だろうね。でも私は楽しかったんだよ。あの日の浜遊び」
だからこそ、この季節に限らず度々旅先に選ぶのだ。
「一緒に遊んでた子がいたの。とっても楽しくて」
「そうなんだ」
あの日の浜は、海開きが済んでいたのにも関わらず、人がいなかった。天気も良く、海水浴日和だったはずなのだが。母がそのことを意外そうに指摘していたことも覚えている。
『全然人がいないね』
誰かしら知り合いに会うだろうと考えていたのは、母だけではない。紗和も友達の姿が全く見当たらないので、つまらないなぁとがっかりしたものだ。
「釣り人がちらほらいるだけ。でも、いつの間にか一組の親子がやってきてた」
大きな砂の城を作ることに集中していた紗和は、彼らがどの方向からやってきたのか記憶していない。ただ気づいたら、紗和のすぐ隣から砂を掘る音が聞こえてきて、顔を上げると見知らぬ少年がいたのだった。
「見かけたことがなかったから、多分違う学校の子だったんだろうな」
全くの初対面であっても、子供同士が打ち解けるのに時間はかからない。遊びが介入している場合は、なおさらである。
いつの間にかああだこうだ相談しながら、二人は立派な堀で囲った砂の城を作り上げていたのだった。
「楽しかったなぁ。あんなに綺麗に砂のお城作れたの、あれっきりだよ」
城が完成して、さてこれから堀の中に水を入れてみようとした頃だった。母の悲鳴が辺りに響き渡り、少年の父親と居合わせた釣り人が浜の上を走っていく姿が見えた。
「弟はギャンギャン泣くし、母も動転したまま半泣きだし、どうしようって困って。とにかく帰ろうよってなんとか宥めて……帰る時にあの子に挨拶しようと思ったんだけど、もういなくなっちゃってたんだよね」
また一緒に遊ぼうと、約束を取り付けたかった。折角腕のいい砂遊び名人と知り合えたのに。名前すら聞き忘れていた。どうして何も質問しなかったのだろうと、その後紗和は散々悔やんだものだ。
「あれから海に遊びに行く時は、いつも探してみたんだけどね。とうとう一度も会えなかった」
「たまたまその日、遠くから遊びに来てただけだったんじゃないのか」
「そうなのかもね」
紗和の地元は観光地でも何でもない、海に面した田舎町である。海水浴場として整えられた浜にも、オンシーズンであってもあまり人は集まらない。見知らぬあの少年がいれば、すぐに紗和は見つけられたはずなのだ。
「そうだ」
良いこと思いついた、と健人が声を弾ませた。
「夏休み、紗和の定番の旅先を実際に巡るツアーをしないか」
「ツアー?」
「紗和の地元に連れて行ってよ」
「本当にど田舎だよ? なんにもないよ」
謙遜しつつ、紗和の胸は踊り始めていた。言葉通り何もない過疎の町だが、地元は嫌いではない。
健人と共に思い出の場所を歩くことは、きっと楽しいだろう。もしかしたら将来の脳内時間旅行の、新しい旅先開拓にもなるかもしれない。
「カメラ持ってさ。沢山写真撮ろうな」
紗和は髪の上を行ったり来たりする、健人の手櫛を感じていた。うん、うんと頷いているうちに、空は少しずつ白んでいった。
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