第3話 中途覚醒

 衣擦れの音と、胸元までかかったタオルケットを引っ張られる感覚に目を覚ます。

 カーテン越しに見える光はない。まだ夜は明けていないようだ。


 顔のすぐ横から、深く吐き出す寝息が聞こえた。健人けんとの背中が規則正しい呼吸と共に上下している。彼が寝返りをうったので、二人を覆っていたタオルケットが紗和の身体を引っ張ったのだろう。


「喉乾いた」


 独り言を呟きながら、ベッドから起き上がる。単身者用の小さな冷蔵庫を開け、紙パックの注ぎ口を開いた。

 喉から身体の末端へと、麦茶の冷たさが行き渡っていく。次第に思考がはっきりとしてきて、目も冴えてきた。


 網戸をスライドさせ、ベランダに出る。月が明るい。


 足元の小さな睡蓮鉢を覗き込んだが、水草の黒ばかりが目に入って、白く輝く姿を見つけることは出来なかった。水のはられた鉢の中には、数ヶ月前まで働いていたペットショップから譲り受けた、ラメメダカが住んでいる。


「……紗和?」


 ベッドから、呂律の周りきらない声が聞こえてきた。


「喉乾いちゃって」

「今何時だ?」

「まだ夜中の三時」


 再び寝床へと戻った紗和の身体に腕をまわしながら、健人は大きな欠伸をしている。


「暑い?」

「大丈夫」


 窓から入り込んでくる夜明け前の風は、柔らかく涼やかだった。もう半月もすれば、熱帯夜が続くことだろう。夜半でも冷房をつけなければやり過ごせない季節は目前だった。


「麦茶の味がする」


 紗和の口から唇を離して、健人が笑った。


「俺も飲んでこようかな」


 言いながら再び唇を寄せ、紗和の上に覆いかぶさってきた。


「飲まないの?」

「後でいいや」


 言動の矛盾を指摘した紗和に笑いながら、健人の手は恋人の寝巻きを捲くり上げていた。


 バイト仲間だった健人と付き合い始め、名前で呼び合うようになってから四ヶ月余り。二人共一人暮らしをしていたこともあり、どちらかの部屋で夜を明かす生活が続いていた。

どちらのアパートからでもお互いの大学に近いので、二人とも不便を感じることもない。



***



「何考えてるの」


 一通りの情交を終え、すっかり呼吸も整っている。二人共微睡むことなく、二度寝なしで朝を迎えそうだった。


「今はどこに飛んでた?」


 クスクスと笑う健人の声は楽しげだ。紗和はすっかり心を許している恋人に、短く答えた。


「地元の海」

「いいな、海」

「もうすぐ夏休みだからかな。最近よく海に行くんだ」

「リアルでも行きたいな」

「そうだね」


 紗和の脳内時間旅行のことを、健人はすっかり知っている。

付き合って間もない時に何気なく紗和が話したところ、「変な趣味だな」と言いつつ、興味深そうに耳を傾けてくれたのだった。


「何歳の時の海に行ってたの?」

「小学校二年生の頃」

「よく覚えてるよな。俺、その頃は毎日友達とゲームやってたことしか覚えてないよ」


 自覚はなかったが、時間旅行をしている時、紗和は特徴的な表情を浮かべているらしい。そんな時、健人はすかさず「今は何年前に出かけてたの?」と質問してくる。今まで誰かにそんな指摘をされたことがなかったので、驚きつつ、変わった趣味を共有できる相手ができて紗和は嬉しいのだった。

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