第3話
「それで、その後どうなったんだ?」
「
俺は思ったより長い話を聞き終わり、伸びをした。
すると、近くにある書棚の奥から見覚えのある人物が顔を覗かせこう言った。
「やっほーです、先輩方」
俺は呆気に取られ固まった。
栗色のベリーショートな髪、快活な幼顔と薄焼けの肌を持つ女子。
「夏希・・・・・・お前まさか盗み聞きしてた訳じゃなかろうな?」
「そ、そんなつもりじゃありませんよ? ほら、よく言うじゃないですか、壁に耳あり、本棚にメアリーって」
「言わない」
ハァ、と軽く溜め息をついた。ポカンと目を丸くしている潮に向き直り
「すまん、こいつは嵯峨野夏希。今年から入った一年生で、中学からのよしみだ」
「かわいい後輩です!」
「は、初めまして、潮真衣です」
潮は夏希をじっと見つめている。まあ、こいつは妙ちくりんの類だから分からなくもない。
閑話休題。
「それでー・・・・・・何の話だっけ?」
「三紙君はこの話どう思う?」
「どう思う? うーん、漫画みたいな話だなとは思ったけれど」
潮は少し神妙な面持ちで「例えばヒスイマオちゃんの特殊能力? みたいなものとか、暗号の話とかさ・・・・・・やっぱり変かな? 」
要領を得ない問に俺は首を傾げる。どういう意味なのか皆目見当もつかないが、俺はきっぱりこう言った。
「いや? だって別に現実的に有り得る話だし」
「そうですね、別に変なことじゃありませんよ」
夏希も俺と意見が合致しているようだ。
「それは共感覚という知覚現象だ」
ああーっ、と潮は小声を洩らしながら手を合わせた。
共感覚とは、一つの刺激に対し異なる感覚が生じる現象である。例えば、味や匂いに色や形を感じたり、言葉や音に味を感じたりする。
「これは想像だが、その子は他者の感情の機微に敏感だった。人は誤魔化す時に何かしらの反応を示すものだ。それを色の変化として認識していた」
だが、それを知りたくて潮は懇切丁寧に思い出を語ってくれたのだろうか? 何か、本質からズレていっているような、そんな違和感を感じていると、隣に座る夏希が口を開いた。
「それよりも暗号ですよ!」
その言葉に潮はハッと我に返り「そ、そう、それそれ。三紙君、暗号に強かったりする?」
そう言うと、潮は俺のノートを拝借するやいなや、その暗号文を書き始める。
「凄まじい記憶力ですね、潮先輩」
「ま、まあね」
書き終わり、ノートが返却された。目を通してみる。
b2b3b3g1e1d4h1
a2d2e3f3g3g2b3a4h1
a2=Iである。c4以降繰り返し。
鍵:薔薇狂いの皇帝の命日
確かに夏希の言う通り、これを覚えていられるのは、少し狂気じみている。
「どうかな・・・・・・?」
「期待している所悪いが、俺は暗号解読は得意じゃない」
少し語気が強くなってしまった。潮は少ししょんぼりと顔を曇らせる。
俺としても、ここは強く言っておきたかった。期待され、結局解けなくて「まあ君みたいな奴には難しかったかな?」とか、「当てが外れた」とか、そう思われては癪だ。
「とか言っちゃって、本当はこういう話好きじゃないですか先輩〜」
そう言って、夏希はニヤニヤしながら、人差し指で頬をつついてくる。
俺はそれを片手で防ぎつつ「まあ、考えてはみるけど」と、ぶっきらぼうに言った。
瞼が視神経に伝わる光情報を遮断し、暗闇に包まれている。腕時計の長針が分を刻む音が聞こえるほど、室内は静まり返っている。
意気込んだはいいものの、解読は難航している。
「あ、アルファベットの隣には必ず何かしらの数字が付いてますよね?」と、夏希が口を開いた。
「そうだな」
「数字は、そのアルファベットがズレる回数を示しているのではないでしょうか! 例えばb2ならDとか」
「それではa2=Iはどう説明するんだ? その説だとa2はCだろ」
「あっ・・・・・・」と、呟いた後暫く考え込んでから「じゃあ、何かの数式? 全部小文字だし。a2=Iではなく、a2=1 とか!」
「余計に意味不明だ。まあ、最初の案は俺も考えたけどな」
うーん、と二人揃って唸ると「あの──」と、潮が何かを言い出そうとした瞬間、夏希が遮る。
「この鍵って部分がミソなのでは? 薔薇が大好きな皇帝ってあの人ですよ」
「というと?」
「ローマ帝国の皇帝ネロですよ」
む、これはなるほどと言わざるを得ない。確かに、ネロにはそんな一面があったなと思い、スマホを取り出して検索をかけた。
「命日は六月九日らしいぞ」
「じゃあその、六と九がヒントになりますと」と、得意げに夏希は腕まくりしたが、そのまま固まってしまった。
一瞬何かが引っかかった。バチッと頭に火花が散ったような感覚。とても大きな見落としがある。
俺は口元を覆うように手を当て、潮の話を細かく思い出す。
「そうだ、この暗号は問題文だけ見ては解けない。いや、暗号だからこそ部外者が解くことは出来ない」
「どういうことですか? 先輩、もしかしてギブですか?」
俺は
「潮、確認したい。お前本当に解けていないのか?」
潮は怪訝そうに「え?」と、答える。
「まあそれはいいか──」俺はそう言うと、静かに立ち上がって参考資料を探しに出かけた。
幸いここは図書館だ。山のように資料が転がっている。十分もかからない内に目当ての本を二冊適当に引っ張り出した。
戻ってくると夏希が「先輩、その本は?」と訊いた。
俺は二冊のうち一冊を机にそっと置いた。それは、愛らしい装丁の花図鑑だ。
「まず前提に、この暗号は黛君が書いたと仮定する。そこで夏希、お前は暗号ってどんなイメージがある?」
「私ですか? そうですねぇ、簡単には解けないように規則性を変えてメッセージを隠す方法って感じです」
俺は「うんうん」と相槌した。お前はなまじ頭が良いところがあるからな、そう言ってくれると思った。
「悪くない答えだが、重要なところが欠けている。メッセージというのは伝わらなければ意味が無い。つまり、メッセージを受け取る特定の誰かにとっては、簡単に解くことができる」
「その特定の誰かというのは、誰ですか?」
「ヒスイマオさん」と、俺はそう言いながら花の図鑑を開いた。
そして、とある頁で手を止める。アヤメ科、アヤメ属。学名 Iris sanguinea。
「菖蒲の花言葉はメッセージや良い便りと書かれているな。ヒスイマオさんが菖蒲を模した折り紙を受け取ったということは、この暗号は彼女に向けてのメッセージということになると考えられる」
「花言葉ですか! あ、でもそれじゃあヒスイマオさんにしか解けないってことですか?」
「いや、そこが彼の誤算だった。ヒスイマオさんに向けての暗号だと分かれば、実は近しい人間にも解ける仕掛けになっている。現に俺ですら解けた」
「えっ!?」と、夏希と潮は声を揃えて驚嘆した。
仕上げだなと、心の中で呟いたその時、俺の頭には別の考えがよぎった。疑問、疑念、猜疑。
この暗号は初歩的な部類だ。黛という人物の事は詳しくは知らないが、せいぜい中学生が考えたものだ。俺ですら解けたこの暗号が、俺より頭が良いはずの潮が解けないのは納得がいかない。
それだけでは無い。この話は妙に引っかかっることが多い。それは何だ? 考えろ、考えろ、考えろ・・・・・・。
「それでそれで──先輩? 顔が怖いですよ?」
「ん、ああ・・・・・・それで次はこれだ」
俺はもう一冊の本を机に並べた。それはチェスの入門書である。
「潮の話を思い出したら、ピンと来たんだ。この英数字の羅列はチェスの盤面を表している」
俺は入門書を手に取ると頁をめくった。棋譜のつけ方などが書いてある頁を広げて二人に見せた。
盤面の図が載ってあり、マス目にa1やb1など、英数字が割り振られている。
「うん、確かに彼は将棋とかチェスとかのボードゲームが好きだったし、有り得ると思う」と潮が言うと俺は小さく頷く。
「そして、a1からアルファベット順に対応させるとa2はIになる」と続けて「次にc4以降繰り返しの部分。アルファベットは全部で二十六。だから二十七番目のc4はaに戻るって意味だ」
説明が一区切り着くと、予想通りの反応が来る。
「うーん、でもそれじゃあ最初の一文はJRRGEBH・・・・・・と、ちょっと成り立ってないと気がするけれど」と潮は申し訳なさそうに言った。
「確かにそうなるな。そこで鍵だ」
「ネロの命日ですか?」
「ああ、六月九日。潮、何か気づかないか?」
俺がそう訊くと「思い出の日・・・・・・だよね?」と答えた。
「どういうことですか?」
「六月九日は潮、ヒスイマオさん、黛君、清水君・・・・・・だっけ? その四人で遊びに出かけた日だ」
「えーっと、映画を観たんでしたっけ?」
「お前、本当にしっかりと盗み聞きしていたんだな」
わざとらしく咳き込み、本題に戻す。
「映画、タイトルは『涙の味 シーザーサラダと3つの愛』。観たことは無いが、中身は重要じゃない。ヒントは題名にある」
ノートにタイトルを書き上げ、「シーザー」と「3」の部分を丸で囲んだ。
「シーザー暗号って知っているか? 古典的な換字式暗号だ」
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