第2話

 芒種。日が陰り寒々しい空とは裏腹に、妙な生暖かさが鼻につく。さりとて、学校生活に大きな変化はなく、尋常一様である。 

 ただ、何か変わったことがあるとするならばと、潮はマオを見やる。マオは黛を遠くから観察している。

「またやってるよ、あの子」と呟く。 

 マオは黛がどうしても気になるらしく、時に遠くから、時に後ろをピタリとつけたりと、傍からみたらストーキング紛いのことをしている。というのも中々話しかけられないのである。 

 まあ、気になる理由を本人に打ち明けたところで、相手も困りものだろう。 

 放課後、潮はマオに「もう思い切って話かけたら? 大丈夫だよ、黛君優しそうだし」と、話を振った。 

 マオはガックリと項垂れる。「一度だけ話しかけてみたんだよ・・・・・・」

「そうなの?」 

 初耳だったらしい。

「うん、でもラブレターのこと聞いても、『風が運んできたんじゃない? それか書いた本人が拾ったとか。分別過ぐれば、愚に帰るってね』とかなんとか言って」

「ま、まあラブレターのことはもういいんじゃない?」

「うん・・・・・・でも、最近黛君を見てて、何となく分かったことがあるの。黛君、凄く寂しそうで笑顔がとっても冷たくて」

「そう? 私には明るくてみんなの輪に溶け込んでる感じに見えたけど」

「零がどうかしたの?」

  二人は第三者の声に驚き、肩をぴくっと上げる。

「あ、清水君。もう、驚かせないでよ」と、潮は言った。   

 清水優太しみずゆうた。中性的な顔立ちで、男女問わず分け隔てなく接する、気配り上手の優男だ。

「ごめんごめん。で、何の話?」 

 マオはあたふたしながら「何でもない何でもない!」と、猛烈にアピールする。しかしながらそれは、何かある時の反応でしかない。

「ははーん、なるほどね。ヒスイさんは零のことが気になってるんだ」「ん〜・・・・・・間違っては無いけど、そういう意味じゃ無いというか」

「みなまで言うな。僕、去年零と同じクラスだったんだ。だからそれなりに仲良いよ」   

 仲が良いから何なのだと訝しむ二人。

「だから、今度の休みに遊ぼうって誘ってみようか?四人だったら気まずくないでしょ?」 

 怒涛の勢いに気圧される。ただ、これは千載一遇のチャンスかもしれない。「確かに妙案かも。私は良いけど、どうする?マオ」

「うぅー・・・・・・」と、唸ったあと「御願います」と、モジモジしながら答えた。


 六月九日。それなりに晴れてはいるが、快晴というには空々しい天気。 

 矻甲くちきのえ駅の駅前広場。集合時刻より十分程早く到着した潮は、行き交う人々を眺めながら、考え事をしていた。 

 男女で休日を過ごす──平たく言えば、年相応に遊びに出かけることは、潮にとってあまり経験の無いビッグイベントだった。 

 清水の提案を聞いた時、背伸びして「私は良いけど」なんて、あっけらかんと言ってみたが、内心緊張しているのだ。 

 ちなみに何をするのかと言うと、映画を見に行くのである。 

 雑踏。 

 ソワソワしていると、駆け寄ってくる人物が目に入る。マオだ。

「おはよー」

「真衣ちゃん、おはよう」と言うと、胸に手を当てながら息を整える。 

 自分よりも緊張しているマオを見て、クスクスと笑った。

 程なくして、黛と清水も合流した。さっそく四人は目的地へ向けて出立した。まあ、約七分弱で着く程度の距離だが。 

 老舗の映画館に到着し、チケットを四枚購入する。高校生以下は九百円になる。 

 四人が見る映画は『涙の味 -シーザーサラダと3つ愛-』という、近日公開された邦画である。 

 あらすじ──料理人を志す主人公は、不幸にも幼くして両親を失う。心を閉ざし悲しみから逃れるように腕を磨き続ける。  高校生になった彼は、ヒロインとその一家に出会う。ヒロインの母が難病で倒れた事をきっかけに、主人公はその家族の為に夕飯を振舞う日々が始まる。  家族の温もりとは何か、母親の味とは何かを知るヒューマンドラマである。

 映画を見終わり、四人はファミレスで昼食を食べながら、映画の感想を語っていた。潮とマオは号泣したようで、熱が入る。 

 昼食を食べた後は、ボウリングやショッピングをして解散となった。その日を境に、マオと黛は普通に話せるようになった。   

 

 ある時、マオは黛に「色」が見える事を打ち明けた。

「ふうん。僕だけ無色透明か・・・・・・そりゃ気になるわけだ」

「うん。でも、結局何も分からなかったな」  少し間を置いて「もしかしたら、上辺だけで生きてるからかもね」と、空を仰ぎニヒルな笑みを浮かべながら言った。

「僕の親、医者なんだ。それで小さい頃から、お前も医者になれって勉強して勉強して・・・・・・」 

 声のトーンがどんどん落ちていく。言葉に潤はなく、無味乾燥としている。

「でも、ずっと成績は普通。みんなやりたいことやってて、一番足の速かった奴は将来サッカー選手になるって夢中でさ。漫画家になるとか、歌手になるとか・・・・・・」 

  マオは口を噤んだまま聞いていた。

「あの映画、面白かったよな。あの映画の主人公みたいに、僕も料理人になりたかったんだよ。でも、いざそれを親に言ったらたれた」

「酷い・・・・・・」

「その日から僕は、怒鳴られようがヘラヘラ笑って、他人を羨むことなく、我を出さず、欲を出さず、本音をしまって笑うだけ」 

 マオの目から涙が溢れ頬を伝い、雫となって乾いた地を湿らせた。そこでようやく自分が泣いている事に気がついた。 

 黛はそんなマオを見て、ハッと息を飲んだ。

「どうして君が泣くんだい?」 

  嗚咽混じりに「だって!・・・・・・だって、まゆ、黛君は泣かな、いでしょ? だからかわ・・・・・・り、代わりに、私が泣いてるんだよ・・・・・・」と、子供のように必死に言葉を繋ぐ。 

 当惑し、どうしたら良いものかと狼狽えた。そして、カバンからポケットティッシュを差し出して「その・・・・・・なんかごめんよ。じゃあ僕そろそろ──」と、言って立ち去ろうとしたその時、ギュッと服を捕まれ引き止められる。

「・・・・・・・・・・・・」 

 これは参ったと黛は思った。

「突然なのだけれど、ヒスイは将棋できるか?」 

  マオは首を横に振った。

「じゃあ、チェスは?」

「・・・・・・少し」

「今度一戦やらないか?」

「・・・・・・やる」

「よし、じゃあその時にでもまた話そうよ」

「絶対だよ」 

 そう言うと、マオはゆっくりと手を離した。


 笛の音が響き、潮は地を蹴った。徐々に加速し、白線に辿りつくと同時に腕を引いて姿勢を下げた。瞬間──跳躍し、砂場に着地した。

 さっきよりは伸びたかなと確認し、踵を返した。

 順番待ちの最後尾にいるマオに話しかける。

「最近どうなのよ、黛君と」

「え? 別に、普通と言うか何と言うか」と歯切れ悪く答えた。

「二人っきりでよく会ってるでしょ、何話したりするの?」

「何で知ってるの?!」

「あ、本当にそうなんだ」 

 一本取られたマオはへそを曲げた。

「ゲームしながら雑談してるだけ。黛君の家って窮屈だから、気晴らしの相手になってくれだって」 

 おおーっ、と意外な進展ぶりに目を輝かせた。 

 ふとマオはグラウンドの向かい側を見た。男子は槍投げをしている。ポリエチレン製のトレーニングジャベリンが放物線を描いた。 

 丁度、黛が投げる番になる。  黛は軽い助走をつけ、短くステップを踏んで投擲した。 

 ──しかし乱暴に、腕の力だけで放ったそれは、矢のように直線を描き──そのまま下降した。 

 運動が不得手という訳でない黛にしては、些か乏しい結果である。

「よーし、片付けて集合しろー」 

 教師の呼びかけが聞こえ、各自撤収を始めた。


 翌日、潮はいつも通りの時間に目覚め、身支度を済ませて家を出た。学校に到着し、教室に入った瞬間、妙な騒がしさを感じた。 

 数名が背面ロッカーの所に集まって何かを見ている。何だろうと様子を伺っていると、マオが寄ってきて「ねぇ真衣ちゃん、あれ見てよ」と指を指した。指し示された先を見てみると、ロッカーの上にある小さな黒板。その黒板には謎めいた文字列が並んでいた。

b2b3b3g1e1d4h1

a2d2e3f3g3g2b3a4h1


a2=Iである。c4以降繰り返し。


鍵:薔薇狂いの皇帝の命日


 意味不明。しかし、何かのメッセージなのではと潮は徐にメモをとる。

「あ、それとね」 

 マオは手に持っていた物を机の上に置いた。それは折り紙だった。紫色の花びらに、緑色の茎がついている。

「折り紙だね。菖蒲かな? で、これがどうしたの?」

「私の机に入ってた」 

 首を傾げる。 

 自分で折った訳ではない。誰かがそれを作ってマオの机に入れたのか。 

 外では雨が降り出し、風に煽られた雨粒が窓を叩いた。


 休み時間、マオは黛を掴まえてこう訊いた。

「アレって、あの暗号みたいなやつって、黛君の仕業?」

黛は唖然としたが、直ぐに笑って「はは、僕じゃないよ。ヒスイよりも遅く学校に着いたんだしさ」と答えた。 

 マオは黛を瞳で捉え続け「じゃあこれも?」と言いながら、折り紙を見せる。 

 少しの間。

「知らないよ」と、顔を背けそう言った。 

  ──マオはこの時初めて、黛の「色」を視認した。スカイブルー、今にも消えて無くなってしまいそうなくらい透き通った青。淡く、ほろ苦い、そして切ない──そんな青だった。 

 マオは知ってしまった。自分が目の前の男に惚れてしまっていた事実を。

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