鈍色と嘘

@apri_lfool

第1話

 こんな話がある。聡明で碩学せきがくなメアリーという少女は、生まれてから一度も色を見たことが無いという。白黒の部屋で育ち、白黒のテレビで世間を知り、白黒の本で知識を得る。 

 彼女は視覚に関する神経生理学の専門家であり、何でも知っている。可視光の特性、眼球と網膜の構造、人がどのような時に「赤い」や「青い」という言葉を使うのか──など、色や視覚にまつわる情報を全て理解している。 

 そこで、メアリーは初めての外出を試みた。極彩、宙を仰ぐ。透き通るような、噎せ返るような青を見た時、彼女は何か新しい事を学ぶのだろうか?

「月並みな事を言ってしまえば──」と、話が一段落着いたタイミングで、俺は言葉を挟む。

「新しい事を学ぶんじゃないか?」 

 在り来りで、実に俺好みでは無い発想だが、あえて奇をてらうような事は無粋極まりない。

「意外だね。三紙みかみ君ならひねくれた回答をすると思ったけれど」   

 潮真衣うしおまいは微笑みながらそう言った。

「ちなみに、どうしてそう思うの?」

「どうして⋯⋯そう訊かれると弱いな。まあ、ただの想像だよ。人は主観的存在だからな」 

  潮が首を傾げる。それっぽく遠回しな言い方をしてみたが、返って仇となった。理路整然とした説明を求められている訳だが・・・・・・生憎、大した理屈を持ち合わせていない。

「つまり、『 知る』ことと『 経験』することは違う。『 経験』することで生まれる感情の起伏とか、形容しづらい感覚が芽生えたりとか。そう確か⋯⋯クリオネだったかクロアチアだったか」

「──クオリア」 

 澄んだ声が耳に届く。潮は柔和な表情で「なーんだ。知ってたんだ」と続けた。

『 メアリーの部屋』。所謂、思考実験という奴だ。

「ところで潮は、どうして図書館に?」

「別に?暇だったから立ち寄っただけだよ」 

 暇潰しに図書館に寄る女子高生とは、これまた奇特なお方だ。たまに来る分には俺もやぶさかではないが、恐らく頻繁に通ってるのだろう。かくありたいものだ。 

 こうして公立図書館に足を運んだ理由、それは課題を片付けるためだった。時刻は午後一時過ぎ。それから約一時間経過し、大部分が終わったところで休憩を挟んだのであった。寛いでいると、去年同じクラスだった潮と邂逅かいこうした訳で、四人掛けの机に向かい合う形で座り、こうして雑談に興じているのである。 

 もっとも、俺と潮はそこまで親交が深い間柄では無い。 

 潮真衣⋯⋯パッと見は大和撫子な印象がある。ミディアムストレートな髪、今日はラフなベージュのカーディガンに落ち着いた花柄のロングスカートだ。

「それにしても真面目だね三紙君。図書館で勉強してるなんてさ」

「逆だよ逆。不真面目で怠け者だから、溜まった課題を前にして、尻に火が付いてる。火を見るより明らかだと思わないか?」

「もしかして駄洒落⋯⋯?」 

 小さく笑みを零す潮を横目に、書棚を隔てた先にある大きめの窓に意識が向いた。畳二つ分程並べた窓に白木蓮が顔を覗かせ、風とワルツを踊った。

「私はそういう所、良いと思うよ」

「え?何が?」

「話しやすいって事。普段近寄り難いから尚更──ね」 

 そういうモノかね。


 沈黙しじま

 俺は課題の仕上げに取り掛かり、潮は本を読み耽っている。何を読んでいるのか表紙とタイトルを盗み見たは良いが、シンプルな装丁をしている程度の事しか分からなかった。

 ふと、何かを聞こうとした事が頭をよぎった。目が泳ぎ、記憶を辿る。意味記憶⋯⋯いや、エピソード記憶だろう。

 漸く思い出し「そう言えば」と声が漏れる。

「なんで急にメアリーの部屋を持ち出して来たんだ? 大した理由が無ければ別にいいけど、単純に疑問で」

「あー⋯⋯」と釈然としない返答。凪が訪れたような違和感。

「別に込み入った話じゃないけれど、昔の友達を思い出してさ、不思議な子が居たなーって」

「不思議な子?」

「うん。今更になって気になったことがあるっていうか⋯⋯」 

  言い淀んでいるのか、あるいは躊躇いなのか、煮え切らない様子を鑑みるに、何か話しづらい事情でもあるのだろうか?

「私が中学生の時の話でね、ヒスイマオちゃんって子が居たの。大人しくて、華奢な──どこにでもいる普通な子。でも一つだけ変わったところがあって、『 他人の嘘と本当を確実に見分ける力』を持っていたの」 

 それは確かに摩訶不思議だ。  俺は少し間を置いてから「俗に言う超感覚的知覚──ESPを持っているって事か?テレパスとか」と訊いた。

 潮はかぶりを振りながら「そう言うのとはちょっと違うかも」と返した。

「心を読んだりする訳ではなく、あくまで真偽の判別がつくだけ。彼女曰く、人はそれぞれ色を纏っているんだって。例えばAさんには暖かい赤色が、Bさんには優しい緑色が、Cさんには涼しい青色が、各々が持つ色を見ることが出来るらしいの」

「ふむ」

「で、嘘をついたり誤魔化したりすると、その纏っている色に変化があるんだって。濁ったり濃くなったり薄くなったり・・・・・・」

「逆に本当の事を話してる時は変化しないって事か」 

 潮が頷く。

「でここからが本題なんだけど」

 そして語り出す。通り雨のように過ぎ去った謎の話を。


 聞いた話をまとめるとおよそこんな感じになる。 

 遡ること三年前、潮真衣は中学二年生へと進級しクラス替えが行われた。ヒスイマオとはクラスメイトであり、またよくお喋りする仲だった。   

 友達になったきっかけは些細なことで (大抵皆そうだが)、共通の趣味を持ってたからである。

 当時、潮のマイブームはもっぱらショパンを聴くことであり、マオは自己紹介の時に「趣味はクラシック音楽を聴くこと」と言っていた。 

 休み時間──潮はポツンと一人佇むマオを見るや否や、席を立ちゆっくりと歩み寄った。

「ヒスイさん、クラシック音楽好きなんだよね? 実は私も最近聴くようになって・・・・・・でも全然詳しくなくてさ、良かったら色々教えてよ」 

 マオはそんな接近者じっと凝視すると「緑色・・・・・・」と呟いた。

「へ?」と、目を丸くしながら言う。

「あっ、いや、気にしないで!」

 あはは、と乾いた笑い声で誤魔化す。

「そ、そうだ、クラシックの話だったよね。いいよ、でも私だって全然詳しくないから、あまり期待しないでね? えーっと・・・・・・」

「潮──潮真衣です。仲良くしてね!」

「こちらこそ。真衣ちゃんはどんなのを聴くの?」

「ショパンだよ。特に好きなのは夜想曲ノクターン 第二番 変ホ長調、第十五番 ヘ短調かな。あとは、練習曲エチュード ホ長調『別れの曲』とか」

 うんうん、小気味よく相槌を打ち「素敵だよね。ショパンなら私はポロネーズ第六番 変イ長調『英雄』が好きだよ」と返す。 

 こうして二人は友達となった。


  茜さす空、潮とマオの二人は帰路についていた。コツコツと軽やかな足音が響く。

「実力テストどうだった?」 

 マオは嘆息しながら「あんまり・・・・・・」と答える。

「私もそんなに良くなかったなぁ・・・・・・」と続いた潮をマオはじっと見つめた。  マオは立ち止まると、少し風が吹き長い髪を撫でた。

「真衣ちゃん、今嘘ついたでしょ」

「──え?」 

  息を飲み、目を見開いて「どうしてそう思うの?」と訊く。

 否定の言葉が先に出なかったのは心当たりがあったからだ。

「実はね──私、他人を見るとその人が持つ色を見ることができるの。それで、その色が変化する時って決まって嘘や隠し事をした時なの・・・・・・今、真衣ちゃんの色が暗くなったからもしかしたらって」 

  つらつらと説明するも、潮にとってはとても面妖で突拍子もない話だった。

 しかし、誤魔化したことは当たっているし、何より作り話にしては嘘っぽすぎる。

「ごめん!」二人分の声が重なる。あれ?っと、顔を見合わせる。 

  刹那を遮って「ごめん真衣ちゃん、変なこと言ったね。可笑しいよね」と、後ろめたそうに弁解すると、「可笑しくなんかない! 」と、強く言い返した。

「信じるよその話。それに私のほうこそごめんなさい。本当はテストの結果は良かったほうなの。ただ話を合わせたかったというか・・・・・・」

「いいよ」 

 二人は再び歩き出す。


 ある日の休日、潮はマオの家を訪れた。

 マオの部屋には父親から譲ってもらったレコードプレーヤーがあり、そこでお気に入りの円盤を何枚か流して、お茶をしていたのである。 

 ある程度会話に花が咲き、そこでふと、潮はこんな話を切り出した。

「そういえばさ、ちょっと前に変なことあったよね。ほら、ラブレターの」 

  何の話かと言うと、とある女子が小田という男子に宛てたラブレターの話である。ラブレターは小田の机の引き出しにそっと忍ばせてあった。どういう訳か、それを他の男子──山崎が先に見つけてしまったのである。 

 酷い話で、山崎はそのラブレターを見せびらかし、窓の外へ放り投げてしまったのだ。勿論皆からは大顰蹙をかって、後で拾いに行くといった。しかし探せどどこに落ちたのか見つからなかったと山崎は言った。 

 しかし、午後の体育が終わり皆が教室に戻ると、そのラブレターは小田の机に返ってきていたのである。

「あれって誰も拾ってないって感じだったけど、もしかしたら、マオちゃんなら誰がやってくれたのか分かるかな〜って」

「うーん・・・・・・」と、マオは少し考えた後「それなんだけどね、誰の色もあんまり変化なかったんだよね・・・・・・だから私もどういうことなのか気になってた」「え? じゃあ、本当に誰も?」 

 そんな筈はない。そう言いかけた時、マオがかぶりを振って口を開く。「実は、誰がやったのかは検討ついてるの」

「誰なの?」

まゆずみ君だよ」

「へぇー、彼が?なんで?」 

 黛零まゆずみれい。潮はその男子とは面識がなかった為、どんな人柄なのか知らなかった。印象としては、とても凛々しく、しかし社交的な人といった具合だ。

「いや、確証はないよ。ただね、言ってなかったけど彼には・・・・・・色が無いの」「え、そんなことあるんだ」

「正確に言うと透明で分からないって感じ。こんな人初めて」 

  微かにマオの言葉が揺れていた。有り体に言えば涙声のようなものだった。  閑話休題。

「でね、皆が嘘をついてないとすると、消去法で言うと黛君しか考えられないなって思ったの」

「そっかぁ」

「うん」

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