第60話

 コンコン…


 みさ緒が恭一朗の部屋をノックした。

「どうぞ」

「恭一朗さま、冴島商会の社員の方がお見えになりました」

「ありがとう、みさ緒」

 恭一朗はベッドに起き上がって書類を見ているところだった。


 恭一朗が藤丸に撃たれて大怪我をしてから一か月・・・。

 あれほどの怪我を負いながら、命を取り留めたのは奇跡に近いことだという。


 まだ、普通の生活に戻ることはできないが、恭一朗は冴島商会の仕事を琢磨の屋敷でこなしていた。


 横浜の琢磨の屋敷で療養することを強く勧めたのは琢磨だ。


 表向きは、エドワード医師が近くにいる横浜の方が恭一朗の治療には都合がいい、ということだったが、冴島商会の仕事を手伝って恭一朗の負担を減らしたい、と言うのが琢磨の本音だった。


 退院したといっても、恭一朗の怪我はまだ回復途上で、決して無理はできない。琢磨がそばにいれば、恭一朗にとって、かなり助けになるはずだ。本音を言えば、今更、冴島商会のことで父親の手を借りたくないのだが、それでも、息子を思う琢磨の気持ちをありがたく受け取って、恭一朗も黙って琢磨の言うとおりにしていた。


 実際、経営の根幹に関わるようなことはともかく、恭一朗の判断を仰ぐまでもないようなことは琢磨がすいすいと社員に指示を出している。経営の実権を恭一朗に譲ったとはいえ、琢磨は今でも冴島商会の代表取締役であり、冴島商会の今日の隆盛を築いた人でもあった。


 とはいえ、ほぼ毎日、冴島商会の社員から報告を受けることで恭一朗の午前の時間は忙殺ぼうさつされていた。





「エドワード先生、恭一朗さまはあんなにお仕事されていて大丈夫なんでしょうか?」

 エドワード医師が、みさ緒の肩の傷をているときに、みさ緒が心配顔で尋ねた。


「あぁ…心配かい? 恭一朗さんは、仕事が薬、見たいなところがあるからね。大丈夫だよ。冴島さんもついているし、恭一朗さん自身もちゃんと加減はわかっているようだ」

 微笑みながらそう答えると、


「みさ緒の傷も、もう心配は要らない。ただ…若い女性には辛いことになってしまったが、少しあとは残る。ドレスを注文するときにはデザインに気を付けることだね」


 そう言って、みさ緒の顔をじっと見た。


(みさ緒は、どうするつもり?)


 と問いかけているようだった。


 ・・・そろそろ、おじいさまの国に行くかどうかをちゃんと考えて、お返事しなければならない・・・


「あ、あの…エドワード先生。お聞きしたいことがあって…」

 どうしても知りたいと思っていたことを今日は聞こう、そう思った。


 次の国王になられる方が、自分の父親を無理にも家の当主から引退させたのは、日本での非道な行いを知ったから、という。


(…非道な行いって?…。私のおばあちゃんやお母さんに関係のあることなんだろうか…?)


「…お教えしましょう、何があったのか。みさ緒様も知っておかれた方がよろしいと思います」

 急に臣下しんかのような口調になって、エドワード医師が話し始めた。



 あの頃・・・


 王位継承順位の上位者が思わぬことでバタバタと亡くなり、みさ緒様のおじいさまが王位にかれることになりました。今の国王陛下です。ご自身にとってもそれこそ青天せいてん霹靂へきれきであった、と想像いたします。みさ緒様のおばあ様であるおりん様という想い人もいらっしゃいました。

 国王陛下は…王位に就かれるにあたって一つだけ条件を出されました。それは、おりん様を国に呼び寄せる、というものでした。すでに子をなしている、とも言われました。ですが…周囲の者は高を括っていました。この国で国王として過ごされるうちに、陛下はきっとお忘れになる、はるか遠く東洋の、日本などと言うちっぽけな国の女のことなど…そう思っていたのです。ですが…、陛下はおりん様とお子を忘れることはなく、いつか必ず呼び寄せる、そう思い続けていらっしゃったのです。


 本来なら国王になるはずのない人物が、偶然とはいえ王位に就けば、それを面白くない、と思う者が出てくるのは世の常かも知れません。

 その者は、反国王派なるものを形成し、陛下と日本人女性との間に子がいることを問題にし始めたのです。我が国の国王の血を引く者が日本人などにいてはならない。

 そして…我々国王派が思いもよらなかった残忍なことをやってのけたのです。


「残忍な…こと」

「はい。…おりん様と、おりん様のと国王陛下との間の子、つまりみさ緒様の母君である弥生様の殺害です」


「・・?!」


 それは…突然実行されました。自動車事故に見せかけて・・おりん様は殺害されたのです。


「…みさ緒様…その時におりん様と一緒に車に乗っていて、大怪我を負われたのが冴島夫人、恭一朗さんのお母さんです。とっさに弥生様をかばわれてのことだ、と聞いています」


「え!!……」


「それ以来、冴島夫人は寝たきりになられて、回復されることなく亡くなられました」



 言葉が出なかった・・・。


 琢磨婦人、つまり恭一朗の母が亡くなっているらしいことは薄々うすうす知っていた。だが、二人が話さない以上、みさ緒の方からあれこれと詮索せんさくがましく尋ねることはできない。事件について何も聞いていなかった…。


 それが…みさ緒の血筋に絡む事件に巻き込まれて亡くなっていたとは…。

 どんなにか辛いことだっただろう…それでも、お二人はそんなこと毛筋けすじほども見せずに、私に温かく優しく接してしてくれた…。それだけじゃない…屋敷で働く皆さんも、事件のことを知っている人は多いに違いないのに…みんな優しくて…。


 涙がぽろぽろとこぼれた。


(結局・・・)

 私も、お母さんと同じ様に冴島家の人に大怪我を負わせて、命を助けられた…んだ。


「…エドワード先生、私・・・」


 みさ緒は自分の決意をエドワード医師にげていた。

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