第59話

 次に目が開いた時、ぼんやりとした視界に祥吾の心配そうな顔が見えた。

「みさちゃん・・・つらくない?」


 隣のベッドは空っぽだった。

 恭一朗の姿は見えなかった。




「祥吾さ…」

 のどがからんだようになって、ちゃんと声が出ない。


「無理して喋らなくていいよ。みさちゃん」

 祥吾が慌ててみさ緒を制した。

「僕、みさちゃんと恭兄さんがこんな大変なことに巻き込まれているなんて全然知らなかったんだ…。父の会社の手伝いで、というか修行を兼ねてニューヨークに行っていたもんだから。帰ってきて驚いた…肝心な時にみさちゃんを守れなくて…ごめん…」


 みさ緒は、そんなこと気にしないで、というように首を小さく振った。その拍子に、やっぱり右肩がじん…と痛んだ。


「あ、の…恭一朗さまは?」

 祥吾に尋ねた。


「あぁ…恭兄さんは怪我が重いから別室に移ったよ。いつでも必要な処置ができる病室にね。恭兄さんがこの部屋にいたのは仮の処置だったんだ。目が覚めたときに、みさちゃんの姿が見えないと、恭兄さんがってでも探すだろうからって。だから、恭兄さんが目覚めるまでは、みさちゃんの隣で寝かせておこうってことだったらしいけど、もうみさちゃんが生きてるってわかったから…」


(・・・)

 そういえば、きよもそんなことを言っていた。きよからは、命が助かったとだけ聞かされてホッとしていたが、恭一朗の怪我はかなり深刻な状態だったらしい。みさ緒は心臓の辺りをギュッと掴まれた気がした。



「恭兄さん…すごいよ…」

 祥吾がぽつりと言った。


「…恭兄さん…銃弾を二発も浴びていたんだ。一発はみさちゃんの肩をかすって、もう一発はまともに恭兄さんにあたって…。あとほんの少したまの位置がずれていたら、命は無かったって」


「え…」


 あの時の状況を、みさ緒はぼんやりと思い出していた。

 揉み合いの最中さなか、あの男の銃がみさ緒に向いて、

(撃たれるっ)

 思わず目をつぶったとき、みさ緒を守るようにして銃の正面に突っ込んできたのは恭一朗だった。

「みさ緒っ」

 恭一朗の声と銃声が同時だった。

 肩に火のような痛みを感じたのと同時に、三人がもつれ合って船から落ちた。



「実は僕さ…アメリカから戻ったら、みさちゃんに結婚を申し込むつもりだった。いや、僕もまだ学生の身で半人前だという自覚はある。でも、せめてみさちゃんと婚約を、って決心していたんだ。みさちゃんのこと、誰にもとられたくなかったから…」


「・・・・」


「この気持ちは、恭兄さんには絶対に負けないって思ってた…」


「でも…恭兄さん、本当に命懸けで、冴島の家も、冴島商会も全部捨てて、命懸けでみさちゃんのこと守ろうとして…僕、恭兄さんには到底とうていかなわない、って思い知らされたというか…」


「祥吾さん…」

「あ、いや、僕だって、いざとなったらみさちゃんを命懸けで守るつもりだよ。だけど…恭兄さん、あれだけいろんな大きなものを背負ってる人なのに、みさちゃんを守るために覚悟を決めて…。一途、なんて僕なんかが言うのもおこがましいかもしれないけど…一途にみさちゃんのことだけ想って…すごいことだよ、本当に…」



(…恭一朗さま)

 助かってくださってよかった…。


 もし、私を助けるために恭一朗さまが命を落とすようなことになっていたら…私は…私はどうしていただろう……?

 苦しくて、悲しくて、せっかく助けていただいた命を恨んでいたかもしれない…。




「みさ緒? 具合はいかが?」

「巴さん…」

「あら、祥吾もいる。また、話好きの祥吾が、みさ緒を疲れさせているんじゃないでしょうね」

「何だよ、その言い方」


「巴さん、そんなこと…」


 この二人は、祥吾が年上なのだが、巴が遠慮のない口をきくので互いに言葉敵ことばがたきだ。いつも言いたいことを言い合っているのは、仲がいい証拠だろう。


「みさ緒…よかった…。幸い、肩の傷は弾がかすった程度のようよ。よかった…本当に…」

 今にも泣き出しそうな顔で巴が言うのに、祥吾までもがしん…となった。


 みさ緒が疲れるといけないと言って二人が帰った後、琢磨が病室に入ってきた。


「みさ緒…どうだ? 傷は痛むかい?」


「伯父様…。動かしさえしなければ大丈夫です。ご心配をおかけして…すみません」


「いや、謝らなければいけないのは私の方だ。冴島商会の元社員が起こした事件に、みさ緒を巻き込むような形になってしまった。すまない」


「いえ…。そんなこと…」


 あの男は…世の中の仕組みを恨んでいるようだった…。


 もし、私が冴島家に引きとられていなかったら…ずっと下を向いたままの人間だったかもしれない…。あの村で、みんなからさげすみの目を向けられたまま暮らしていたとしたら…いつかは私も、誰かを、何かを恨むようになっていたのだろうか…。



「みさ緒…みさ緒を助けてくれた友人、りよ、と言ったか? りよが見つかったよ」


「え…」


「あの船の荷室にあった木箱の一つに押し込められていた。藤尾の貨物としてね。外国で売り飛ばすつもりだったんだろうが…。ひどいことをする」


「それで、り、りよさんは…無事なんでしょうか?」


「あぁ無事だ。だが、長い間、どこかに閉じ込められていたんじゃないか、と言う話だ。体中、傷だらけで、縛られたあともあったらしい。かなり衰弱もしている。だが、適切な手当をすれば元気になるとエドワードさんが言っていたよ」


「あぁ…よかった……」


「みさ緒を窮地きゅうちから救ってくれた娘だからね、冴島家にとっても恩人だ」

 みさ緒は、琢磨がそんな風に思っていてくれたことが嬉しかった。

 動けるようになったら、この病院のどこかにいるはずのりよを訪ねて、無事を喜び合いたい、と思った。




「あの…伯父様。恭一朗さまの今のお具合は…? 怪我がかなり重いと伺いました」


「うん…まぁ…当分は安静が必要だ。至近距離から銃弾を浴びているからね。なんだ…どうした、みさ緒…? そんなに泣かなくてもいいんだよ。エドワードさんは名医だ。彼がついていれば心配は要らない」


 はい…と返事しながら、みさ緒は涙が止まらなかった。


 恭一朗がいない世界は…光がない世界と同じだ、と思った。

 恭一朗が生きていてよかった…。

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