第53話

「冴島さん。陛下におかれましては、譲位後は、みさ緒様をお引き取りになり、ご一緒に暮らされることを望んでおられます。みさ緒様に起きた不幸な出来事もすべてご存知で、大変お心を痛めていらっしゃいます」


「えっ…」

 

「エドワードさん…まさか、あなたが…」


「一体、いつから……いや…愚問ぐもんでした…」


 不意打ちをくらって、琢磨と恭一朗が狼狽ろうばいするのを落ち着いた様子で眺めながらエドワード医師が微笑んだ。


「知っていましたよ。銀座での事件で私が冴島家と知り合いになった後、あなた方が私の素性すじょうを調べていたのを。でも何も出なかった。そうでしたね?」


「・・・そうです」


「私はアメリカ人ですが、母方のルーツがの国でしてね」


「・・・・・」


「銀座でみさ緒様が刺された時、通りすがりを装って応急手当をしましたが、もちろん偶然居合わせたのではありません。ずっとついて歩いていました」


「…しかし、あのときは祥吾もいたはずで、そんなに近くにいたあなたに気付かなかったとは…」


 エドワード医師は、軽く笑うと言った。


「冴島さん、年頃の綺麗なお嬢さんをエスコートしていて、心がはずまない男子はいませんよ。それが好きな相手ならなおさらです」


 琢磨は、なるほどと頷いた。

「祥吾はみさ緒に夢中で、周囲への警戒がおろそかになっていた、というわけですか…」


「みさ緒様が、屋敷内にいる間は身の安全を確保できると確信していました。どさくさにまぎれて屋敷内に侵入して、事を起こすことは不可能です。今は時代が違う。例え、思い切って仕掛けたとしても、相手が冴島家となれば、警察も政府も黙ってはいないでしょうからね」


「…確かにそうかもしれません」

 恭一朗が言った。


「ですが、祥吾さんに連れられて、みさ緒様が外出するようになりました。さすがに人出の多いところを連れ回すようなことはありませんでしたが、何しろ祥吾さんが浮かれていましたから…。危険だと判断しました。それで…」


「警護についていた、と」

 琢磨が言った。


「ただ…みさ緒様がりよという娘に襲われたのは想定外でした。みさ緒様の腕に傷痕が残ることになったのは痛恨の極みです」

 エドワード医師が悲しげに首を振った。


「エドワードさん…」


「今思えば、こちらに油断があったのでしょう。琢磨さんが、みさ緒様を冴島家の使用人と一緒に山奥の村に移されてから、敵方は完全にみさ緒様の居場所を見失っていましたから…」


「そうでしたか…」


「敵方はこちらの動きからみさ緒様の居場所を探ろうとして、私たち国王派が見張られるようになりました。ですから、みさ緒様が村にいる間は、遠くからお見守りすることしかできなかったのですが…」


 みさ緒が十七歳になるまで無事に過ごすことができたのは、僥倖ぎょうこうだったのだ、と恭一朗は改めて神仏の加護に感謝した。





「え…私のおじい様が…私を引き取りたい、と」


 エドワード医師、琢磨、それに恭一朗の三人から自分の生い立ちについて初めて説明を受けてみさ緒は混乱していた。


 フミが実の祖母ではなかった、というのは冴島家に来た最初の頃に知った。

 だが、今聞かされた自分の身の上話は、想像をはるかに超えていて、頭の中は整理がつかない。まるでお芝居の筋書きを聞かされているようだった。



「あの…それで私に英語を?」

 ふと顔を上げると、みさ緒が聞いた。


 知り合って間もなくの頃、エドワード医師から英語を学ばないかと誘われたのだ。



 ------------英語を話せるようになりたくないですか? もし英語が話せるようになれば世界が大きく広がります。大丈夫。英語は、私が教えましょう。------------




「・・みさ緒様はクレア夫人とお友達になられてから、英語が格段に上達されました」

 エドワード医師は、それだけ言うと微笑んでいる。


(・・みさ緒、様・・)

 今まで、「みさ緒」と呼んでいたエドワード医師の言葉遣いまで変わったことも、みさ緒を一層不思議な気持ちにさせていた。否応いやおうなく立場を変えられてしまっている気がした。


「あ……あの、今すぐ決めないといけないことなのでしょうか? その…おじい様と一緒に住む、ということ。それとも、もう決められていることで、私はただ従うだけ、なのでしょうか?」


「…陛下は、みさ緒様のお気持ちを尊重したいとお考えです。ですが…国の事情でみさ緒様のおばあ様と愛する娘である弥生様を呼び寄せることができなかったことを、とても悔やんでおられます。みさ緒様には陛下のお気持ちをおみ取りいただければ、と願っております」


 ごゆっくりお考えください、と言い置いてエドワード医師は帰って行った。




「驚かせてごめん」

 恭一朗の言葉に、みさ緒が聞いた。


「…知ってらしたんですか…今の、引き取るのどうのというお話…」


 エドワード医師の話は、みさ緒との関係を考えれば、恭一朗にとっても衝撃的だったはずで、珍しく黙ってしまった。

 そんな恭一朗に助け船を出すように琢磨が言った。

「いや、恭一朗も私もさっき聞いたばかりだ」



 みさ緒は琢磨と恭一朗からこれまでの経緯を聞かされた。


「みさ緒のおばあさんは、おりんさんと言ってね・・・」

 当時、一介いっかいの技術者として来日していた陛下と恋仲になり、弥生を授かった。

 そのときの陛下は、王族の一人とはいえ、継承順位としてはごく下位で王位とはほぼ無縁の、自由の身ともいえる立場だったらしい。

 ところが事故や疫病で継承上位の者が相次いで亡くなるという事態に、図らずも王位を継ぐ身となってしまった。


「・・帰国も迫ったある日、陛下が私の父を頼ってこられたんだよ。愛するおりんさんと娘の弥生さんの庇護ひご者になってくれないかと言ってね。他に信頼して頼める人もいなかったんだろうなぁ。父とは仕事を通じて親密にしていたらしいからね、その縁にすがって、ということだったと思う」


 みさ緒は黙って聞いていた。


「私の父は、いわゆる豪放磊落ごうほうらいらくな人でね。頼みをあっさりと引き受けて、おりんさんと弥生さんの面倒を冴島家で見ることにしたんだよ。そして、後のことを考えて、弥生さんを冴島家の養女とした、というわけだ」

 琢磨が語った。


「だが……国王の血を引く者が、日本人の中にいる、ということをよしとしない連中がいた。たぶん…陛下が冴島家を頼られたのも、そう言うおかしな連中のことを危惧されてのことだったと思う。不安は的中して、物騒なことがたびたびあってね。それで、みさ緒を守るために、みさ緒を連れてフミを故郷に帰らせた、ということなんだよ」


 聞き終えて、みさ緒は、ほぉっと大きく息をついた。知らないうちに肩にも力が入っていたようで首まで痛い。


 育った村は、封建的な考え方に支配されていて、いかにも西洋人の血が混じっているこの容姿のせいで、みさ緒に向けられる目は冷たかった。後ろ暗い商売の果てにできた、父親が誰かすらわからない子ではないか、と疑われていたせいだ。


 今、みさ緒がずっと抱えていた劣等感はようやく消えた。




 それと…

 琢磨が言っていた、

(・・物騒なことがたびたびあって・・)

 とは、一体何が起きたのだろう。


 国王の血が流れている日本人がいるのを許さないということは、つまり……。

 恐ろしい想像しか浮かんでこない。祖母や父が若くして亡くなっているらしいことと何か関係があるのかもしれない、そこまで考えが至ると、みさ緒は身震いした。




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