第45話

「口ほどにもない。なんだあのざまは…」


 羽衣楼はごろもろう坊主頭あるじが目の前の男をなじった。


 二人は、羽衣楼の奥座敷で向かい合っていた。


「まぁ、そう言うな。ちょっとした手違てちがいだ」

 男がなだめるように言った。


「手違いだと…。大体、あの辰治とまともにやり合おうなんて骨頂こっちょうだ。

 あいつはこの辺りじゃ鬼と呼ばれて恐れられてる。半殺しの目に合わされた奴もいるからな。その辰治を相手にした挙句あげくが、やられましたじゃ…。まるっきり素人しろうと同然じゃねぇか」

 坊主頭がわめいた。




 坊主頭はかつて辰治の恐ろしさを間近で経験していた。


 そもそも坊主頭が今の商売を始めたのは、その半殺しの目に合った男に頼まれて妓楼を買い受けたことがきっかけだ。


 辰治とのいざこざの始まりから、半殺しの目に合わされて逃げるように横浜を出て行くまで、ごく近くで見ていた。


 もっとも、そのとき譲り受けた妓楼は小さな店で、ここまで大きくしたのは坊主頭の腕だ。それだけ娼妓おんなたちは酷な扱いを受けていた。




「…あの娘が自分からふらふらと屋敷を出てきたのが予期せぬ事態ってやつでね。せっかくだからと便乗びんじょうしたんだが、こっちの準備が間に合ってなかったってことだ」


「ふん、言い訳だな。今回のしくじりで、しばらくは身動きがとれなくなっただろ。一体いつになったらみさ緒をここに連れてくるんだ」

 坊主頭が責め立てた。


 男は、ふふんと鼻を鳴らすと

「相変わらずの執着しゅうちゃくぶりだな。あの娘の体がそんなによかったか」

 からかうように言った。

 

 坊主頭は不機嫌な顔のまま、じっと男を見ている。


「おや、もしかしたら、まだ物にしていない、とか…? そりゃ早くとかすわけだ。おあずけってりゃ、そうなるわな」


 坊主頭にののしられたことへの仕返しのつもりか、男はしつこかった。


「おい、調子に乗るんじゃねえぞ」


 ぎろりと目をいて坊主頭が言った。怒りで顔が赤らんでいる。


「まぁ、どっちでもいいさ。こっちはこっちでやることがあるんでね。あの娘のことは黙ってもうしばらく待ってろ。約束は守る」


 そう言い置いて男は出て行った。


 そもそもきっかけは、どこで聞きつけたか男の方から手を組まないか、と言ってきたことだった。


 こちらも、みさ緒を取り戻すための手を打ちあぐねていたから、話に乗ったのだったが、腹の底の知れない男だった。



「生意気な口をききやがって…」


 煮えた腹が収まらない…。


 坊主頭は大声で男衆を呼びつけると、

「酒を持ってこい」と、怒鳴りつけた。







 みさ緒は村の寺に来ていた。琢磨と一緒だ。


 気晴らしになればと、琢磨が連れ出したのだった。


 つい先日も、みさ緒は真っ暗な座敷で、あかりもけずにひとりぼんやりと座っていたのだ。もうすっかりが落ちて辺りは暗くなっていた。


 いつからそうしていたのか……仕立物をすると言って昼過ぎからこもっていた。

 座り込んでいたみさ緒の手には針が握られていたが、膝前ひざまえに広げられていた着物地に仕立てが進んだ様子はなかった。




 この村は、フミが亡くなって冴島家に引き取られるまで、みさ緒が育った場所だ。


 冴島家に引き取られて以来、みさ緒が村を訪ねたのは初めてのことだった。


 寺の住職は、みさ緒がすっかり垢抜あかぬけた、と言って喜んでくれた。


「幸せに暮らしておるあかしじゃな。

 みさ緒に冴島さんのような縁者えんじゃがいて安堵あんどしております。仏につかえる身の拙僧せっそうでさえも冴島商会のご高名こうめいは存じておりますからな」


 そう言うと、声をひそめて埜上のがみ家の悲劇に触れた。


 代々続く名家めいかだったが一家離散いっかりさん、特に、みさ緒の同級生だったりよという娘は行方知れずになっていると言った。


 琢磨は黙って住職の話を聞いていた。


 もちろん、琢磨もその辺りの事情は知っている。

 埜上家の当主、りよの父親は、みさ緒に起きたわざわいたねいた人物だ。


 みさ緒は、しょんぼりした様子で住職の話に耳を傾けていた。


 りよという娘は、何らかの形でみさ緒の誘拐に関わっていたようなのだが、やはりその辺りのことは、みさ緒の記憶からは、すっぽり抜け落ちたままになっている。


 りよ一家の話は悲しいに違いないが、取り乱すことなく座っているみさ緒の様子に、琢磨はほっとしていた。



 フミの墓参りを済ませると、琢磨とみさ緒は空き家となっているフミの家に向かった。

 フミの月命日つきめいにちには、冴島家から、女中頭のきよが欠かさず墓参りに来て、ついでにフミの家の掃除をしているはずだ。


「私も数日前にのぞきましたがな、きれいに片付けられておりました」

 住職からそう聞いていた。




 ところが…


「あっ…」

「何という…」


 家の中は、滅茶苦茶だった。


 土足で歩き回った跡があり、置いてあった物はひっくり返され、叩き壊されていた。


 泥棒、というより悪意を持って破壊した、というようなひどい荒らされ様だった。


 第一、フミとみさ緒の暮らしは質素なもので、盗人が狙うような高価なものなどあるはずもない。中に入らずとも、外から家を見ただけで判ることだった。


「一体誰が、こんなひどいことを…」

 みさ緒が泣き出した。


 そうだ…誰が、何の目的で、こんなことをしたのか…。


 この家を襲うことはかなっていない。


 狙いは何だ? みさ緒か? 冴島家か? 冴島商会か?

 琢磨は深刻な顔で、荒らされた家の中を見つめていた。





 そして…冴島商会にも事件が起きた。


「支配人! 火事です。横浜の倉庫が…」

 社員が恭一朗の部屋に駆け込んで来た。


 冴島商会の荷を保管している倉庫から火が出たというのだ。


 不幸中の幸いで延焼はしなかったため、他に迷惑をかけずに済んだということだが、冴島商会の倉庫が一棟、中の荷もろとも焼け落ちた。


 普段から火の気のないところで、それでも火事には十分に気を付けるように会社として厳しく管理していた場所だ。

 防火意識は従業員にも徹底されていて、冴島商会は、この倉庫と言わず今まで一度も小火ぼやさえ出したことはなかった。


「どういうことだ?」


 恭一朗が驚いて尋ねると、どうやら火が出たのは夜明けのことだったらしいとしか、今はわからない、ということだった。


 とにかく、この目で確かめなければならない。

 恭一朗はすぐに横浜に向かった。


「恭一朗…」

「父さん」


 現場には琢磨も来ていた。

 そばには、勝五郎もいる。


 幸い、燃えた倉庫は他とは少し離れた場所に建っていて、そのせいで辺り一帯を巻き込んだ大火事にならずに済んだようだ。


「冴島の旦那、若旦那…。こんなことになってしまって誠に申し訳ございません。立ったまま言うこっちゃござんせんが、まずはお詫び申し上げます」

 深々と勝五郎が頭を下げた。




「恭一朗、勝五郎…。これはただの火事じゃないかもしれん」


「どういうことです?」


 奥村組の座敷で三人が膝を突き合わせていた。


 琢磨は、フミの家の中がひどく荒らされていたことを話した。まるで打ち壊しにあったような有り様で、嫌な予感がしたのだと言った。


「わざわざ泥棒が入りに来るような家じゃない。しかも田舎の村までやって来て、だ。おかしいと思わんか?」


 フミの家の話は、恭一朗も初めて聞いたらしい。

 驚いた顔をして言った。


「父さん…みさ緒は…」


「あぁ…ひどく泣いた。知っていたら連れて行かなかったのだが…。可哀そうなことをした」


「今は…どんな…?」


ふさぎ込んでいたんだが、少し落ち着いてきている。ともえが毎日やって来て、みさ緒の相手をしてくれているんでな」


「そうですか…」


 恭一朗は、まだ何か問いたげだったが

「火事の話に戻りましょう」と言って、みずからみさ緒の話を終わらせた。

 だが、表情には憂いの色が濃く出ていた。




 勝五郎は、そんな恭一朗を見て、辰治のことを思わずにいられなかった。


(辰治…若旦那のみさ緒お嬢さんへの気持ちは本物だ。身代わりでもいいと言ったお前が哀れだ。きっとむくわれねぇよ…俺は、お前が苦しむところは見たくねぇ…)


 冴島商会が大変な時に辰治の心配とは、我ながら不謹慎ふきんしんかもしれないと思いつつ、勝五郎はそっとため息をついていた。

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