第31話

 早くみさ緒を見つけなければ、という焦り、手がかりがないことへの苛立いらだち、不安…胸の中はそういった重苦しく不快なものがうずを巻いていて、恭一朗はその渦に呑み込まれそうになっていた。


(…私が冷静にならなければ、みさ緒は…)


 恭一朗は必死で考えをめぐらせていた。


 やはり鍵は、みさ緒が言ったという「知り合いを見かけた」という言葉ではないか…。


 祥吾か? いや、祥吾はみさ緒にれているのだ。祥吾の方が先にみさ緒を見つけるだろう。みさ緒が車を降りることはない。


 巴か? 巴ほどの家の娘なら、巴自身が車に乗っているはずだ。


 …相手が誰なら、みさ緒が車を降りて追いかけようとするのか?


 そこまで考えたとき、恭一朗の脳裏に一人の人物が浮かんだ。


 銀座でみさ緒を襲った、あの娘…。


(りよ、か…?)


 みさ緒は、自分が襲われながらも「何かの間違いだ」と、りよを信じていた。

 襲われた直後、りよを追いかけようとした祥吾を止めたのも、みさ緒自身だった。

 

 あの後、りよがどうなったか、どうしているか、みさ緒は案じていたに違いない。


 もし、みさ緒が見かけた知り合いというのが、りよだったとしたら…みさ緒は追いかけようとして車を降りるのではないだろうか…。


 そう、りよなら探している人物像に当てはまる。


 あの娘が、またしても襲ってきたというのか…


 だが、今度のことは、若い娘のやり口にしては手が込み過ぎていた。いかにも大掛かりだ。

 仇討ちでもあるまいに、助太刀のように手を貸す大人がいるだろうか。第一、恨みと言っても全くのりよの逆恨さかうらみで、みさ緒に非はないのだ。調べれば、その辺りのことは容易にわかるはずだ。


 こう考えると、みさ緒をおびき出せそうな人物とみさ緒の拉致らちという仕掛けとがうまくみ合わない。どこかちぐはぐだった。


 結局、振出しに戻って、時間ばかりが過ぎていく。


(みさ緒…どこにいる…)

 

 みさ緒が今も助けを求めて自分の名を呼んでいる気がして、恭一朗の焦りはつのるばかりだった。





 気が付くと、手足をしばられて真っ暗な中にころがされていた。少しかび臭い。


(ここは…)


 どこだろう…。


 今、何時ごろだろうか…。みんな心配しているに違いない。クレアの家からの帰り、りよを見かけて思わず車を降りたところまでは、はっきりと覚えている。


 確か、りよに声をかけようとして…その後、どうなったのかよく覚えていない。気が付くとここにいた。どうやら狭い場所に閉じ込められているようだった。


 なぜ、こんなことになったのか、みさ緒は訳が分からなかった。


(あ…りよさん…りよさんもどこかに閉じ込められているのでは…)


 動こうにも、きつく縛られていて、どうにもならなかった。

 しかも猿轡さるぐつわまでかまされていて、声も出せない。



 暗さに目が慣れてくると、周りには布団がたくさん積まれているのがわかった。


 遠くでざわざわとする人の声や鳴り物の音がしている。



 ガラッといきなり戸が開いて、若い男が入って来た。戸から入って来る灯がまぶしい。そのせいで男の顔はよく見えなかった。


 ずかずかと寄ってきて、みさ緒に顔を近づけた。


「お、気が付いたか。婆さん、この娘だ。ちょっと見てくれ」

 そう言って後ろを振り返った。


 婆さんと呼ばれた年配の女はみさ緒のかたわらにしゃがみ込むと、いきなりみさ緒の胸に手を差し込んできた。撫でまわして感触を確かめるようにしている。


「うん…。いい体だ。それにほら、肌も真っ白じゃないか。これは男をぞくぞくさせる体だよ」


 そして、みさ緒のあごに手をかけると、顔の向きを変えたりしながら、とっくりとながめて言った。


「綺麗だねぇ…この体でこの顔だ。この娘は間違いなく人気がでるよ。太鼓判だ。ここで一番の売れっになるだろうよ」


 若い男は、へへっと笑うと

「親方が随分とご執心しゅうしんだからな。どうするかは親方しだいだ」


 そう言うと、今度はみさ緒に向かって言った。

「逃げようなんて考えるんじゃないぜ。ちゃんと見張りがついてるからな。お前も痛い目には合いたくないだろう」


 一言ひとことおどしを付け加えて、若い男は部屋を出て行った。



 みさ緒は、若い男と婆さんと呼ばれた女との会話で、ここが生身なまみの女を売り物にして稼いでいる場所だと見当がついた。


 そして、自分もここで商品としてさらされるのだ。


 この店の者たちは、こんな人さらいのようなことを平気でしているのかと思うとゾッとした。


(…恭一朗さま…)


 もう恭一朗には会えないかもしれない…。そう思うと胸が締め付けられるように苦しい。


 誰か助けに来て、と叫んでも、ここに閉じ込められていることを誰も知りようがなかった。

 りよを見かけて勝手に車を降りた自分の馬鹿さ加減にあきれる。

 こんな取り返しのつかないことになってしまった…。

 

 もう二度と、“冴島みさ緒”として生きることはないのかもしれない。


(…恭一朗さま、助けて…恭一朗さま…恭一朗さま…)


 みさ緒は絶望の中で恭一朗の名を呼び続けた。



 絶望と疲れと空腹とで、意識がぼんやりしていたのか、婆さんと呼ばれた女が戸を開けて入って来たのにも気づかなかった。


 外の様子まではわからないが、日が傾いているみたいだ。連れて来られて、もう丸一日が過ぎてしまったようだった。


「ほら、風呂に入るよ。親方が戻って来たからね。お目通めどおりの準備だ」


 さすがに風呂の中にまでは入ってこなかったが、若い男がずっと見張りについていた。


 風呂では手足を縛っていた縄も解かれ、猿轡さるぐつわはずされていたが、みさ緒に逃げる気力はなかった。


 ただ、ぼんやりとうつろな顔で、婆さんが体を洗うのに身をまかせていた。


「おや。こんな大きな傷、どうしたんだい? 色恋沙汰いろこいざた挙句あげくかえ? あんたなら男が放っておかないだろうからねぇ。ま、ここでは、こんな傷さえ同情を引く道具のひとつさ」


 りよに刺されたときの腕の傷を見て、軽い調子で独り言のようにしゃべっていた婆さんだったが、ふいに黙ると、急にしんみりした声でみさ緒に話しかけた。


「あんたは…ここに来ちゃいけないのようだね…。今まで大事にされてきたんだろ? あんたを見てればわかるよ。この店の若いだまされて連れて来られたのかい? 可哀そうに…ひどいことするよ…。けど、私じゃどうにもしてやれないんだ。勘弁かんべんしとくれ」



 風呂から出ると、綺麗な襦袢じゅばんを着せられて、みさ緒は閉じ込められていた部屋とは別のところに連れていかれた。


「親方、お待ちかねのですよ」


 婆さんがそう言うと、胡坐あぐらをかいて酒を吞んでいた体の大きな男が顔を上げた。



「おぅ、あの日以来だな」


 ニヤリと笑ったその男は、かつてみさ緒を凌辱おかしかけた、あの坊主頭だった。


(なん…で)


 みさ緒の心の中を見透みすかしたように坊主頭は言った。


随分ずいぶんと手間をかけさせてくれたじゃねぇか。埜上のがみとはお前が俺の店で働くことで話はついていたんだ。それを、冴島の野郎に邪魔されたってわけだ。おかげでお前を取り返すのに大苦労おおくろうだ。だが、りよの着物を使って、お前をおびき出すことを考えついた知恵者ちえしゃがいてな、手筈てはずどおりに事が運んで、まぁ、一件落着ってやつだ」


 機嫌きげんよく一気いっきにしゃべった後は、また黙って膳の上の酒を呑み始めた。

 その間もちらちらとみさ緒を見ている。


 前に襲われた時の恐怖がよみがえって、みさ緒は体の震えが止まらなくなっていた。

 …あのとき、みさ緒を救ってくれた恭一朗はいない…。


「…この店は、以前は料理屋だっただけあって奥行きが深い。この部屋で大声出しても、店の方には聞こえたりしないから安心しな」


 ニヤニヤしながらそう言うと、坊主頭はみさ緒の手をつかんでふすま続きの隣の部屋へ引きずるように連れて行った。


 すでに襦袢じゅばんは、はだけてしまっている。みさ緒の真っ白な肌があらわになっていた。


 みさ緒のおびえた顔…そして襦袢からこぼれる豊かな胸…。

 

 坊主頭はニタリと笑うと、ゆっくりとみさ緒におおいかぶさってきた。

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