第26話

 みさ緒は朝からそわそわしていた。今日は冴島家のガーデンパーティ、薔薇の茶会が催される。

 前回初めて参加した時はとても緊張したが、それでも恭一朗が言うには冴島の茶会としては小規模だったらしい。

 今回は、西洋人の取引先も招いての本格的な規模の茶会になるということだった。


 みさ緒は、大勢の人前に出るのは今も得意ではないが、いつまでも子供みたいに隅っこに小さくなっている自分からは卒業したいと思っていた。

 それに、今日はクレアから譲り受けたドレスを着ている。

 本格的な洋装は初めてだが、手足の長いみさ緒にはとてもよく似合っていた。かつて鹿鳴館で舞踏会が頻繁に催されていた頃は、参加する日本女性の凹凸の少ない体型が残念に思われていたこともあったようだが、ドレス姿のみさ緒のスタイルの良さは際立っていた。豊かな胸にくびれた腰がまるで西洋人形のようで、みさ緒の美貌を一層引き立てていた。


 みさ緒の容姿からは、西洋人の血が混じっていることが容易に判るのだが、冴島家に来てからは、そのことが不思議と劣等感には結びつかなくなっていた。

 かつて村で暮らしていた頃のように奇異な目で見られることもない。みさ緒が人目を恐れてすぐに俯いてしまうことは徐々に減っていった。



「みさちゃん!」

 遠くから祥吾が呼びかけた。今日も騎士の役目を勤めてくれる気らしい。

 近くに寄って来ると、祥吾は感心したようにみさ緒を眺めて言った。

「みさちゃん、すごいよ。そのドレス、似合ってる。とても素敵だ。いつにもまして綺麗なお姫様だよ。今日は大変なことになるぞ、これは」

 両手をパンと叩くと、これから起きることにわくわくしているようだった。


 祥吾はみさ緒が腕に傷を負ったとき傍にいて、傷痕が残ってしまったことも知っている。だが、あえてそのことには触れないようにしているようだった。

 みさ緒のドレス姿を見て無邪気にはしゃいでいるようにみえるが、実は明るい雰囲気になるよう気遣ってくれているのがわかる。そんな祥吾の優しさは、みさ緒に充分伝わっていた。

 実際、ドレスの袖が長い上に袖口にひらひらした白い飾りレースがついているので、みさ緒の腕の傷はすっかり隠れていた。



 茶会が催される中庭の入り口では、次々と入って来る招待客を恭一朗が出迎えていた。

 招待客に混じってデニング兄弟商会のデニング夫妻も姿を見せた。

 夫妻が招待に応じて茶会にやってくるのは初めてのことだ。今まで何度案内しても茶会に顔を出すことはなかったのだった。


「今日は、よく来てくださいました。ご夫妻をお迎えするのは私どものよろこびです。どうか楽しい時間をお過ごしください」

 恭一朗がにこやかに挨拶した。


 するとウィリアム・デニングが冷たい目を向けて言い放った。

「楽しみに来たわけではありませんよ、冴島さん。今日はあなたに文句を言いに来たのです。妻を取引の道具として使わないでいただきたい。それだけです」


 その言葉は、近くにいたみさ緒にも聞こえた。

 クレアとウィリアムとみさ緒の三人で楽しくおしゃべりをした時の気さくで優しいウィリアムとはまるで別人で、みさ緒は耳を疑った。


 みさ緒は、二人が招待されているとは全く知らなかったのだが、遠くから二人の顔を見つけて嬉しくなって、挨拶しようと近くに来ていたのだった。

 冴島商会の仕事には関わっていないつもりが、知らないうちに冴島商会に迷惑をかけていたのかもしれないと思うと頭が真っ白になった。



 クレアは呆然としているみさ緒に気付いてウィリアムを制するように言った。

「ウィル、みさ緒が…」

 そう言われてウィリアムはみさ緒を一瞥したが、何も言わず冷たい表情で続けた。


「はっきりさせておきましょう。冴島商会とはビジネスするつもりはありません。家族をビジネスの駒に使おうなんて卑怯者のすることだ」


「もし、みさ緒のことを言っておられるなら、それは誤解です」


「あ、あの、ウィリアムさん。私、そんなつもりじゃ…」

 みさ緒は動揺していたが、それは違う、ということだけは伝えたかった。

 ウィリアムが何故そんなことを言うのかわからない。わからないが、恭一朗に迷惑をかけてしまったことだけは確かなようだった。

 

 涙が出そうだ。どうやらとんでもない失敗をしてしまったみたいだ。こんなことになるなら、うかつに親しくなるんじゃなかった。クレアはとてもいい人で姉妹のような気持を抱くほど仲良くなれたのに、一体何が起きているのかみさ緒は混乱するばかりだった。



「ウィル、どうしたの? 私が足を挫いたのは偶然で、みさ緒が通りかかったのも偶然よ。あなたも知っていることでしょう?」


 クレアはとりなすようにそう言うと、泣き出しそうになっているみさ緒を連れてその場を離れた。



「みさ緒、ごめんなさいね。何でもないのよ。ビジネスには駆け引きもあるでしょうけど、私たちには関係ないことだわ。あなたとの友情は真実よ」

 クレアはそう言ってみさ緒の頭を抱き寄せた。


 クレアの言葉に少し気持ちが落ち着いて、みさ緒がクレアを見るとクレアが盛んに首の辺りをいている。


「クレアさん?」

 どうかされましたか、と聞こうとして気が付いた。

 クレアの首の辺り一帯に赤い水泡のようなぼちぼちが拡がっている。手が無意識にそのぼちぼちを掻いているようだ。


(これは……)

 うるしかぶれではないか…。

「クレアさん。掻いては駄目。どんどんひどくなりますから、我慢してください」

「あぁ、みさ緒。何だか急にかゆくなって…。私の首の辺り、どうなっていますか?」


 そこへ、ウィリアムがやって来た。一目見るなり驚いて言った。


「クレア! 一体どうしたんだ? 大丈夫なのか? 赤くなって水泡が出来ている。それに随分腫れているじゃないか」


 確かに、クレアが無意識に掻きむしったせいで、かぶれた箇所が赤く腫れあがり熱を持ってきているようだ。水泡のようなぼちぼちもさっきより大きく拡がっている。


「あ、あの、漆かぶれだと思います。痒いのを我慢して掻かないようにすれば、一、二週間で痕も残らずきれいに治りますから。私も子供の頃、山で漆にかぶれましたけど、ちゃんと治りました」


 みさ緒が説明すると、反論するようにウィリアムが言った。


「漆? ここの庭には、こんなにかぶれるような木を植えているのかね? そんなところに人を集めるなんて、なんて無神経な! どうかしているんじゃないのか」


 ウィリアムは自分で自分の言葉に興奮してきているようだった。

 みさ緒はおろおろするばかりで、何も言えない。


「帰ろう、クレア。とんだ茶会だ! 君をこんな目に合わせて…」



 ウィリアムは客と談笑している恭一朗につかつかと近寄ると、怒気を含んだ声で言った。


「冴島さん、あきれました。私の妻はこの庭の漆の木でかぶれて酷いことになっている。一体どういうつもりでこんな庭で茶会など催しているのか…。これも君の指図なのかね。冴島商会がどういう商売のやり方をしているのか、これでよくわかった」


「ウィリアムさん、何かの誤解だと思います。この庭に漆はありません。他にかぶれるような木も植えられていませんよ」


「誤解? またその言い訳か。現にクレアは酷くかぶれているんだ。この庭でなかったら一体どこでかぶれるというんだね。いい加減にしもらいたい」


 ウィリアムは激高していた。だが、イギリス人らしく大きな声を出したりはしない。ただ、怖い顔をして恭一朗を責めたてた。


 さっきまであちこちで談笑の輪ができていたのだが、ウィリアムの尋常ならぬ剣幕に場がしんと静まり返ってしまっている。他の招待客たちは顔を見合わせて困惑している様子だ。


 このままでは、ウィリアムの抗議が、そのまま事実として通ってしまいそうな空気が漂っていた。


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