第19話

 あかりを消した暗い部屋で、恭一朗はやみを見つめていた。

 転びかけたみさ緒を抱き留めたあの刹那せつな、思わず抱きしめてしまったことに、みさ緒は気付いただろうか……。


(私らしくもない……)


 今夜のみさ緒の行動すべてが予想外だったせいだ。

 いや、それは言い訳か…。


 恭一朗は自分の気持ちをはかりかねていた。



 みさ緒は生まれてから二歳まで冴島家で育ち、十五年ぶりの再会は、みさ緒を冴島家に引き取るために恭一朗が村に迎えに行ったときだった。恭一朗にとってのみさ緒は、幼かったあの頃のまま、守ってやるべき存在だった。

 みさ緒と恭一朗はいとこ同士ではあるが、実は血縁はない。みさ緒は知らないが、ある事情があってみさ緒の母、弥生は冴島家の養女だった。


 みさ緒は、天涯孤独と言っていい身の上だ。母の弥生とは二歳で死別した。父も祖母もすでに他界しており、顔さえ知らない。兄弟姉妹もいない。母亡き後、育ててくれたフミもってしまった。

 そのうえ、祖父の血を受け継いで西洋人を思わせるみさ緒の容姿は、封建的な考えが支配する村の生活では、みさ緒を苦しめることになった。好奇の目にさらされたり、根も葉もない噂話や憶測で幾度となく傷つけられたせいで、みさ緒は人目を恐れたり、自分に自信がなくてうつむいてばかりの娘に育っていた。



 無邪気で愛らしい子供だったみさ緒を思うと不憫ふびんでならない。

 だからこそ恭一朗は、この冴島家に戻って来たからには、みさ緒には必ず幸せになってもらいたい、兄になったつもりで見守ってやろうと誓っていた、はずだった。




 この日…。

 恭一朗は琢磨に呼ばれて、横浜の別邸に来ていた。


 恭一朗の父である琢磨は冴島商会の代表取締役だ。冴島商会を現在のような大きな会社に育てたのは琢磨の手腕によるもので、その辣腕らつわんぶりは誰もが認めるところだ。

 だが近頃の琢磨は、ほとんど横浜の別邸にいて、支配人の恭一朗がほぼすべての事業の采配を任されていた。

 とはいえ、代表取締役である琢磨には月に数回、決められた日に事業報告をすることになっていたし、今日のように突然呼び出されることもあった。


「そうか…。おおむね事業は順調のようだな」

「はい。どの事業も大体計画通りに進んでいます。ロンドンもニューヨークも駐在している社員がよく情報収集してくれています」

「わかった。仕事の件はこれで終わりだ」

「……?」

「みさ緒はどうしている?」

「元気にやっていますよ。祥吾がみさ緒に会いに足繫く通ってきています。年が近いせいか二人は気が合うようです」

「そうか…。この間、きよが来たよ。みさ緒が仕立てたという着物を持ってきた。お気に召したらうれしい、という口上こうじょう付きだ。着てみると、なかなか仕立ての手がよくてね。気に入った、また頼むと伝えておいた」

「父さん、僕が先約ですよ」

 笑いながら恭一朗が言う。

「そうらしいな。きよから聞いた。お前が珍しく自分の希望を口にした、と。これからも仕立てを頼みたいと言われたとみさ緒が喜んでいたらしいな。みさ緒のあんな嬉しそうな顔は見たことがなかったと、きよが言っていたぞ」

「きよは油断なりませんね。すべて筒抜けだ」

 恭一朗が笑うと琢磨も笑いながら

「まぁ、そう言うな。みさ緒が心配なんだよ。いきなり連れて来られて、さぁこれからは家族同然だと言われても、そうすぐに孤独はえないからな。だが、けなげじゃないか。この間は、きよたちの仕事を手伝いたいと言ってきたらしい。怪我けがされちゃ困るからと、きよに断られたらしいが…」

「そうでしたか。きよらしいですね…。みさ緒は素直で、心根こころねが優しい子です。使用人たちにも評判がよくて、なぜか皆、みさ緒のために何かしてあげたいと思うようで…。それに最近は、いつまでも自分の殻に閉じこもっていてはいけないと思い始めているようです。少しずつ、人と交わる機会を持たせようと考えています」


「そうか。よろしく頼む。ところで…」


 琢磨は真顔になると恭一朗に尋ねた。


「お前、結婚についてはどう考えているんだ? 私のところにも、いろいろなところから縁談話が持ち込まれているのだが…」

「結婚、ですか……」

「いや、別に私の考えを押し付けるつもりはないが…。結婚を考えてもおかしくない年齢だろ?」

 琢磨は少し間をおくと唐突に言った。

「みさ緒は、どうなんだ?」

「え? みさ緒ですか? どうって…」

「どう思っているんだって聞いているんだよ」

「……」

「……お前、もしかして、私と弥生のことを気にしているんじゃあるまいな?」

「……?」

「二人の関係を疑うような噂も耳に入っているかもしれないが…。邪推じゃすいだ。弥生とは何もなかった。潔白だよ。亡くなったお前の母さんを悲しませるようなことは断じてしていない」

「…わかっています」

「そうか…」

「父さんと弥生さんとの間に何かあったなんて疑ったこともありません。なぜ、急にそんなことを言い出すんです?」

「いや……。この間きよが来た時、恭一朗の前でこの話をはっきりさせておいた方がいいのではないか、と言って帰ったんだよ」

「きよが? なぜまたそんなことを…」

「…あれは賢い女だ。お前を見ていて感じるところがあるんだろう」

「つまりは、みさ緒が僕の実の妹かもしれないという懸念けねんを晴らしておいた方がいいということですか。ありがたい気遣いですが…。みさ緒をどうこうしようとは考えていませんよ。結婚は、父さんがいい縁だと思う話であれば僕は異存ありません。お受けしますから」

「そうか…。みさ緒のことはいいのか?」

「みさ緒は関係ありません。それに、まだ子供ですよ、みさ緒は。もちろん、みさ緒には幸せになってもらいたいと思っていますが…」

「…わかった」

 琢磨はそれ以上何も言わなかった。



 恭一朗は帰りの車中で琢磨との会話を思い返していた。

 いい縁だからと琢磨が結婚を薦めてきたら、今の自分は本当に受け入れられるのだろうか…。


 これまでは、結婚に感情は必要ない、と割り切っていた。誰であれ、琢磨が見極めた相手なら社会的にも仕事の上でも相応ふさわしい女性だろう。結婚相手はそれでいい。

 結婚も『仕事』だととらえれば、相手に真摯しんしに向き合い、契約違反となるようなことはしない。結婚という仕事において、自分が務めるべき役割を全うするだけだ。

 結婚する、と決めたら『いい伴侶はんりょ』になる自信もあった。


 このような虚無的な結婚観は、琢磨が「婚外子こんがいし」、下世話にいう妾腹しょうふくの子であったことが影響しているのかもしれない。祖父を否定はしないが、『跡継ぎの確保』をたてに妻以外に複数の女性と関係を持ち子を設け、またそれを当然のことのように認める風潮が嫌だった。



 だが、みさ緒が現れて何かが狂った。みさ緒はなぜか放っておけない気にさせる娘だ。最初の頃は、頼りなくて泣き虫の子供のようで守り役のつもりだった。だが、今は…どうだろう。

 琢磨に言い切った言葉とは裏腹に、みさ緒にかれて目が離せなくなってしまっている。きよにはそれを見抜かれているようだった。


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