第17話

(相変わらず大したもんだ、巴の人気は)

 祥吾は感心しながら眺めていた。

 こういう人が大勢集まるような場では、巴は無双むそうと言っていい。いつも大勢の人の輪の中心にいた。


 あの美貌で会話も機知に富み、人をらさない。魅力的な女性であることは間違いない。特に冴島家主催の茶会ともなれば、冴島一族である巴の周りに人が集まるのは無理からぬことと言える。


 が、ふと気が付くと人の流れがいつもと違ってきていた。巴にご機嫌伺いしたい紳士たちの輪が巴の周りにできるのはいつも通りだが、その輪から違う方向にも人の流れが出来つつあった。いつもは巴の周りで固定されているかのような人の輪が崩れて、今日は会場の隅のみさ緒が立っている方に向かって流れて来ていた。

 多くの人がみさ緒に興味を抱いている様子だ。祥吾が隣に寄り添っているから、みさ緒が冴島家ゆかりの人間であろうと想像がつくかもしれない。だが、恭一朗からも祥吾からもみさ緒を紹介されていないから、話しかけることもできず、しばらく辺りをただよった後、また巴の周りに戻って行くという循環になっていた。


 そんな人の流れを見ながら祥吾はひそかにワクワクした気持ちになっていた。みさ緒は自分に自信がないようなことばかり言うが、祥吾はそれが歯がゆい。


(ほら、ごらん。みさちゃんは魅力的なんだ。みさちゃんに魅せられるのは僕だけじゃない。こんなに多くの人がみさちゃんのことを知りたい、近づきになりたいと思っているんだよ。でも、みさちゃんの隣は僕だ!ここをを譲るつもりははない!)


 祥吾は気持ち良かった。なすすべもなく漂っている人たちへの優越感と姫君を守る騎士役ナイトを務めている自分が誇らしい。


 みさ緒は、と見ると、じりじりと少しずつ後ろに下がって、今にも祥吾の陰に隠れそうになっていた。やっぱり人に見られるのは苦手らしい。子供なら、祥吾の服の裾でもつかんで顔を隠しているところだろう。


(必ず僕が守るから)

 心の中でつぶやくと、


「みさちゃん、大丈夫。僕がそばにいるから。心配いらないよ」

 祥吾は、みさ緒に向かって励ますように頷いてみせた。





 茶会の一日が終わって、みさ緒は疲れ果てていた。多分、人疲れしてしまったのだろう。

 今日の茶会では大勢の人が近付いてきて怖かったが、祥吾が傍にいてくれたから心強かった。

 それに、自分に向けられていた人々の目はどちらかと言えば好意的だった気がする。もちろん冴島家主催の場であり、自分が冴島一族のはしくれだと認知されたこともあるだろうが、茶会はそれほど苦痛な時間ではなかった。


 それに従姉の巴に会うこともできた。巴と自分とは正反対の性格だと思うが、だからと言って苦手だとは全然思わなかった。


(可愛いと褒めてくれたっけ……)

 初対面であんな風に言われたのはびっくりしたが、素直に嬉しかった。


 ただ、引っかかっているのは巴が言ったあの言葉だ。


『あんなことがあったのに手元に引き取るなんて琢磨さんも人が好すぎて呆れる』

 巴の母が言っていたという。しかもあのとき祥吾は狼狽ろうばいしていた。


(私、この家に来て良かったのかな……。あんなことって、何?)


 伯父の琢磨、恭一朗、女中頭のきよ、周りの人にこんなによくしてもらっているのに、何かが自分を不安にさせる……。冴島家ここにいることが本当は迷惑だったとしたら……。


(でも、琢磨伯父様も恭一朗さまも、ここを自分の家だと思って暮らしなさいと優しく言ってくださったから……)


 巴の漏らした言葉と、琢磨や恭一朗の言葉がごちゃごちゃと一つになってみさ緒に迫ってくる。自分には知らされていない何かがきっとある、と思った。


 悲しいわけじゃないのに、なぜか気持ちが沈んで涙が出てくる。

(こんなとき黙って話を聞いてくれる誰かがいたら……)


 『孤独』という言葉が胸に浮かんでいた。




「みさ緒」

 バルコニーから恭一朗の声がする。

 慌てて涙をぬぐうと、わざと明るい声で返事をしてバルコニーへ出た。


「みさ緒、今日は疲れただろう? 大丈夫?」

 恭一朗の優しい声が心にすっと入ってくる。


「あ、はい。少しだけ……。あんまり大きな会だったので驚いてしまって……。でも大丈夫です」


「そうか、よかった……。あれでも今日の茶会は、招待客がいつもより少なかったんだよ」


「え、あれで少なめだったのですか……。私、人酔いしそうでした」

 みさ緒が恥ずかしそうに言うと、


「そう? 今日はみさ緒も主役の一人だったけど?」

 笑いながら恭一朗が言った。


「主役?」


「みさ緒を紹介して欲しいって、いろんな人に言われたよ」


「私を、ですか?」


「そうだよ。あの綺麗なお嬢さんはどなたですか? ぜひご紹介ください、って」


「え、私なんか……。とても巴さんみたいには振舞えないし、気の利いた会話もできないし……。ダメなんです、私」


「大丈夫だよ。巴のあれは天性のものだけど、巴と自分とを比較して卑下ひげすることはない。みさ緒はみさ緒だよ。巴の真似をする必要はないし、ありのままのみさ緒で充分だ。僕が、太鼓判を押す」


「でも私が恭一朗さまの従妹だと知ったら、皆様がっかりされます、きっと。あんな娘が? って」


「何をまたおかしなことを……。がっかりなんて誰もしないよ。次回はみんなにみさ緒を紹介するつもりだから」


「……」

 私は冴島家に来てよかったんでしょうか? と喉元まで出かかったが言えなかった。そんなことを口にすれば恭一朗を困らせるかもしれない。



 恭一朗は黙ってしまったみさ緒の頭にそっと手を置いて言った。


「みさ緒がこの家に来てくれて、父さんも僕も嬉しいよ。それに、きよも、ここで働くみんなも喜んでいる。張り合いが出たって言ってね。祥吾だって大歓迎しているじゃないか」


「……」


「みさ緒はみんなに愛されているんだよ。わかった?」


「……」


「……じゃ、おやすみ。今日はお疲れ様。ゆっくり休んで」


「あ、あの、おやすみなさい。恭一朗さま」

 涙が出そうだった。





 部屋に戻りながら、恭一朗は自分自身に戸惑っていた。


 バルコニーに出てきたみさ緒の顔には明らかに涙の跡があった。その顔を見た瞬間、抱きしめてやりたい衝動に駆られてしまった。かろうじて自分を抑えたものの、みさ緒が愛おしくてならない。



 茶会の後、恭一朗はきよから話を聞いていた。

「みさ緒様は巴様と祥吾様と三人でお話されていたとき、急にその場を離れて屋敷の中に入って来られました。困ったような、悲しいお顔をされていて……。お声をかけようとしたのですが、みさ緒様は少しの間俯いていたかと思うと、次に顔を上げたときには、笑顔の練習のようなことをされて、またお二人のところに戻って行かれました」


 以前のみさ緒なら、そのまま泣き出して屋敷の中に引っ込んでしまっていただろう。それが、心の動揺を抑えて笑顔の練習までして、自分から二人のところへ戻って行ったという。


 何があったか知らないが、そんなみさ緒がいじらしく、また部屋で一人泣いているのではないかと心配になって、思わず声をかけてしまったのだった。


(私らしくもない。一体どうしたんだ?)

(みさ緒のことは兄になったつもりで見守っていたはずじゃないか……)


 だが、今日の茶会では、みさ緒に寄り添っている祥吾の存在が気になっている自分にも気付いていた。

(似合いの二人だと微笑ましく思っていたんじゃなかったのか?)


 恭一朗は一人、眠れない夜を過ごしていた……。

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