第13話

「みさ緒、バルコニーに出て来ないか? 月がとてもきれいだよ」


 恭一朗に声をかけられて、みさ緒もバルコニーに出た。恭一朗の毎日はとても忙しく、夜に二人でこんな時間を持つのは初めてだった。



 冴島家は、一階を公の空間としていて、賓客ひんきゃくをもてなすための応接室や大きなバンケットルーム、待合室、支配人室などを配していた。

 一方、二階は主にプライベート空間となっていて、家族が普段の生活で使う部屋が並んでいる。部屋が並ぶ側の外には回廊のように大きなバルコニーがついており、それぞれの部屋の大きな扉から直接出入りできるようになっていた。バルコニーの床には外国製の個性的なタイルが敷かれ、天井には照明まで設置されていて、洋館らしい造りとなっていた。


 みさ緒が来るまでは、この二階では恭一朗だけが生活していたことになる。以前は恭一朗の父の琢磨もこの屋敷に住んでいたらしいが、現在は横浜の別宅に移っている。

 きよをはじめとする使用人は隣に建てられた日本家屋に住んでいて、この洋館とは廊下で繋がっていた。




 月明かりの中の恭一朗は、今日みさ緒が渡したばかりの着物を着ていた。

 みさ緒に見せるために、きれいな月を口実に声をかけてくれたようだった。


 恭一朗がすぐに袖を通してくれたことに感激している、その一方、果たして気に入ってもらえたかどうか心配でもある。ドキドキしながらみさ緒が近付づくと、微笑みながら恭一朗が尋ねた。

  

「どう?」


「とてもお似合いです。あの……着心地の方はいかがですか?」

 

「うん、いいね。馴染みの呉服屋で仕立てたみたいにしっくりくるよ。みさ緒は仕立てるのが上手なんだね」


「上手だなんて……。お針はおばあちゃんに教えてもらって……」


「そうなんだってね。みさ緒は自分の着物もとても上手に縫い上げたって、きよから聞いたよ」


「あ……」

 言葉がうまく出て来なかった。褒められるのが恥ずかしい。

 

「この着物、とても気に入った。みさ緒の見立ても僕の好みに合ってるし、第一とても着心地がいい。ありがとう。嬉しいよ。みさ緒に何かお返ししないとね」


「私、そんなつもりじゃ……」


「いいんだ。わかってる。、みさ緒にしてあげたいんだよ。和室に籠ってずっとこれを縫っていたんだろ? それほどの時間を使って僕のために仕立ててくれた、その気持ちが嬉しい」


「あ……」

 自分でも顔が赤くなっているのがわかった。

 一針一針に込めた思いが伝わったのかな、と思う。


 でも、こんなときに気の利いた言葉ひとつ返せない自分が情けない。さっきから恭一朗は何度も褒めてくれているというのに。


 みさ緒は自分があまりにも子供でがっかりしていた。


 恭一朗はみさ緒の様子にクスっと笑うと

「みさ緒に何がいいか考えておくよ。もし、欲しいものがあったら僕に言って。きよに言っておいてくれてもいい」


「そんな……欲しいものなんて」


「いいから。それとね、みさ緒……」


 少し間をおいて恭一朗が続けた。


「図々しいと思うかもしれないけど……また、機会があったら僕の着物を仕立てて欲しいんだけどダメかな?」


「えっ。いえあの、ダメじゃないです。嬉しいです。そんな風に言って、もらえて。図々しいだなんて全然……」


 恭一朗からの思いがけない言葉に一瞬驚いてしまったが、今度はちゃんと返事できた。いつもは、自分が恭一朗に何かをしてもらうばっかりなのに、恭一朗の方から頼まれごとをされるなんて、夢みたいだ。

 

 実は、予めきよから言い含められていたことがある。

 恭一朗は、自分に関してのことで、ほとんど好き嫌いを口にしない。だから、みさ緒が仕立てた着物について、恭一朗の感想が例え抑制的だったとしても、それは決して気に入らなかったということではない。だから、早飲み込みしてがっかりしたり、悲観したりしてはいけませんよ、と。


 恭一朗のそんな態度は、子供の頃のある苦い経験からきているらしい。恭一朗の何気ない一言で、冴島家出入りの魚屋が変わってしまったことがあったそうだ。たかが子供の言葉に誰かが気を回した結果で、それ以来、好きだの嫌いだの自分の好みを滅多に口にしなくなったということだった。


 でも、今日の恭一朗は全然違う。

 

 ごく自然に、みさ緒と好みが一緒だとか、仕立てが気に入ったとか、さらには、また仕立てて欲しいとまで言ってくれた。例え、お世辞が混じっていたとしても、みさ緒にとってはこの上ない言葉だった。



 

 

「そうか、よかった……。みさ緒、ありがとう」


(恭一朗さま……ありがとうって何回私におっしゃるんですか。ありがとうと言いたいのは私の方です)


 自分がしたことで、こんなに喜んでくれるなんて……。初めての経験にみさ緒の方が感激していた。

 



「みさ緒、ほら、見てご覧」

 恭一朗が、手を挙げて遠くの方を指さしている。


「あの奥にある山を越えたずっと向こうが、みさ緒の育った村の辺りだよ。今日は月がきれいだから遠くの山もよく見える」

 

「思い出します……。村では月も星も本当にきれいで…。今ではこんなに遠いんですね……」

 

 みさ緒が育った村と東京の冴島家とはかなり距離がある。恭一朗に車で村から冴島家に連れて来られた時には、かなり時間がかかった。


 冴島家での生活は初めてのことだらけで、亡きフミと暮らした村での生活が遠い昔のように感じている。こうやって思い出も少しづつ遠くなっていってしまうのかな……少し感傷的になって、恭一朗の方を見た。

 

 すると、恭一朗の着物の袖からのぞく二の腕に無数の傷痕が見えた。

 古い傷痕のようだが、かなりの数だ。まるで釘で引っ搔いたような傷痕だった。



「恭一朗さま、腕の傷痕……」

 思わず聞いてしまった。


「あ、これ? 子供の頃……、ね…」


「子供の頃の?」


「そうだな……。なんていうか……勲章、なのかな」


「くんしょう?」

 重ねて問いかけたが、恭一朗は笑ってそれ以上教えてくれなかった。




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