第8話

「知らなきゃよかった……」

 涙が止まらない。自分の部屋でベッドに突っ伏したまま、みさ緒はただ泣いた。

 自分から尋ねておきながら、そのてん末は思いがけないものだった。

(おばあちゃんが、私の本当のおばあちゃんじゃなかったなんて……)

 信じられない、と思う。あんなに優しくて、大事にしてくれて、いつでもどんなときでも私の味方で……。挙げればキリがないくらい私のおばあちゃんだったのに。


 確かに、ここにきてから微かな違和感を覚えていた。

 フミが自分の祖母なら、従兄である恭一朗にとっても祖母のはずだし、みさ緒の母である弥生の兄、琢磨にとっては母親のはずだ。

 だけど、二人の様子からは何か違うものを感じていた。

 思い切ってその違和感を琢磨と恭一朗に問うと、みさ緒とフミとの間に血のつながりはない、と聞かされたのだった。

 

 みさ緒の問いかけに、琢磨は静かに話し始めた。

 

 冴島の家は血縁関係が少し複雑で、とはいえ世間では珍しいことでもないが、自分の母親と弥生の母親は違うこと、つまり弥生とは父親だけが一緒の兄妹であること、弥生の母、みさ緒にとっての祖母はみさ緒が生まれたときには既に亡くなっていたこと、そして

「フミは、ずっとこの家に仕えてくれていた人でね。体の弱かった弥生の世話をしてくれていた」

 いわば、弥生付きの使用人だったと教えてくれた。

 それがなぜ祖母と孫というていでフミの故郷に戻ることになったか、については

「そのうち詳しい話をする機会もあると思うが、とにかく二歳になったばかりのみさ緒を残して弥生が亡くなったときに、みさ緒が一番安心して暮らせるのはどこだろうということになった。そのときに、フミが申し出てくれたのだ」

 という。

 みさ緒は、俯いたまま黙って聞いていた。想像もしていなかった成り行きが衝撃的で、必死に泣くのを我慢しているように見えた。琢磨は、その顔を両手で挟んで覗き込むようにするとこう言った。

「いいか、みさ緒。冴島の人間もフミも、みさ緒が大事だから、みさ緒のことを一番に考えてのことだったんだよ」

 恭一朗は、ただ黙って傍に立っていた。




 窓から見下ろすと、大きな庭では庭師が薔薇の手入れをしている。冴島家の薔薇といえば、見事なことで有名だそうだ。きよが教えてくれた。色や形もさまざまな花が競うように咲き誇っていて、芝生が広がる明るい庭園を華やかに彩っていた。

「きれい」

 思わず声が出た。今はもう泣くだけ泣いて心が落ち着いた。

 

 ノックの音と共に、きよが入って来ると

「恭一朗さまが、よかったら下にどうぞ、と」

 みさ緒を呼んでいるという。

 

 さっき、琢磨からフミときよの関係を聞いたばかりだ。みさ緒はきよの顔をみると思わず

「きよさん、私……」

 フミとは本当の家族じゃなかった、と言いかけた。恭一朗からみさ緒の様子を聞いていたのだろう。きよは、そっとみさ緒の手を取ると、その手に自分の手を重ねてこう言った。

「フミさんは、みさ緒様のおばあちゃん。それでいいじゃございませんか。こんなにみさ緒様に慕われて、フミさんもお幸せですよ」

 見れば、きよの目にもうっすらと涙が滲んでいる。

 

「お花、飾りましょうね」

 と、供花を持ってきてくれたり、フミの位牌に手を合わせたりしているきよのことを、みさ緒は自分の気持ちに寄り添ってくれる心優しい人なのだと理解していた。でも、それだけではなかった。きよにはきよのフミへの心情があってのことだった。

 

 きよは、冴島家に奉公にきてからフミに仕込まれて一人前になったこと、フミときよは親子のように仲が良く、きよにとってフミは特別な存在だったこと……。

 みさ緒がこの屋敷に来て以来、きよが親身になって世話をしてくれるのも、フミとの絆の強さによるものなのだろう。

 


「食べてごらん。甘くておいしいから」

 恭一朗が勧めてくれたのは、みさ緒が見たこともない洋菓子だった。皿の上には、小さくてかわいらしい菓子がいくつも並べられている。西洋のお茶だという紅茶も一緒に供された。恭一朗の真似をしてコーヒーを試したかったが、苦いから止めておいた方がいいと言われて諦めた。

 女の子は甘いものを食べると機嫌が良くなると知ってのことか、恭一朗は菓子を準備してくれたのだった。フミとは血のつながりがないと知った傷心のみさ緒を慰めようとしてくれているのは明らかだった。

 

 そぉっと口に運ぶと、今まで味わったことのない甘さが口いっぱいに広がった。

「おいしい」

 あまりの美味しさに思わずそう口にしたみさ緒を、恭一朗はニコニコしながら見ている。

 子供扱いされている、とわかっているが一口食べるごとについつい笑顔になってしまう。菓子を口に運ぶ手も止まらない。

 恭一朗の読み通りだった。


「お庭の薔薇、とっても綺麗ですね。思わず見惚れてしまいました」

 すっかり上機嫌になったみさ緒は、部屋の窓から見た薔薇を褒めた。

「うちの薔薇は有名でね。たくさんの人を招待して庭で宴会みたいなことを催したりもするんだよ。今度、みさ緒も参加するといい」

 と言うと、恭一朗は庭の方に目をやって話し始めた。


「薔薇もね、一朝一夕で綺麗な花を咲かせるわけじゃない。庭師が時間をかけてそれはもう丹精込めて世話をするんだ。その薔薇が本来持っている美しさを最大限発揮できるように、精いっぱい綺麗な花を咲かせることができるように、とね。薔薇は、その庭師の世話に応えるようにして、美しい花を咲かせる」

 

 みさ緒、と呼び掛けると、

「みさ緒とフミの十五年間は間違いなく真実の時間だ。二人の関係がどうであろうと消えることはない。フミは心の底から大事に思ってみさ緒を育てたんだと思う」

 今のみさ緒を見ればわかる、と恭一朗は言った。

「今度は、みさ緒がフミの心に応える番だよ」

 みさ緒は真剣な表情で聞いている。

 すると、恭一朗は急に照れたような顔になると少し早口になって言った。

「なんか年寄りの説教みたいになってしまった。ごめん。庭の薔薇を褒めてくれたんだったね」

「いいえ、恭一朗さまのおっしゃること、いちいち心に響きました。ありがとうございます」

 みさ緒は恭一朗が自分のことを気にかけてくれるのが嬉しかった。従兄だと言われても恭一朗は大人で、どこか遠慮する気持ちがあったし、遠い存在のように感じていたが、今は少し違う。

 身内とは、こんな風に気持ちを安らかにしてくれるものなんだと改めて思うのだった。


「みさ緒ちゃん、みさ緒ちゃん」

 遠くからみさ緒を呼ぶ大きな声が聞こえてきた。

「祥吾のやつだ」

 恭一朗が笑ってみさ緒を見た。

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