第7話

 みさ緒は、目の前に座っている男性にすっかり気圧けおされてしまってガチガチに緊張していた。言葉も出てこない。こういうのを、呑み込まれた、というのだろう。

 冴島琢磨、恭一朗の父だ。風貌はごく穏やかで、なにも威嚇しているとか、目つきが鋭いとか、ドスのきいた声だとか、そういうところは一切ない。

 むしろ上品と表現するのが相応ふさわしい佇まいをしている。だが、相手が圧倒されて思わず一歩引き下がってしまうような威厳が備わっている人だった。


「初めまして。みさ緒でございます。よろしくお願いいたします」

 緊張で声が上ずっているのが自分でも判った。なんとか挨拶だけはしたものの、それきりみさ緒は固まったように立っていた。


(恭一朗さまの嘘つき)

 そんなに緊張するようなことじゃない、と言った恭一朗に、みさ緒は心の中で毒づいた。


「初めましてか……」

 と笑うと


「みさ緒、元気そうでよかった。久しぶりだね。何年ぶりになるか……。みさ緒はいくつになったかな? どうした、そんなに固い顔をして。私のことを忘れてしまったか」


 琢磨はみさ緒の挨拶に軽く頷くと、笑みを浮かべながら落ち着いたやや低い声で話しかけた。


「十七歳です」

 自分の歳を答えるのが精一杯で、忘れてしまったかと聞かれても、正直何も覚えていない。というより、記憶の引き出しから何かのかけらを引っ張り出そうという心の余裕はなかった。


「父さん、無理ですよ。そんないきなり。みさ緒は二歳までしかここにいなかったんですから。僕のことだって、思い出してくれていないようですよ」


「そうなのか」


「ええ、昨日会ったときも、初めましての様子で僕のことを見ていました」


 二人の口から次々と思いがけない言葉が出て、みさ緒は、目を真ん丸にして二人を交互に見ている。


「覚えてないんだろ、みさ緒」

 と、恭一朗が悪戯っぽい目でみさ緒の方を見た。


「ごめんなさい。えと、思い出せなくて本当にすみません」

 覚えていないどころか、最初に会ったときは襲われるかと警戒して、恭一朗を睨みつけていたのだ。

 その時の自分を思い出すと恥ずかしくて顔が熱くなってくる。それに、恭一朗のからかうような態度も意外だった。

 会ってから今まで、恭一朗はとても落ち着いていて大人で、何にも動じない人という印象だったのに、こんな一面もあるのかと新鮮だった。大人の男の人と言っても、私たちと変わらないところもあるんだと、少し親近感が湧いた。


 琢磨と恭一朗は、顔を赤くして申し訳なさそうに小さくなってしまったみさ緒が可愛いと言って笑っている。


「みさ緒、お前の母親である弥生は私の妹だ。私はみさ緒の伯父ということだな。これからは、この家を自分の家と思って暮らしなさい。二歳までは弥生と一緒にここに住んでいたんだから遠慮などいらない。ここで暮らす内に、いろいろと思い出してくるだろう」


 恭一朗も相槌あいづちをうちながら

「私とは年が十歳離れているから一緒に遊んだ記憶はほとんどないだろうが、みさ緒と年の近い従兄がもうすぐ大騒ぎして会いにやって来る。きっと仲良くなるよ。小さい頃は、よく二人で一緒にいたからね」


「祥吾か」

 と琢磨が言う。


「はい。みさ緒がこの家に来たら絶対にすぐに会いに来ると言って張り切っていましたから」


 二人の会話を聞いている内にみさ緒は少し緊張がほぐれてきた。

 確かめたいことがある、とみさ緒が口を開いた。


「おばあちゃんが亡くなったことを、どうやって知ったんでしょうか? なぜ、迎えに来て下さることができたんですか?」


「そうか……。みさ緒は知らなかったんだね。電報を受け取ったんだよ」

「でんぽう……」

 繰り返すようにみさ緒が言うと、恭一朗はさらに続けて言った。

「寺のご住職から、きよ宛にね。フミさんが亡くなったと知らせてきた。もちろんフミさんがそうして欲しいと生前に頼んでおいたことだ」

「ご住職様からは、おばあちゃんから預かったと言って封筒を渡されて、それから、迎えが来るらしいから、それまではこの村に留まっているようにってことだけを言われました。おばあちゃんからの遺言だぞって」


 それに、とみさ緒は続けた。

 住職はフミの遺言というのを話してくれながら、さかんに、迎えに来るような知り人がいるとは不思議なことじゃとか、合点がいかんとか、まるきり自分は何も知らないようなことを言っていたのに、と訴えた。


「なかなかの役者だな」

 琢磨は面白そうに聞いている。


 恭一朗は、みさ緒をなだめるように言った。

 住職は決してみさ緒を騙そうとしたわけではなく、

「みさ緒が知っているべきことなら、何かしらの形でフミさんから伝えられているだろうし、フミさんから頼まれてもいないのに、下手にみさ緒に話して間違った成り行きになることを恐れたんだろう」


 恭一朗、と呼び掛けると琢磨が尋ねた。

「で、金の方はどうした?」

「あっさりと納められたそうです」

「そうか、信用できる人のようだな」

「僕もそう思います」

 

 口を挟むのもどうかと思ったが、やっぱり知りたい。

「あの?」

 遠慮しながら尋ねると、みさ緒を迎えに行ったとき、フミの供養のための志納金を納めに運転手の小林を寺に使いに出したのという。住職に、みさ緒を迎えに来たことを知らせる意味もあった。そう言えば、小林は「戻りました」と言って少し遅れてみさ緒の家にやって来た。


 住職は志納金が入った封筒の金額を確かめることもなかったそうで、恭一朗によれば、それは金額の多寡には関心がなく、

「住職としての務めを果たすことだけを考えている」証だと言う。

 琢磨が続けて

「つまりフミは、頼むべき人を間違ってなかったということだ」

 とみさ緒に言った。


 フミの話になって、鼻の奥がツンとして涙がでてきた。

「みさ緒は泣き虫だね」

 案の定、言われてしまった。恭一朗には泣いた顔ばかり見せている。

「そうか、みさ緒は泣き虫か。弥生と一緒だな」

 琢磨が笑っている。みさ緒は、泣き笑いの顔になっていた。

(お母さん、泣き虫だったんだね)

 フミからは、弥生について詳しいことはほとんど聞かされていなかった。みさ緒の心の中の弥生は白黒でぼんやりとしていて曖昧模糊あいまいもことしているが、その弥生にほんの少し色がついたみたいな気がした。

 琢磨に対する緊張も解けて最初より怖くない。ここで思い切って聞かなければいけないことがある、とみさ緒は思った。フミのことだった。

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