第4話

「また来る」と言って埜上が帰ってから、なんとなく身構えるような気持ちで過ごしていたが、埜上は訪ねて来なかった。


 どうやら諦めたらしいと思いかけていたある日の午後。


「おーい。誰かいないのか」

 

 表から大声で呼ぶ声が聞こえる。慌てて裏の畑から玄関の方に回ると、体の大きな坊主頭の男が立っていた。まだ、そう暑くはないのにバタバタと忙しく扇子を動かしている。


「あの……?どちら様ですか?」

 言い終わらぬ内に、

「おぅ、いたか。上がらせてもらおうか」

 と言うと、返事も聞かずにずかずかと家の中に入っていく。贅沢な身なりに似合わぬ横柄な口をきく男だった。男を追うようにして慌ててみさ緒も中に入ると、男はドカッと部屋の真ん中に腰を下ろした。


「ほぅ……」

 感嘆するような声を出して改めてみさ緒の顔をじっと眺めている。

 そして


「迎えに来た」

 と、いきなり言った。

「え?」

 

 思いがけないことだったが、もしかしたらフミの言っていた迎えの人かもしれない、と思いあたった。


「早く用意しろよ」

 決めつけるように言うと、またバタバタと扇子を動かしている。

 どこまでも偉そうな態度の男だ。


「大して持っていくものもなかろうが、もうここに戻ることはないんだから、早く自分の荷物をまとめろよ。風呂敷ひと包ほどもあるかどうかなんだろ。さぁさぁ早く」


 いきなり部屋に上がってきたかと思えば、みさ緒の返事も聞かずに、早く準備しろと急かすこの男……。この男が漂わせる何となく底知れない感じが気になる。

 

 でも、フミが言っていたという迎えの男なのかも……。

 どっちつかずでみさ緒がぐずぐずしていると、いつの間にか男が今にも息がかかりそうなくらいの近さににじり寄っていた。

 びっくりして思わず顔を背けたが


「ふぅーん」

 顎を撫でながらにやにやしている。


「なるほど埜上の言ってたとおりだ。そこらへんの娘とは、ちっと顔立ちが違う」

 とずけずけと言う。


「なっ……」

 男の口から埜上の名が出て、びっくりして振り返った。


「何をそんなに驚いているんだ? 埜上から話は聞いているんだろ? 埜上は、お前がちゃんと聞き分けたと言っていたがな」

 いざとなると里心がついたか、とまたにやにやしている。


「ひとりでいるんじゃ心細かろう? 生活のこともあるし、な。うちに来れば、他に女もいるし飯に困ることもない。慣れれば、こんないいところはないと思うようになるさ。それにあんたは、人気が出そうだ」


 機嫌を取るようにして話しかけてくる。こういうのを猫なで声、と言うのだろう。さっきから一人でぺらぺら喋っているが、この男について行った先の生活が明るいものだとはとても思えない。


「あの、本当に迎えの人なんですか? あの、聞くのが遅くなりました。お名前はなんと?」

「あん?」

「だからお名前はなんと?」

「名前? 名前がどうした。俺は、お前を迎えにきた者だ。それじゃ不服か?」


 違う、この人じゃない! 「迎えに来た」という言葉を聞いて、舞い上がってしまった自分が悔やまれる。自分の待ち人は、この男ではなかった。

 危うくとんでもない間違いをするところだった。行くつもりはありませんって、はっきり断らないと。

 そう思ったら心臓がバクバクしてきた。男がちらちら見せる怖い裏社会の雰囲気にすっかり呑み込まれてしまっていた。


「あの、私、行きません」


「なんだって?」


「私、行かないです」

 

 声を絞り出すようにしてそう言うと、ギュッと手を握りしめて男を見返した。怖くてしょうがない。全身がガタガタと震えてきそうになるのを必死に堪えた。

 男はじろりと目をむくと、小娘が生意気に逆らうつもりか、という顔でみさ緒を見た。

 そして脅しのつもりだろう、急に大きな声を出すとこう言った。


「今さら何を言っているんだ。いいから来るんだよ。もう埜上には金も払ってある。話は付いているんだよ」

 みさ緒の手をグイっと掴んで引っ張る。どうでも連れて行くつもりだ。


「止めて下さい!誰か助けて!」

 

 必死に叫んでいるつもりなのに、声が喉に張り付いてうまく出ない。口は大きくパクパクしているのにしゃがれた声が出てくるだけだった。

 もう一方の手を思い切り振り回して男から離れようとするが、あっさり両手を掴まれてしまった。大きな体に抱え込まれて身動きが取れない。

 

 男は、ふん、威勢がいい娘だ、だが生憎だが誰も助けに来ねえよと一向にひるむ気配はない。みさ緒は必死にもがき続けた。

 何とか男から離れようと、男の足を蹴ったりして暴れているうちに、みさ緒の着物の前がはだけてきてしまった。

 

 男に両手首をつかまれていて直すこともできない。どうにかして男の目から着物の乱れを隠そうと身をよじったりするうちに、みさ緒の真っ白い足が腿の辺りまで露になった。


 それを見た途端、


「誘ってるつもりか?」


 にたりと笑いながら男はみさ緒を畳の上に押し倒した。


 男の手がみさ緒の白い足の間に伸びてくる。

 恥ずかしさと恐怖でいっぱいになり、体が固くなる。男の熱い息が首筋にかかるのをなんとか跳ねのけたいのだが、がっちりと押さえこまれていてうまくいかない。


 左右に首を振って逃れようとしても、無駄だと言わんばかりに男の唇が追いかけてくる。

 


 男の力は強かった。みさ緒の力では敵いそうもない。このまま男に屈してしまうのかと思うと怖い、悔しい。でも、だんだん抵抗する力もなくなってきてしまった。

 この坊主頭に組み敷かれている自分の姿を思うと涙が溢れてきた。

 

 優しかったフミの顔が浮かんでくる。

(このまま、おもちゃにされて汚されるくらいなら、いっそ死んでしまった方がましだね、おばあちゃん……ごめんなさい。みさ緒は……)


 遠くで誰かの怒鳴る声が聞こえたような気がしたが、みさ緒はそのまま気を失ってしまった。

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