第3話
住職からフミの遺言というのを聞かされてから数日経ったある日。村一番の名家である埜上家の当主が突然訪ねてきた。埜上家は、古くからある家柄で、この村だけでなく辺り一帯では大人なら知らぬ人がないくらいの名家で、裕福であることでも知られていた。娘のりよは良家の子女らしく、おっとりと優しい性格でみさ緒とは同級生だった。りよとは特別親しかった訳ではないが、みさ緒には忘れられない思い出がある。
あれはまだ、みさ緒が幼かった頃……。村の男の子たちにかくれんぼに混ぜてやると言われて、みさ緒は喜んで仲間に入った。初めて遊びに誘ってもらえたことが嬉しくて、最初だからまず鬼をやれ、と言われても素直に従った。
「もういいかーい」
「もういいかーい」
何回か呼んでも、もういいよ、と返って来ない。それでも根気よく
「もういいかーい」
と目をつぶって木に額をつけたまま繰り返していると、りよが声をかけてきた。
「あの、みんなもう、あっちで鬼ごっこしてるよ」
最初からだまして笑い者にするつもりだった、と知ってみさ緒の顔は見る見るくしゃくしゃになり泣き出してしまった。
「みさ緒をいつまでも鬼にしてほぉっておくのが嫌だったから」
そういうと、りよは小さな白い布を差し出した。見たこともないような美しい布だったが、これで涙を拭けというのだろう。みさ緒は、黙って首を振ると駆け出した。りよが親切心で自分を気にかけてくれたのだとわかっていたが、それよりも村の子たちに騙された悲しさと悔しさでいっぱいだった。
「埜上の主だ。みさ緒はいるかね」と訪う声に玄関に出ていくと、薄暗い土間に埜上が立っていた。いかにも上等そうな絹物の着物をさらりと着こなし、信玄袋を片手にこちらを見ている様子が、名家の
「少し話があるんだが、上がらせてもらっていいかな。玄関先でするような話でもないんでな。なに、長居は、せん」
と言いながら部屋に上がりはしたものの、困ったような顔をして立っている。みさ緒が気付いて座布団を勧めると、ようやくほっとしたように腰をおろした。
「少しは落ち着いたかね。フミさんは急なことで私も驚いた。さぞかし大変だったろう」
と声をかけられた。はい、と応えたものの、同級生のりよの父親だということを知っているだけで、今まで言葉の一片すら交わしたことがない。それが、話があると言って訪ねてくるなんて……といぶかしい気持ちでいると、埜上は咳払いを一つすると
「フミさんが逝ってしまって、今後はどうするつもりなのかな、何か決めていることはあるのかね」
と切り出した。どうやらこれが本題らしい。
「……え?」
意外な話に俯いていた顔を上げると
「いや、もし奉公先なり仕事なりのあてがないなら、女中に来てほしいという家があるのでね。あんたにどうかと思ってな。あんたも、働かないわけにはいかんだろう。この先、どうしたって生きていかねばならん」
仕事の紹介とは……フミが生きていたときには、私たち二人に構おうとする人はいなかったのに、と思いながらみさ緒は埜上をじっと見返している。そんなみさ緒の様子を気にする風もなく、さらに続けて言った。
「女中として奉公するうちに、あんたも年頃になれば、どこかいい縁があるかもしれんしな」
「……」
みさ緒が黙ったままなのを、話の続きを促しているとでも勘違いしたか、埜上はとんでもないことを言いだした。
「もしかしたら、世話をしたいと言う人物とて現れないともかぎらん。いや、あんたさえよければ、今すぐに世話をしてもいいという者もいるにはいるんだが……」
「世話……」
オウム返しにみさ緒がそういうと
「あんたも子供じゃなかろう。わかるな?」
ねっとりした目つきでそう言われてようやくわかった。急に話があると訪ねてきたのはそういうことなのかと思った。フミがいなくなったのを幸い、小娘が一人になったかと、こんな話を持ち込んでくるとは、名家の主人がきいて呆れる。玄関先ではできない話だというはずだ。万が一にでも人に聞かれるわけにはいかない類の話だ。おっとりと上品にふるまっているこの人物の裏の顔を垣間見た気がして、みさ緒は何とも言えない嫌な気持ちになった。
ふと、りよは父親が裏でこういう人買いまがいの仕事に関係していることを知っているのだろうかと思った。
「あんたにとってそう悪い話でもないと思うがね。ま、ゆっくり考えなさい」
と言って、よっこらしょと立ち上がると、着物の裾をパタパタと執拗に払っている。埜上には、この家がうすぼけて汚く見えているのだろう。
「あの、私はいいです」
「うん?」
「仕事を紹介していただかなくても、私は大丈夫ですから」
と、小さい声だが、はっきりとみさ緒は断った。
「まぁ、早まりなさんな。いきなりの話で驚いたんだろう。いいから少し考えなさい。落ち着けば、決して悪い話じゃないとわかるはずだ」
押し付けるように言うと、フミの位牌に手を合わせることもなく、
「また来ますよ」
と、さっさと帰って行った。
埜上の後ろ姿を見ながらみさ緒は思った。もし、フミからの伝言を住職から聞かされていなければ、心細さのあまり、さっきのような胡散臭い話にも心が動いたかもしれない、と。フミは、こういうことがあるかもしれないと判っていて、住職にあんな頼み事をしておいたのだろうか……。自分はずっとフミに守られていたのだ、と思い知らされた気がして、いっそう心細さが募った。
「おばあちゃん……」
呼んでみたけれど返事は返って来ない。みさ緒のすすり泣く声だけが薄暗い部屋に響いていた。
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