第7話 面倒見

 工場見学から一週間が経ち、セシリアは通常の生活に戻っていたが、ウルスラは時間の空いた時にスビアまで足を運び子爵達の様子を伺う日々が続いている。


 ホテルに着いてからミルトンが発熱して寝込んでしまったのだ。

 医者に再度診てもらったが、怪我と疲労が重なったのではないかという診断だった。


 ウルスラは看病のために通い出し、ミルトンは数日程ですっかり回復したのだが、それでも暇を見つけては差し入れなどをして様子を見ている。


 もちろん、ビアンカの秘書として今までと変わらなく仕事をしてもいる。


 彼女の方が体を壊さないか心配したが、同宿のアミルもホテルの従業員も交代で見ているのでそれ程苦にはなっていないと言う。


「弟がいるからね、彼女にも。重ねてるのかもしれないわね」


 今日もビアンカの練習の合間に、手製のソパデアホ(ニンニクのスープ)を持ってホテルに行くウルスラの後ろ姿を見送り、ビアンカが呟いた。


「へえ、知らなかったです」

 今日は屋敷で仕事をしているセシリアも、毎日のように顔を合わせているのに彼女の私生活のことはあまり聞いたことがないことに気づいた。


「何度か会ったことあるけど、大柄な弟さんでね」

 縦にも横にも、と付け加えた。


「もう三年近く前かしら。兵役で召集される前に挨拶に来たのよ」


 この国には徴兵制度があり、国籍を持つ男性は十四歳から十八歳の間に二年間の兵役が課される。


「家の関係でぎりぎり十八歳で入隊したって言ってたけど、もう兵役は終わったはずだわね。でもあれから来てないから、そのまま軍隊に残ったのかしら」

 いや、でもまさかね、とひらひら手を振る。


「あの甘ったれが海軍で続く訳ないわ」

「甘ったれ?」

「お姉ちゃんが大好きでねえ。会えなくなるのが寂しくてめそめそ泣いて離れなかったのよ」


 縦にも横にも大きな男が、糸杉のような華奢な姉に縋って離れたくないと大泣きしたという。


「なかなか離れようとしないから、スエロスに一喝されてね」

 それでも引き摺られるように連れて行かれたそうだ。


「面倒見がいいですもんね、ウルスラさん。弟さんが離れたくない気持ち、わかるかも」


 セシリアは娼館のゴメス夫妻に売られてこの屋敷に来た時に、研修として行儀作法の講習をウルスラから受けた。


 数々の娼婦の指導的役割をしている大姐さんから匙を投げられた、専門ばか&脳筋のセシリアを矯正するのは並大抵のことではなかった。


 背中に定規を入れられたり、言葉遣いを間違うと睨まれたりとスパルタだったが、きちんとできた時には一緒になって喜んでくれたり、できなくて落ち込んでいる時は大丈夫だと励ましてできるまで付き合ってくれた。


 不器用な頑張りをちゃんと認めてくれるのを感じることができるから、もう少しやってみようと思えたのだ。


 できないことに、何度も同じことを言わせるなと言うことは簡単だが、それを口にせずにやる気を出させるのは相当なことだと今なら思う。


 使えない奴だと切り捨てはせず、最後まで向かい合ってくれる愛情深い人なのだ。


 弟さんもそれをよく知っているから離れがたかったのだろう。


「まあね。助けられてるからね、私も」

 ビアンカはそろそろ練習始めるか、と屋敷に入って行った。


 みんな彼女の懐に甘えているのだな、とセシリアは自分を棚に上げて口元を綻ばせた。


 ミルトン少年も世話を焼かれるうちに……などと埒もないことを考えて、セシリアは庭へと足を向けた。



 次の日、元総督府に出勤したセシリアは庭木の生育状態を確認する作業を午前中いっぱいした。


 ついでに鷲甕の間にも足を向けて、ロースメリーザの木を見に行った。


 表面に艶のある若葉が風に揺れている。

 目を閉じて少しの集中をしてから開くと、『10』『4』という数字が浮かぶ。


 『10』とあるのでこの木自体はあと十年くらいの寿命で、『4』は季節の通りに順調に生育していることを示している。


 ノートに書き記してから鷲甕の間を後にし、執務室へ戻ろうとしている時にアミルと行き合った。


「こんにちは、アミル先生」

「こんにちは、セシリア」

 ちょうど良かったと続けた。どうやらセシリアを探し回っていたようだった。


「実は明日、子爵とミルトン君がここを訪れることになったんだ。セシリアにも先日のお礼が言いたいそうなんだ」

 なので明日は出勤するかどうか問い合わせたかったらしい。


「じゃあ、出勤します。ミルトン君、良くなったんですか?」

「熱も下がったし、怪我の具合も良好なようだよ」

「それはよかった。アミル先生も看病大変でしたね」

「僕は補助するくらいしかしてないよ。ほとんどウルスラさんかホテル従業員がしていたから」


 ホテル従業員も言葉の関係で対応できる人が限られていたので、ウルスラの献身はとても助かっていたそうだ。


「その甲斐あっての快復ですね」

「それと、香水工場の研究員達のお陰もあるかも」

「え?」


 怪我に塗る精油を届けに来た時に発熱もしていると聞いたので、解熱冷却作用のある精油を調合して持ってきてくれたのだ。


 研究員は交代制で本社(街中にあるので工場から来るより近い)に泊まり込んで、定期的に様子を見にきていたと、アミルは話して聞かせてくれた。


「……研究材料にされたんでしようね」

 ゆっくりしたいだろうに、側でがやがやされたミルトン少年に大いなる同情を寄せたセシリアだった。

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