第6話 医者と警察

 医者が到着したので、事情聴取を始めようとした警察は一旦中止して診察のために退室を余儀なくされた。


 表立った怪我は研究員が処置したが、服の下やその他の専門的でないとわからない所見があるので、後のことは医者に委ねる。


『私は一番軽傷だ。彼らを先に診てくれ』

 貴族である子爵を診察しようとした医者に、侍従と御者を優先してほしいと子爵は告げた。


 ウルスラが通訳すると、医者もほっとしたように承諾する。白髪混じりの医者は初見で一番重い傷を負っているのは侍従の少年だと見立てていたようだが、貴人より先に診てよいものか迷いがあったのだ。


 医術を生業とする者としての前提は貴賎の隔てはないものの、やはり世の体裁もある。

 そして、世の特権階級に属する人々は、何事にも優先されることが既得権益のように思っている人もいる。

 それを無視して前提を押し通せば、医者に咎が下りることもあるのだ。


 コールフォード子爵は世間ではまかり通る偏向な視点ではなく、全体を見てそのように判断をしたのだと思われる。


 なかなか良い気質の青年だな、と居合わせている者達の視線が変わったのを、アミルは感じとった。


 ミルトン少年の切り傷は縫合する程でもなく、他には肩の打撲があり、御者の男性も脇腹に軽度の打撲があったが、二人とも骨には異常がないのでその部分には研究員が調合した冷湿布を貼った。


 薬効成分は医者の処方するものとほぼ変わりはないため承認が下りたのだ。


 研究員達は応急処置に使用した精油を説明して、処方箋に記載してほしいと願い出た。

 これからの治療でも精油を使用して、その効果を検証したいとのことだった。


「精油は自然治癒力を高める働きがあるとの論文もあるし……そうだな、結果を私にも報告してもらえるだろうか」

「もちろんです! 先生」

 研究員達は声を揃えて答えたので、医者は精油での療法を正式採用した。


 なんだか楽しそうだった。



 医者が帰った後、警察官が入れ替わる。


 窓から差す日差しはだいぶ傾いてきて、会議室の壁掛け時計を見ると十六時を半分過ぎていた。

 忙しなく動くペンが机の上に長い影を作っている。


 二人の警察官は聞きたいことが終わると同時に手帳を閉じた。


「お疲れでしょうし、今日はここまでにします。何かありましたらお訪ねすることがあると思います」


 警察官が言った言葉をアミルが訳して伝えると、子爵は手間を掛けるとこの国の言葉で伝えた。


 貴族などどこの国でも同じなのかと思っていたが、彼からは居丈高なものは感じられず、知っている言葉を使って感謝と労いを直接伝えたことは警察官達にも好印象を残した。


「今晩のお宿は決まっているのでしょうか」

 警察がそこまで護衛するという。


 行く先だったエルティエナに着いたら宿を探そうとしていたそうで、特に決めてはいないという。


 御者は子爵達を目的地に送り届けるだけだったので、怪我のこともあるので、ここまでにしてもらいたいと申し出た。

 怪我の具合のこともあるし、これから先へ行っては今日中に帰宅することはできなくなるので無理強いはできない。


 子爵はここまでの代金を支払って、感謝と詫びを述べた。


「エルティエナは観光地ですが、小さな町ですからね。これから行って宿を探すのも難儀でしょう」

「お怪我もしているし、言葉がわかる方がいた方が子爵も安心なのでは?」

 警察官二人はアミルとウルスラを見ながら話し合っている。


 警察でもエリゲールド国の言葉を話せる人がいないようで、何だか警察は子爵達のことをこちらに任せたいようだ。


 アミルとウルスラは顔を見合わせた。


 その時、ノックがしてセシリアとスエロスが入ってきた。

 時間的にそろそろここを出ないと帰宅が遅くなるという。


「僕が泊まっているスビアのホテルなら、エリゲルード国の言葉もできる人がいると思います」

 アミルの定宿は元総督府の調査員達が宿泊しており、多言語対応ができるスタッフがいる。


 子爵達には、エルティエナとは反対方向になるがその方が安心できるのではないかと提案した。

 怪我をしているので数日は休んだ方がいいと思うので、そうなると言葉のわかる人がいる所の方がいい。


 この提案に子爵も頷いた。



 警察の護衛もつくというが、スエロスが必要ないと断った。


 ビアンカは私生活をあまり晒したがらないので、居住地を特定されるのもできるだけ少なくしたいのだ。


 警察とて所詮は人の集まりだ。一人ひとりに規則が徹底できる訳ではないので、どこから何が漏出するかわからない。

 それを未然に防ぐために知られる人数を最小限する。


 それに、実際に護衛など必要ない。


 不測の事態があっても、どうにかできるだけの備えはある。



 御者台には手綱を持つスエロスとセシリアが座った。


 ミルトンは使用人なので客車には乗れないと言ったのだが、一番重い怪我をしているのだからと全員から止められた。


 最終的には主人の子爵に命令されて大人しく座り、座席の関係で言葉のわからないセシリアが御者台に行くことになったのだ。


「ちょっと急ぎで帰るぞ。よく周りを見て、気づいたことがあったらすぐに言え」

「はい」

 スエロスから渡された拳銃を点検し、ホルスターに留めた。

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