第5話 応急処置

 警備の男性が言っていたことがようやくわかった。


 エリゲールド国の貴族達は工場の一室、『研究室』と札の掛かった部屋に運び込まれた。


「切り傷にはまず、ラベンダーでしょう」

「いや、ゼラニウムも止血・抗菌作用がある。まずはこちらで試してみましょう」

「いやいや、レモンとサイプレスを混ぜたハママリスの蒸溜水ですよ」


 テーブルの上にはずらりと大小様々の瓶があり、実験室の主任と部下二人は応急処置の方法について諤々と自論を主張している。


 当の怪我人は放置されていて、アミルもウルスラも面倒なので意訳でしか伝えていない。


 そろそろ医者が到着するのではないかと思うのだが、研究員達は机上の空論を繰り返すばかりだった。


 工場では、精油成分分析の他にも効果・効能の研究が進められていて、ここにいるのは大学でその学問を修学した研究員だ。


 ゆくゆくは工場近くに病院を併設して、傷病治療に精油を役立てたいとペレス社長は考えているのだ、とウルスラが一昨日聞いた話しを教えてくれた。


「あの、そろそろ応急処置をお願いします。お医者様が来てしまいますよ」

 ウルスラが見かねて進言した。


 医者が来てしまったら、すべて消毒液で殺菌消毒されてしまう。そうしたら、精油の効果を試す好機が遠のいてしまう。


 研究員達ははっと顔を見合わせてそのことを確認すると、怪我人は三人いるのでそれぞれ担当を決め、自分の最良だと思うものを処置する方法に転換した。


 何を試してみようか、分量や濃度は、などとぶつぶつ言いながら処置が開始されていく。

 怪我人を前にしてもたもたするなとウルスラ辺りは思っているだろうが、研究員達のその熱中はセシリアにもわかる気がする。


 花が長く咲いていられるように、この木が長い冬を超えてまた次の季節に葉を出し実をつけられるように、どの肥料や栄養分をどのくらい配合しようかと仕事では考えてしまう。


 そうして考えている間は悩ましいこともあるのだが、集中力が増して楽しくもあるのだ。


 対象が人か草木かの違いだけだ。

 セシリアは研究員達に己の片鱗を見てしまい、あまり非難できないと思ったので口を出すことはしなかった。


 侍従の少年ミルトンの側にいるアミルも同じく面映ゆい目をしているので、きっと同じ居た堪れなさを抱いていると推測った。


 一番深い傷を負っているのはこのミルトンだった。左腕を剣のようなもので斬られた傷跡と擦過傷がある。


 子爵は流血がひどいが、額を切った傷だけだ。だが、それは見たところであって、服を脱いだらまだあるかもしれない。


 御者の男性は頬のあざと肩の打撲だ。


 言葉が話せないので詳しいことはわからないが、一応護身用に短銃を持っていたらしい。それを使う間もなかったようだ。


 野盗の手際が良かったのか、子爵達が臆したのか。


 気になるところではあるが、これ以上は警察の仕事だ。


 余計なことをするとどうなるか、身をもって知っているので好奇心は程々にする。


 応急処置が終わったところで警察が到着した。

 地元の警察官はエリゲールド国の言葉は話せないので、そのままアミルとウルスラが通訳でついた。


 セシリアはできることはないので、馬車も到着したというのでスエロスに報告がてら向かった。


 工場の端にある馬車の停留場には二台の馬車が停められている。


 スエロスは警察の制服を着ている男性と話をしていた。事情聴取されているのだろう。

 セシリアが近づいてきたのを見ると、話を止めてどうかしたのかと尋ねてきた。


「向こうにいても何もできないから」

 なので、こちらの状況説明を受けることになった。


 とはいえ、スエロスがほぼ受け答えをして、セシリアは頷いたり同意の相槌を打つだけで終わった。


 馬車を見るとガラス窓は割れて、ドアには傷がついている。

 乱闘の跡が生々しく残っていた。


「恐らく、外国人観光客を狙った犯行でしょうね。これから夏にかけて増えるんですよ。この先のエルティエナには壁画の他に巡礼路の札所の教会もありますから」


 カシウス教の聖地を巡る旅路の番所がこの先の街にあるので、温かくなると巡礼で訪れる人も多く、周辺各国はおろか遥々西の帝国からも巡礼者が来ると警官は言う。


 外国人は大金を持ってきているから盗賊に狙われやすく、中には護衛を雇う人もいる。


 今回は貴族と侍従の二人旅で、現地で馬車を雇っていた。

 セシリアは又聞きだが、子爵達も短銃を持っていたことを言うと、護身の準備はあったのですね、と警察官はメモをした。


 書き終えた警察官はぱたんと手帳を閉じて、セシリアとスエロスに顔を寄せた。


「すいません、全然事件に関係ないんですけど、お二人からずっといい匂いがするんですよね」


 二人は顔を見合わせて、ジャケットのポケットから白く細長い紙を取り出した。


「これですか?」

 警察官の鼻先に近づけて軽く振ると、あーこれこれと警官はうっとりと目を閉じ、香りを嗅ぐのに集中する。


 精油になったロースメリーザは、仕事中の警察官も無視できない威力があるようだ。

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