第4話 午後

 昼食を挟んで、再び工場へと戻る。


 午後からタンジェリンの圧搾をするというので、見学させてほしいと申し出たら工場長も快諾してくれたのだ。


 工場へ戻るまでは十五分くらいかかるが、お腹も膨れている上に陽気もいいのでついうとうととしてしまう。


 ちなみに、工場ではシエスタは導入していないという。

 工員のほとんどが近隣の町や村からの通いなので、暗くならないうちに帰宅できるようにと社用乗合馬車で停留所まで送迎しているそうだ。


 郊外というよりは田舎なので辺りには何もない。


 窓から広がる景色を見ても、山と起伏のある野原が広がっているだけ。高い建物は辛うじて工場の尖塔が見えるくらいだ。

 街へと繋がる街道はそのただ中を通っていて、街路樹もまばらにしかない。


 暗くなればどこを歩いているのかもわからなくなりそうな暗闇になるのだろう。


 そうなると不測の事態が起きた時の対処ができなくなる。


 工員を守るための就業規則なのだ。


 まだ工場に着く頃合いでもなかったが、馬車は速度を落としてから止まった。


「どうしたんですか、スエロスさん」

「鍵を掛けろ。窓も開けるな」

 返ってきた言葉は不穏な響きを含んでいた。


 よくわからないが言われた通りに鍵を掛け、窓を閉じた。

 その時に外を見ると少し離れた路肩で馬車が停まっており、その周辺は土埃を上げている。


「野盗かもしれん」

 その一言で全員の顔が引き締まる。


 この辺りは田舎で何もないが、香水工場をはじめワイナリーの葡萄畑や畜産農家も多い。

 出荷時の商品や出荷後の売上金などを狙う野盗がいるとは聞いたことがある。


 ここではないがセシリア自身も盗賊に襲われたことがあるので、狙いやすい場所なのだろうと想像がつく。


 経営者もそれに備えて、大抵は護衛などを雇って警備をしているので、成功率はかなり抑えられているはずなのだが。


 銃声が二度と鳴り響いた。


 スエロスが野盗に警告と工場に緊急事態を知らせるために撃ったのだ。


 工場にも警備を担当している部署があり、それなりの装備もある。伝令が地元警察にも走るだろう。

 大勢がつくのは時間の問題なのは火を見るより明らかだ。


 それは野盗も重々承知のようで、馬に乗って一斉に退散する。


 追うこともできたが、襲われた馬車に怪我人がいるかもしれないので救護が先だと言うので、スエロスとアミルが馬車から降りた。


「私も行きます」

 セシリアが降りかけると、全員で止められた。


「だめです。また怪我したら大変です」

「だめよ。余計なことをするとどうなるか、この間身をもって知ったでしょう」

「何かあったらお前さんにも頼むよ。それまで大人しくしてな」

 アミル、ウルスラ、スエロスが畳みかけるように言うので、馬車から降りることはできなくなった。


「アミル先生よりは役に立つ自信あるのに」

 二人の背中を見ながらぶつぶつ言っているとウルスラがいいじゃないと手をひらひら振った。

「面子があるのよ。行かせてあげなさい。それに、どうにもならない時に颯爽と助けに駆けつける方が格好いいわよ」


 そっかあ、とセシリアはうまく言い包められたとも知らずに、そうなった時の場面を妄想して悦に入る。

 ウルスラの手の平で転がされていることには気づく様子は麦粒程もなかった。


 ぴいっと口笛が鳴ったので窓の外を見ると、スエロスがこっちに来るようにと手招きしている。


 セシリアとウルスラも馬車を降りて先方へ駆けつけると、血の匂いが鼻についた。


 御者と思われるブーツを履いている男性は頬に青あざができており、十代半ばと思しき少年は腕から血を流して車輪に背を預けて座っている。

 その少年の横で心配そうに様子を見ている二十代後半の男性も額が切れているようで、頬や顎にまで血の跡がある。


 アミルが二十代くらいの男性に話しかけているが、この国の言葉ではなかった。


「エリゲールド国の言葉ですね」

 その国がイスペリエ国の北西にある島国だということは、セシリアも学校の地理の授業で習ったことがある。


 ウルスラは都の大学を卒業した才女だけあって、近隣国の言葉は話せるので彼らの話している言葉がすぐにわかった。


 手元にあるもので処置をしてアミルとウルスラが事情を聞き出すと、彼らはエリゲールド国の貴族とその使用人だということだった。


 二十代くらいの男性はコールフォード子爵ルイス・ベアリングで、十代の少年は彼の侍従のジェームス・ミルトン、御者はこの国で雇った男性だという。


 彼らは大陸周遊グランドツアーの最中で、この先にあるサンタ・クルス教会の前世紀の壁画を見に行く予定だったそうだ。


 遠くから蹄の音がしてきた。

 工場からの警備員が馬で駆けつけてきたのだ。


 加勢が来たが、野盗は退散した後なので怪我人もいることだし、一番近い香水工場へ行くことになった。


 それをアミルが訳して伝えると、子爵は自ら立ち上がった。


「手間を、かける」

 子爵は片言だが、イスペリエ国の言葉で言った。

 グランドツアーに行けるくらいだから多少の外国語の知識はあるようだ。


「いやあ、あまり期待しない方がいいですよ」

 貴族から頼りにされたはいいが、警備の男性は気まずそうに頭をぼりぼり掻いた。


 あ、これは訳さないでね、と言われたのでアミルもウルスラも伝えなかったが、セシリア達も頭に「?」が浮かんでいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る