第3話 工場見学

 郊外に向けて馬車は進むと、三十分もすると丘に沿うような道になり、なだらかな斜面にはにはオリーブの木が点在するようになる。

 五月の時点ではまだ実をつけてはいないが、夏を過ぎた頃にはカゴや袋に摘んだもの入れている人をよく見かける。


 時折、放牧されている牛や豚(生ハムはこの地方でも名産品)が落ちている木の実などを食べている風景に出くわすようになると徐々に山が迫ってくる。


 緩やかな勾配や大小の丘を超えると、開墾したと思われる開けた場所に出る。

 赤や白の花が咲いている花畑だった。


「この辺りはもうペレス社長の農園ですよ。あの花はゼラニウムね」

 ウルスラが馬車の窓を開けると、山からの冷涼な風に乗って甘いけれども青くささの混じる花の香りが届く。


「原料から栽培しているのですね」

 アミルが尋ねると、ウルスラは頷いた。


「香水の材料を他所から調達するより自家製にした方が安上がりだし、利便があるのでしょう。それに、香水の他にも精油も製造販売しているそうですよ」


 ゼラニウムの他にラベンダーやオレンジも栽培していて、ここからは見えなかったがバラを育てている温室もあるらしいとウルスラは付け加えた。


 花畑の奥にある石造りの建物は工場で、元総督府にある礼拝堂と同じくらい大きい。


 馬車は工場のだいぶ手前にある門の前で停められて、ここから先へは馬車が入れないので中へ行く人は歩きで向かうことになる。


 匂いに敏感な馬もいるので、厩舎は離れた所にあるそうだ。


 スエロスとはここで一旦別れて、セシリアとウルスラ、アミルは門番の先導で中へと入っていった。



 工場に入る前からハーブの青くさい香りが漂っている。


「ようこそ遠いところからお越しくださいました。私はここの工場長をしております、ファブレガスと申します」


 ペレス社長は本社の週初の会議が長引いているので、こちらに来られないかもしれないため、今日は工場長が案内をするという。


 事前に見学するメンバーの先触れを出していて、ビアンカが来ないことを知っていたからだろう。


 その憶測は誰も口にはしなかったが、それぞれ素知らぬふりをしていても脳裏に浮かんだのは同じことだとその表情から類推できた。


 でも社長がいれば気も遣うので、これはこれで良かったのではないかと心の安らぎを重視することにする。


 作業現場に入る前に頭には三角巾と服の上から白い上っ張りを着て、マスクをする。


 異物混入には細心の注意をしているのでこれが義務らしい。


 働いている工員達も皆同じ白い作業着と帽子、マスクをしている。


 水蒸気蒸留法の装置は見上げる程大きく、今はローズマリーの精製をしていると工場長が説明してくれた。


 そこを通り過ぎて次の部屋に続くドアを開けると、有機溶剤法を扱う部屋になり何人かの工員がセシリア達を待っていた。

 その中に土曜日に屋敷に来ていた男性工員の姿もある。


 挨拶をしてから早速、作業に移ることになった。


 すでに溶剤には花が入れられて、蒸発をさせてあると説明を受けた。

 残っているのは『コンクリート』と呼ばれるもので、これからアルコールに混ぜて芳香成分を抽出する。


 最後にアルコールを飛ばして精製すると『アブソリュート』ができる。


 工程は全て工員がしたので、セシリア達は説明を受けながら眺めているだけだった。


「これが『ロースメリーザアブソリュート』です」

 青い遮光瓶に入れられた精油を工員が差し出した。


 滴下された試香紙が配られて、鼻先より離れていてもその芳香の勢いを感じる。


「前のものよりロースメリーザらしさが際立ちますね」

 セシリアの言葉に全員が頷いた。


 水蒸気蒸留法の精油が香り高いという表現が似合うとすれば、有機溶剤法は力強いという方がしっくりくる。


「水蒸気蒸留法では抽出できなかった成分が含まれているからでしょう」

 精製した量も以前の二倍近くあると工場長は、テーブルの上に並んだ茶色と青の瓶を見て言う。


 バラやジャスミンなど花部での抽出が難しい時に用いられる製法で、量もそうだが、水蒸気蒸留法ではできない成分や色素なども抽出できるのだ。


 この精油は大半は研究分析の名目で工場が保管することになった。


 だが、セシリアとアミルには漏斗を使って小瓶に分けたものをそれぞれ渡して寄越した。


 工場長は研究結果がでたら報告レポートを送ると約束した。


 時間もお昼を少し過ぎてしまったので、香水工場で出た植物廃棄物を飼料に混ぜて与えている養豚場があり、そこが直営しているレストランがあると工場長に教えてもらった。


 農場の奥さんと跡取り息子のお嫁さんが調理をしている小ぢんまりとしたレストランで、ハーブを食べているお陰で臭みがなく、ポークソテーも脂の旨味を引き立てるために最小限のスパイスしか使っていないという。


 トマトと豚肉の煮込みも肉が柔らかくてナイフを使わなくても身がほぐれた。


 スエロスも加わって四人で料理を分け合い、充分豚肉の美味しさを堪能し、パンツのボタンが苦しくなるくらいお腹が膨れた。


 

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