第20話 悪巧み
少し横になって休んだらどうかと言われたが、昼間に寝ると夜眠れなくなるので断った。
「まだ痛むんじゃないの?」
ビアンカはほつれて頬にかかる髪を耳に掛けてくれた。
「うん、でも大丈夫」
ベッドから起き上がるのをウルスラが手伝ってくれた。
「外はどうなっているんですか」
「もう街路にはほとんどいないわ」
ナイフを持って人質をとっていた男はイスペリエ国の憲兵に引き渡された。
本来ならフランソル国の捜索隊に逮捕権はあるのだが、イスペリエ国の人間が被害に遭っていることからまずはこの国の当局で取り調べするようになった。
その手配をしたのはガルシアだという。
彼もその場に居合わせ、アミルの通訳で男が亡命貴族ではないと主張しているのを聞いた。
当該人物でなければ引き渡す義務はない。こちらで捜査聴取して、罪を問えるならこちらの国の法律を適用する。
ガルシアは中央権力を最大限利用したようだ。
「人質だった女の子は?」
「ちょっとあざができたくらいだそうよ」
「怖かったでしょうね。心にも傷を負うことがあるから、しばらくは気に掛けてあげるようにお店の人に伝えてください」
そうねと、ウルスラはいつも持ち歩いている大きな手帳に書き記した。
「じゃあ、フランソル国の捜索隊は?」
「そっちも憲兵の事情聴取を受けているわ」
しばらくは亡命貴族の捜索も中断されるのではとのことだ。
疑惑が大いに残っているので、そのことも含めて明らかになればいい。
「私達もいずれ事情を訊かれるわね」
ビアンカは口元に手を当てて小さくあくびをした。
昨日は夜会で夜遅かったのだ。ゆっくり寝ているところを叩き起こされたのだろう。一件落着したら眠気が襲ってきたようだ。
「お、もう起きて大丈夫なのか?」
部屋を覗いてきたのはスエロスだった。
「心配をおかけしました。まだちょっと痛みますが、大丈夫です」
セシリアはベッドから立ち上がり、頭を下げた。
「ありがとうございました、スエロスさん、ビアンカさん、ウルスラさん」
命を助けてくれたのは他ならぬ彼らだ。
礼を言うのは早い方がいい。
「いいのよ、そんなの」
「そうよ。お互い様なんだから気にしないで」
ビアンカとウルスラは手をひらひらさせながら言い、スエロスはセシリアの頭を撫でて髪の毛をくしゃくしゃにした。
改めて形式張ると恥ずかしいのだろう。
それはお互い様なので、セシリアも髪を直しながら照れ笑いした。
「帰れるか?」
セシリアが頷いたので、ビアンカとウルスラも席を立った。
屋敷に帰る前に、旦那さんと女将さんに挨拶をしに支配人室を訪ねたら、二人の他にガルシアとアミルもいた。
ちょうどいいので、まとめて今回の事態の謝罪と感謝を述べた。
「もう平気なんですか?」
三角巾に吊るされた右手を痛々しそうに見てアミルが尋ねた。
「はい。先生にもご心配かけました」
口角を上げると、アミルの眉の間の皺も取れた。
「今日はもう仕事どころではありませんのでこのまま帰宅してください。明日から休み扱いにしますのでしばらくは無理せず、ゆっくり養生してください」
ガルシアから休みの許可が出たので、セシリアは再度頭を下げた。
フランソル国の捜索隊も事情聴取があるので、元総督府の捜索もすぐには再開されないだろう。
その間は気兼ねなく休むようにとのことだ。
「とんだ迷惑かけたな、セシリア。お礼を言うのはこっちだよ」
「あんたが来てくれて早期解決したのよ。ありがとう」
旦那さんと女将さんには逆に頭を下げられてしまった。
「怪我までさせてすまないな。後でカサディエーレスを持っていくから」
カサディエーレスはクルミやナッツが入った餡をパイ生地で包んで焼いたお菓子だ。
セシリアの大好物を覚えててくれたようでそれも嬉しいが、カサディエーレスは久し振りなのでそっちも大いに嬉しい。
思いが顔に出てにやけていると、皆んなに笑われた。
「ああ、それからビアンカ。近いところであんたに舞台をお願いすることがあるかもしれないけど大丈夫かい?」
「いいですよ。ゴメスさんの頼みですもの」
急な依頼に快く答えたが、何かありそうなので答えを待った。
「フランソル国の方々をご接待しようと思ってねえ」
「聞けばうちだけじゃなくて、他店でも踏み倒しがあったようでなあ」
騒ぎに乗じて精算をせずにトンズラした不届き者がたくさんいたようだ。
「損失の補填をしなくちゃならないからね」
騒動の原因でもあるフランソル国の捜索隊にそれを補填させるようだ。
接待という名でおびき寄せて、有金を搾り取る。
行きは期待に頬を染めて胸を高鳴らせるが、帰りは顔色をなくし、長い帰路を節約しながら辿る。
この界隈の顔役をしている旦那さんも、女将さんも商売人が悪巧みしている顔をしている。
これにガルシアも一枚噛んでいるようで、官憲の悪い顔をしている。
フランソル国の捜索隊の行く末をちょっとだけ案じて、セシリア達は暇を告げて『ラ・ヒメナ』を後にした。
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