第18話 カリスマ

 そこにいるだけで耳目が惹きつけられ、空気が変わる。それによって雑多な場に統一感が生まれる。


 彼女の黒い瞳の先、次の動作、言葉。それらに嫌でも無視できない何かがある。


 それがカリスマ性というものなのだろう。


 そしてそれは、この緊迫した場においても遺憾なく発揮されている。

 

 簡素ながら真っ赤なドレスのビアンカは街路に咲く薔薇のようだった。


「何してるの、セシリア。いちゃつくには朝早いし観客が多すぎじゃない? それともそういう趣味なの?」

 知らなかったわ、と大仰に溜息をつく。その指先もしっかりと芝居がかっている。


「人質になっているんですよ、ビアンカさん。見てください、この人ナイフ持ってます」

「あらやだ、本当ねえ」

 口元に手を当てて呑気に覗き込む。


『おい、何話してんだ』

 男は自分のことが話題に上っているのに、イスペリエ国の言葉がわからないので会話の内容をセシリアに尋ねる。

 ついでに彼女は誰かと聞かれたので、自分の雇い主で伝統舞踊の有名な踊り手だと紹介した。


 へえ〜と感心したのは、彼だけではなく捜索隊員達も同じだった。


「ねえ、あなた。捕まえておくならそんな貧相な体つきの女より、私の方がいいんじゃない? 代わりましょうか?」


 男には言葉がわからなくても、魅惑的な流し目と声音で何となく伝わっているようだ。


 というより、美女の色香に惑わされているといった方が正確なのかもしれない。


 男なんてちょろいなと思いつつ、せっつかれたので訳して聞かせた。


『あんたが……?』

 案の定、すでにぶれぶれの彼の天秤がしっかり傾いている。


 こつんと踵を鳴らして一歩進み出る。そしてもう一歩。

 まるでステップを踏んでいるかのように優雅な歩みだ。


「そうよ。私はその娘より有用よ。私が人質になれば、身代金は跳ね上がるわ」


 もしビアンカが人質になったら、彼女の支援者や崇拝している有力者がこぞって財産を差し出すだろう。


 美女と金。

 手が届きそうなこの二つに男は頬を染めて喉仏を上下させた。


『ちょっと。人質は私でしょう。よそ見すんじゃないわよ』


 ビアンカに魅了され、ぽわんとした顔をしている男を叱りつけたが、聞いているのかいないのか生返事しか返ってこなかった。


 と同時に腕が緩んでいくのをセシリアは見逃さなかった。


「私が一緒なら、この国からだって無事に出国できるわよ」


 ひらひらと振り上げた手を、男の目が追いかける。


 セシリアは男の腕が緩んで、僅かに体勢を整えた。


 男がまだビアンカに釘付けになっているうちに手の平を男の顎に突き上げ、足の甲をブーツの踵で思いっきり踏みつけた。


『ごっ』

 脳にも響く衝撃を受けた男はよろめき、踏まれた足の甲も力が入らずにもつれて膝をつきそうになった。


 しまった、とセシリアが思ったのは、わずかに不安定な姿勢だったために掌底が顎を正確に捉えていなかったので、衝撃も弱まってしまったからだ。


『……くそっ、この女!』

 立ち直りが早まった男は、腕から離れたセシリアに向かってナイフを振り上げた。


 その時、狭い路地に銃声が響き渡った。


 短く甲高い人垣の悲鳴が沸き、銃の残響が消えても男の絶叫は続いた。


 手から流血している男は膝をつき、その瞬間に人垣から黒い服の男達が湧き出てきて取り押さえる。


 彼らは通称、黒服と呼ばれる店の用心棒だ。

 娼館が軒を連ねている区画なので各店舗の猛者が勇みでたようだ。


 男が持っていたナイフはビアンカの足元に転がり、赤い靴が刃を踏みつけた。


 それをウルスラがハンカチを出して拾い上げる。


 捜索隊は呆然としていたが、男の確保をしろと隊長が命令してようやく動き始めた。


 拳銃を抜き放っていたが、出番がなかったガルシアは一息ついてホルスターに収め、旦那さんと事態の収拾の話し合いをする。


 そして斜向かいの建物の屋上で、無事に一仕事終え、ライフルを肩に担いで街路を見下ろしているスエロスを見つけた。


 セシリアはそれらをアミルの腕の中から見回した。


 彼は男が捕らえられてすぐにセシリアに駆け寄って捕物から遠ざけた。

 先程からぶつぶつ言っているが、母国語なのでさっぱりわからない。


 だが、思っていた以上に心配をかけてしまったようだ。


 襟元は汗で変色している。

 抱き締められていると心臓の早い鼓動や、汗の匂いもする。


 他の人なら若干不快に感じることだが、アミルのものは気にならないどころか、なぜか落ち着く。


「……まったく、あなたという人は。生きた心地がしませんでしたよ」

 ようやく腕を緩め、セシリアの顔を見下す。

 緑色の瞳は剣呑さが抜けていつもの穏やかさがそこにある。


「ご心配をおかけしました」

 素直に詫びると、アミルは仕方なさそうに眉を下げた。


「怪我はありませんか? どこか痛いところとか」


 アミルから体を離し、全体を確認する。


「うーん、大丈夫そうで……あ、あれ? 痛い……」

 手足を振って確認していた途中で、右手に急に激痛が走った。


 見ると、右の手首が変な角度でずれている。


「うわあっ、手がずれてる!」


 見たこともない自分の手の様子に驚いて大きな声を出してしまった。


 ビアンカや旦那さんが寄ってきて、これは医者を呼ばないといけないから店に行けと言う。

 だが、ショックと痛みで体を動かすことができない。


 アミルは親が子供を抱っこするように正面からセシリアを抱き上げた。


 ビアンカとウルスラがが先導する後について『ラ・ヒメナ』へと足早に向かった。

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