第16話 人質

 じゃ行くか、と旦那さんと共に通りに戻ろうとしたところでガルシアがちょっと待ったと前を塞ぐ。


「何をするつもりですか」


「私が交換で人質になります」

 セシリアは顎に人差し指を向けて言い、

「で、隙をついて捕まえます」

 旦那さんは煙草でも買いに行くとでも言うようにさらりと告げる。


「はあ? 何言ってるんですか」

「だって私なら言葉もわかるし、あわよくば説得できるかも」

「『あわよくば』て、説得する気ほとんどないでしょう。いくらあなたでも、相手は追い詰められているから何をするかわかりませんよ」


 説得する気に関してはガルシアの言う通りなので否定するつもりはない。


「それなら僕が人質になります。フランソル国の言葉はわかりますから。説得する自信もあります」


 アミルが提案するが、セシリアは首を縦には振らなかった。


「先生みたいな大男が人質に向く訳ないでしょう。人質はね、華奢で小柄で可愛い娘って決まってるの。私しかいないじゃない」


 よく言うよ、と旦那さんとガルシアは口にはしなかったが、顔にはありありと書いてある。

 セシリアも急を告げる事態なので、それについて問い質すことはしなかった。今は。

 後で思い出した時に、どうなるかはわからないが。


「だめだ。貴女に何かあっては大変だ」

 アミルはセシリアに目線を合わせて頬をそっと撫でた。


 まるで大切なものに触れるように。


 緑色の瞳が真っ直ぐに向けられて、こんな時ではあるが胸がきゅんきゅんするのが止まらなかった。


「……大丈夫です。ご心配かけてしまいますが、もし良ければ先生も見届けてはもらえませんか?」

 中立な立場の言葉のわかる人がいれば、後に何か責任問題が生じた時に証言してもらえる。


 セシリアはアミルを見上げ、譲歩できるのはそこまでだと示す。


「悪いが、時間はない。行くぞ、セシリア」

 いい雰囲気だったが、旦那さんに急かされてセシリアは後を追った。



   ☆

 アミルもセシリアの覚悟が揺るがないのを認めるしかなかった。


 そうとなれば自分にできることは、彼女の被害が少なくて済むように最前で身構えていることしかない。


 娼館の主人の後を追うセシリアの背中を見送り、携行している拳銃の点検をしているガルシアと目を合わせて彼らに続いた。



 ☆

 旦那さんが人垣を縫うように進み、最前列まで進み出た。


 娼館の壁を背にして、茶色の髪の男がお仕着せをきた少女に腕を回し、反対側の手に持ったナイフを少女の頬に当てている。


 田舎から口減らしのために売られてきた少女のようだが、まだ見習いで数年後に客を取るようになるかもしれないが、顔に傷があったらそれだけでも価値が下がってしまう。


 働きが良くても単価が低ければ、それだけ年季は長引く。

 彼女にとっても店にとっても損失になるのだ。


 最前列に取り巻いているのは、フランソル国の捜索隊員だが、お楽しみが過ぎたようであまり顔色が良くない。

 酒の飲み過ぎで二日酔いになっているのだろう。


 サーベルを抜き放ってはいるが、人質を取られて膠着している様子だった。


 捜索隊の一人、昨日B班にいた男がセシリアを認めた。下がっていろと警告したが、セシリアは無視して前へ一歩踏み出した。


『私はフランソル国の者です』

 セシリアは亡命貴族と思しき男に母国語で話しかけた。相手は貴族なので、一応丁寧な口調で話しかける。


『私がその子の代わりになります。この国の言葉もわかるし、あなたの要望を伝えることができます』

 そう言って、一歩また一歩と距離を詰める。


 更に少女にナイフを近づけたが、切っ先は微かに震えている。


 亡命貴族がの男は行きがかり上でこんな状況になっているが、逃げおおせればそれでいいが、人を殺してまでというのが本心なのだろう。


 貴族の中には、特権階級以外は平民も家畜も変わらないと思っているような人もいるが、この男は割とまともな貴族だったようだ。


『その娘より、私の方が色々便利ですよ。この国を出るまで通訳できますし、娼館に勤めていたこともあるから知識は豊富です』


 更に一歩踏み込むと、男は喉仏が上下した。


 色気がないのは一目瞭然だが、言葉だけでもその気になってしまうのが男という生き物だと知っている。

 短い間にたくさん見てきたから。


 亡命貴族の男の天秤が傾きつつあるのを、その薄い青い瞳の揺らぎから感じ取った。


 もう一歩進むと、腕を伸ばせばナイフが突き刺さる距離までになった。


『その子を離して。私を人質にして下さい』


 がさがさと人垣をかき分け、何をしていると怒鳴る声がした。


 声がした方に振り向くと、この間暴言を吐いた隊長が現れた。

 隊長もセシリアを見て、目を剥いた。

『またあんたかっ。何やってんだ』


 心の中で舌打ちをした。

 その一言で、捜索隊とセシリアが顔見知りであることが亡命貴族の男に露見したからだ。


 警戒を持たれてますます少女の身が危うくなる。


 これまで詰めた距離を台無しにされた。セシリアはよりにもよってこのタイミングで現れた隊長をできることなら殴りつけてやりたかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る