第12話 中央部

 翌朝は朝から曇りで、昼くらいから雨になるのでは、と御者のスエロスが元総督府に着いた時に傘を持たせてくれた。


 馬車が建物のポーチまで行く道はあるが、セシリアは使用許可をもらっていないので出退勤はこの階段下まで送り迎えしてもらっている。


 階段と坂を登り終える頃には汗が滲み出るが、いい運動になるので行き帰り頑張るようにしている。


 行政官の部屋に行き、出勤簿にサインをもらつてから自らの執務室に着くと、出窓に置いてあるロスメリッサの鉢植えに水やりをする。


 見た目は昨日と何の変化もないが、セシリアは目を閉じて再度開くと「1」という数字が浮かんだ。


 発根があるか微妙な数字だが、「0」ではないので期待はできる。


 壁に掛けてある鏡を覗き込んで後毛をなでつけてから、書類綴ファイルを持って執務室を出た。


 行政官室の奥の青服部屋(勝手にそう呼んでいる)に行くと、すでにレザイーとガルシアがいた。

「おはようございます、レザイー先生、ガルシアさん」


「おはようございます、ゴジャックさん」

「おはよう、ゴジャックさん。今日からよろしくお願いします」

 二人とも席を立って挨拶をした。


 その時、青服がガルシアを呼び立てたので部屋を出て行ってしまい、レザイーと取り残されたのでセシリアは昨日のお礼とお詫びを再度述べた。


「ゴジャックさんが気にすることはありませんよ。あ、そうだ」


 思い出したことがあるようでレザイーは異国風の衣服の合わせ目に手を入れた。


 そして取り出したのは、銀色の細長い筒のようなものがついているネックレスだった。少し長めの鎖をセシリアの首に掛けた。


 ヘッドを手に取ってよく見ると、それは細かい細工の施された笛だった。


「何かあったらこれで知らせてください。すぐに駆けつけます」


 レザイーは笛を持っているセシリアの手を包み込んで優しく見つめて言った。


 端正な顔が真っ直ぐに向き、大事な人を守るかのような頼もしさの表れる台詞。

 セシリアの心臓はときめきという収縮で激しくなり、顔に血が上る。


 だから手を出す前に吹いてくださいね、という淑女には滅多に向けられない言葉が続いていたのだが、彼女の耳にはまったく届いていなかった。


 恋は盲目とよくいわれるが、耳も似たようになるらしい。


 すっかり舞い上がって一足早く頭が春爛漫のようなところへ、ガルシアがフランソル国の隊員を連れて入ってきた。


 昨日の勘違いした男はおらず、隊長はいるがレザイーの担当に分班された。


 A班は元総督府の東側を、B班は中央部に分かれて捜索を始めることになった。


 B班はフランソル国の隊員が十名。

 中央部は元総督府の政治が執り行われていた建物であり、建物の中でも一際壮麗な区画でもある。

 壁一面にタイルや彫刻が施されたドーム型天井のある広間では、さすがの絢爛さに隊員達は口を開けて閉じるのを忘れてしまう程だった。


 亡命者と盗難文化財の捜索。


 本来の目的であるのに、誰もがいにしえの栄華の跡に見惚れていた。


 ガルシアの説明を訳して伝える作業をするが、セシリアも聞いていてそうなんだと感心しきりだった。


 ガルシアは普段は都にいる官吏であり、ここに来るのは数ヶ月おきなのに建物内の説明を淀みなくしている。


 外国からの一団を迎えるにあたって、不足がないように勉強したのだろう。


 自分の仕事範囲しか関心がなかったセシリアは、立場が違うとはいえガルシアの姿勢は見習うべきところがあると思えた。


 ちなみにセシリアの側につかず離れずいるが、わざとなのか、ホルスターは見えるように上着の上から装着している。


 部屋というより、一間の説明が終わる度にフランソル国の隊員は捜索をするが、ただの空間なので何か物を隠せるような箇所はほぼなく、捜索時間は数分で終わる所がほとんどだった。


 ガルシアの解説の方が長いくらいだった。


 午前中は観光混じりで終了し、サン・ホセ教会の正午の鐘がなったので昼休みを取ることになった。


 ガルシア達も捜索隊の都合に合わせて昼休憩シエスタはなしで、昼休みは一時間、勤務は十七時までとなる。


 青服部屋に戻り、程なくしてレザイーが戻ってきて進捗を確認した。


 A班には昨日の隊長がいたが、特に問題はなかったとレザイーと同伴した青服も報告した。


「失礼します。お客さんだよ、ゴジャックさん」

 行政官の後ろにいるのはスエロスだった。片手には大きなバスケットを提げている。


 ランチを持ってきてくれたようだった。



「ビアンカ様が心配している。午前中は何もなかったか確認してくるように言われたんだ」


 執務室に戻り、スエロスはそう言ってテーブルの上にバスケットを置いた。


 昨日、定時よりも早く帰ってきたので、執事のノリエガに事情を説明したらビアンカにまで話が通ってしまったのだ。


 気掛かりなのでランチを届けて様子を見てくるように言われたという。


「すみません、スエロスさんにまで迷惑をかけてしまって。でも、大丈夫そうです」


 ガルシアの装備のことやレザイーからもらった笛のことを話すと、少しだけ中央に寄った濃い眉が緩んだ。


「ちゃんと自分の仕事だけしていろ。お前さんが大人しくしていれば、ややこしくはならないからな」

 何かあったら報告はするべきだが、手を出すなと言外に含ませている。


 セシリアが何か言われても報告すればガルシアが抗議をしてくれるが、手を出したのならばセシリアも責を免れない。


 自分に返ってくるだけならいいが、周りも黙っていないだろうから大惨事にもなりかねないのだ。


 スエロスは元軍人で、屋敷の御者兼用心棒なので、そういう事態を見越して忠告していると思われる。


「はあい」

 ちょっと間伸びした返事をして、バスケットの中身を出す。


「いい子だ」

 スエロスは今度は頬を緩めた。

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