第7話 か弱い

 朝、執務室に荷物を置いてから昨日の青服の部屋へに向かった。


 今日はシャツにも火熨斗アイロンをかけて皺を取ってある。

 髪はアンナに編み込んでもらった。


 身だしなみを整えるのは、フランソル国の一団というよりも、レザイーと会うからきちんとしておきたい気持ちが大きい。


 やはり美男がいると心に張りが出る。


 色々あって流れてここに来たので、セシリアは今年二十二歳になる。


 結婚適齢期が十六歳から二十歳頃のこのご時世で、売れ残りと言われても仕方のないお年頃だが、だからといって女性としての楽しみでおしゃれをしても悪いことではないはずだ。


 言い訳がましくなっている自覚はあるが、大義名分は大事だ。あるのとないのとでは、腹の据わりが違う。


「おはようございます、ガルシアさん、レザイー先生」

 二人はすでに出勤していて、テーブルの上にこの建物の地図を広げていた。


「おはようございます、ゴジャックさん」

 席を立って同時に挨拶を口にした二人は、セシリアが椅子に座るまで席に着こうとはしなかった。


 仕事で会っているのだから、淑女の対応はしなくても、と思うのだがこれも習い性なのだろう。


 早速ですが、と前置いてガルシアは昨日レザイーと打ち合わせた担当表を渡して寄越した。


 所用日数は二日。

 二班に分かれて捜索が行われ、セシリアはB班を担当する。

 仕事内容は先方のフランソル国の言葉を当方にイスペリエ国の言葉として訳すこと、当方のイスペリエ国の言葉を先方にフランソル国の言葉で訳して伝えること。

 捜索隊による不正行為、または器物の損壊がないように監視するために護衛が二名つく。


「B班には私も同行します」

 ガルシアはイスペリエ国側の責任者であるので、セシリアとしてもいてくれると心安い。


 よろしくお願いしますと言ったら、行政官が現れ、フランソル国の代表の方が挨拶に来ていると言った。


 この部屋に通すようにガルシアは伝えると、次に行政官が現れた時には二人の深緑色の制服を着た隊員を連れていた。


 肩飾りエポレットがあるので上役のようだ。


 まずガルシアが挨拶と自己紹介をしてそれをレザイーが通訳した。


 先方の隊長が名乗りを上げた時だった。


 隊長の後ろにいる亜麻色の髪と榛色の目の男が前に出て、セシリアを見てから目を丸くした。


『セヴリーヌ様』


 男は隊長を押し退けてセシリアに近づいた。


『セヴリーヌお嬢様……』

『え? 私はセシリアですが』


 男は腕を伸ばしてセシリアの二の腕を掴んだ。


 咄嗟に、掴まれた左腕の肘から先を外側に回して相手の肘を打って折り曲げ、手が緩んだ隙に左腕を外し、ブーツの底で脛を蹴飛ばした。


 男が体を曲げて脛を痛がっている間にレザイーとガルシアの背後に逃げ込む。


『おい、何やってんだ!』

『あの女、亡命貴族です。パルゴワール子爵令嬢のセヴリーヌ・ヴェロケです、隊長』


 男がセシリアを指差し、全員の視線が集まった。


『そうなの?』

 言葉のわかるレザイーが振り向いてフランソル国の言葉で尋ねるが、セシリアはぶんぶんと頭を横に振った。


『私はセシリアです。生まれはマルティーグという港町ですし、貴族ではありません』

 父が勤めていた屋敷の貴族も違う名前だ。男の言うことはさっぱり検討がつかない。


『嘘をつくな』

『こんなことで嘘をついても、私には何の得もないです』


 男は痛みが引いてきたのか、セシリアに向かって来ようとしたが隊長に阻まれ、セシリアの前にはレザイーが立ち塞がった。


『しらばっくれんなよ! 隊長、あの女はセヴリーヌ・ヴェロケに間違いありません。リストで確認してみてください』


 再度否定しても、男は承服できないようで更に鼻息が荒くなったようだ。


『忘れた振りがうまいな。まあ、亡命者なんてみんなそんなもんだけどな。所詮、自分のことしか考えられないクソだからな』

『何と言われても、私はあなたの知ってるお嬢様ではありません』


 顔を赤くした男が向かって来ようとしたが再び隊長に押し止められた。


『彼女は違うと言っています。私はゴジャックさんが嘘を言っているようには見えませんが、それでも断定する貴方の根拠は……』

『うるせえ!』

 熱を帯びる室内を冷まそうと静かに話しかけたレザイーだったが、言い終わらないうちに男が怒鳴った。


『お前は黙ってろっ、異教徒』


 フランソル国はカシウス教を国教として長らく治世を敷いているので、他宗教への弾圧が厳しいことで周辺各国にも知られている。

 故国では異教徒というだけで差別の対象にもなり、改宗しない限りあらゆることでまともに扱ってももらえない。


 そういう背景もあり、先程の言葉は他宗教の信者に対するかなりの差別用語だ。


 レザイーがそれを知っているか知らないかはわからないが、涼やかな目元を特に崩すことはなかった。


 が、代わりにこの一言でセシリアの自制の糸がぷっつりと切れた。


 レザイーの背後から出て、彼の前に立つ。


『あんた、耳悪いの? さっきから違うって何度も言ってんでしょう。どっからくんのよ、その自信』


 先程まで男性の背後に庇われていたか弱い女性だったのに、雰囲気がまるで変わったことで男性陣は静止した。


『大人しくして聞いてりゃ、いい気になってさあ。あんたがどんな確信があるんだか知らないけど、違うもんは違うのよ。私はその何とかっていうご令嬢じゃない。勝手に他人にするんじゃないわよ』

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