第8話 淑女

 セシリアが生まれたマルティーグという港町はフランソル国の南部に位置しており、温かな海流が流れ込む地域で、冬でも雪が降ることはほとんどなく、一年中その季節の魚介類が漁れる。


 貿易も盛んで周辺の国からも商船が行き交い、様々な人種や物が溢れていた。


 他の地域に比べると多少荒っぽいところはあるが、街は活気に溢れて人々は義理や人情に篤く、女性も人が多いのが顕著だった。


『おい、落ち着け。亡命してから数年経っているとはいえ、貴族の令嬢がここまでがらっぱちにはならんぞ』

 ありゃ別人だと、部下を押さえている隊長は宥めるためにそう言った、のだと思われる。


 だが、火消しのつもりが違うところに飛び火した。


『ちょっと、部下も部下なら上司も上司ね。淑女に対して失礼じゃない』

 確かに上品ではないが、自覚していても、他人に言われるとなぜか癪に触る。


『これが淑女か。聞いて呆れるな。おい、彼女は絶対に子爵令嬢じゃないぞ』


 腹がますます立つ言い方だが、これ以上噛みつくと余計拗れそうなのでセシリアは渦巻く雑言を飲み込んだ。


『わかったんなら謝りなさいよ』

 事実誤認とレザイーに対しての暴言の謝罪を求めた。


 勝手に解釈して、捕らえようとしたことは暴挙でもあるし、信仰の違いで侮蔑したことは謝罪に値する。


『おい、女。いい加減にしろよ』

 上司の意見を飲み込んで自分でも納得したのか、部下の男のセシリアに対する呼び方が変わった。


『うやむやにすんの? フランソル国の男は威勢だけは一丁前のくせに所詮この程度なの?』


 男は隊長によって制止されたが、セシリアもレザイーが背後から腕を回してきたことによって向かっていくことはできなかった。


『黙れ、女』

『それでも公職者か。謝れ!』


 黙れ、謝れ、と数回同じことを繰り返し、その度に上司やレザイーが制止する。


 さながら、飼い主に止められる中型犬と小型犬のけんかのようになった。


 互いに引く気配のない言い争いに苛立ちも沸点近くに達したのか、男は腰に下げたサーベルに手をかけ隊長の隙をついて鞘から抜き出そうとした。


「動くな」

 それはイスペリエ国の言葉で告げられた。


 訳さなくてもフランソル国の隊員達にも通じ、全員の動きが止まった。


 ガルシアは懐から出した拳銃の銃口を男に向ける。


「私はここの責任者です。調査員に対する刃傷沙汰は容認できません。それ以上抜剣するのなら撃ちます」


 レザイーが訳して伝えると、隊長が男に納めるように命令した。売り言葉に買い言葉とはいえ、武具による暴力に訴えようとしたのは部下の方であり、ここで騒動を起こしては当初の任務ですらも遂行できなくなる危険があるからだ。


 男も上司の命令には逆らえず、サーベルを納める。


 セシリアもレザイーの腕の中で大人しく口を噤み、沈静化した場面を読んで、ガルシアも銃口を下ろした。


 ガルシアが部下を呼び、一旦セシリアを別室へ連れて行くように指示した。


 青服に連れられて、デルガドのいる行政官の部屋で待機することになった。


「大丈夫かい? ゴジャックさん。大きな声がここまで聞こえたよ」

 デルガドが小皿に小さな丸い焼き菓子とお茶を用意してくれた。


 昂った気を落ち着かせるために、セシリアは粉糖の塗してある焼き菓子を一つ取って口に放り込んだ。


 ほとんど噛まないうちに口の中でほろほろと崩れ、砂糖の甘味と小麦粉の香ばしさの中に若干アーモンドの味と香りがする。


「美味しい」

「ポルボロンだよ。この間のサン・ホセ教会のバザーの時に買ったんだ」


 薄力粉をうっすら色がつくまで焼いてからバターとアーモンドプードル、砂糖を混ぜて焼き上げて、最後に粉糖をかけたこの地方で昔からあるお菓子だ。


 以前、修道女からレシピを聞いて試してみたが、自分ではどうやってもこのほろほろ感を出すことができないでいる。


 それを二つ三つ摘みとって口の中へ放り投げるようにして食べる。

 最初は嵩張って口を動かすのも大変だったが、すぐに崩れるので咀嚼しやすくなる。


 渋い紅茶で口を濯ぐようにして飲み込み、先程あったことをデルガド達に話した。


「なんだ、随分失礼だな、フランソル国の奴らは」

 むちむちした腕を組んでデルガドは濃い眉毛を中央に寄せた。周りで聞いている他の行政官達もまったくだと頷く。


「そんな奴らの言うことなんか忘れちまいな」

「そうだよ、ゴジャックさんはしっかりしたいいお嬢さんだよ」

 気にしないように、とみんなで励ましてくれる。


 グレイディアス地方は侵略や占領などの複雑な歴史から、男性は強く女子供に優しく、女性もたおやかでありながら芯の強い人が多い。


 仲間のためなら手に武器を持って戦うのも厭わない人達だ。


 セシリアは気持ちを切り替えて、口の端を上げながらありがとうございますとお礼を言った。


 一息ついて思い返してみれば、自分も相当なことを言っていた。フランソル国の隊員達の態度も一概に非難はできないことに思い至ったのだ。


 それよりも、レザイーの前で醜態を晒してしまったことに気づいて、セシリアは今更ながら血の気が引いた。


 穴があったら入って、蓋をしてしばらく潜んでいたい。


 そんな思いも空しく、行政官の部屋にガルシアとレザイーが入ってきた。

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