第6話 お願い事

 ガルシアは二人を引き合わせて紹介をした。


「レザイー先生、こちらは植物の調査班に所属しているセシリア・ゴジャックさんです」

 セシリアが軽く会釈をすると、レザイーは口の端をわずかに上げた。


「ゴジャックさん、こちらはタイル装飾の古語解読を担当しているアミル・レザイー先生です」

 東の国のザムサール王国の言語学の研究者だとガルシアは続けた。


 先日会ったことを言うと、顔見知りなら話が早いとガルシアは二人にソファを勧め、レザイーのお茶も揃ったら今回の呼び出しの説明を始めた。


「忙しいところお時間いただきありがとうございます。実はお二人に業務外のお願い事があって呼び立てをしました」


 官吏からのお願い事というので、自分の懲罰ではなかったことにひとまず安堵したが、何を頼まれるのか気になってガルシアの次の言葉を待った。


「明日、フランソル国の一団が訪問します」


 その一団というのは、国外に逃亡した反体制派の人物を逮捕をする官憲だという。


 フランソル国は三十年前に起きた市民革命で王政が崩壊し、それから市民選出の議員が代議する議員制が敷かれたが、相次ぐ内紛により政権は安定することがなかった。


 五年前に、革命前の王朝の血筋であるアンリ二世が貴族や地方士族の後押しを受けて王政復古を成し遂げ、教会や隣国の承認を取り付け就任することによって暫定政府を廃した。

 

 内紛で荒廃した中央都市の立て直しから始め、アンリ二世は堅実な国内政策で着実に貴族や国民の信頼を得ることに成功した。


 それから三年が経ち、当時の暫定政府側だった権勢者やそれに汲みしていた貴族などの粛清が始まった。


 逮捕され、私財は没収されて投獄や追放などもあったが、それらは関与の軽い者達だけで、大多数は断頭台に消えた。


 厳しい粛清の手を逃れ、国外へと逃亡することに成功した者もいる。


 だが、中には国の重要な文化財を持ち出した者もいるとこが判明し、この度イスペリエ国王の承認を得て捜査捕縛をすることになったのだ。


 セシリアも暫定政府派の粛清の件は知っていたが、逃亡した人が文化財の持ち出しまでしていたというのは初耳なので驚きを隠せなかった。


「その逃亡者の追っ手がここに来て何をするというのですか?」

 レザイーの疑問はセシリアも同じく感じていたことだった。


「なんでも、以前に捕まえた亡命貴族は、逃亡先の教会に財産を隠していたそうなんだ。まさか神聖な教会にまで捜索をするとは思わなかったようで」


 グレイディアスに亡命貴族がいると情報が入り、これから捜査をする。そして、私財隠匿の可能性もあるので、この元総督府を調査したいというのだ。


「そこで、お二方の出番です。フランソル国の言葉もご堪能な先生と、フランソル国の方であるゴジャックさんに一団の通訳をお願いしたいのです」


 仕事は数日中断することになるが、その分の延長は承認する。

 他に建物内の案内や、念のための護衛をつけるので、仕事は通訳だけでいい。

 勤務時間は今まで通りで、セシリアは九時から十七時まで。

 手当は別途つくと言って、時給を提示した。


 そこそこいい時給だ。


「いかがですか? やってもらえますか」


 伺いをたてているが、断れないのはわかっている。


 他にできる人もいないだろうから外国人に頼んでいるのだろうし、青服の依頼を断れば、ここでの仕事が非常にやりづらくなるのは火を見るより明らかだ。


「私は構いません」

 先に答えたのはレザイーだった。


「そうですか、ありがとうございます」

 ガルシアは立ち上がってレザイーと握手を交わす。


 そして、答えを催促するようにセシリアを見た。


 熟考するための余地もないようだ。


「……私も、引き受けます」

「ありがとうございます、ゴジャックさん」

 ガルシアは座っているセシリアと目線をあわせるために膝をついて握手をした。


 担当や時間などの打ち合わせをしたいが、セシリアの退勤時間が近づいてきたので、あとはガルシアとレザイーに任せて紅茶の残りをいただいてから席を立った。


「お疲れ様でした、ゴジャックさん」

 廊下で見送ってくれるガルシアは、どこかほっとした顔をしていた。


「これからよろしく。また明日」

 涼しげな微笑みを浮かべて、レザイーはセシリアに異国風の挨拶で送ってくれた。


 また明日、という言葉と声を頭に何度も自動再生させながら、セシリアは執務室へと向かった。


 すれ違う人がいなかったのは幸いかもしれない。


 もしいたら、薄ら笑いの締まりのない顔を見られていた。


 この広い建物の中で、名前も何をしているのかもわからなかった男性に会えたばかりか、同じ仕事をすることになったのだ。


 明日もまた会えるのだと思えば、自然と口の端が上がってしまう。


 執務室に戻り後片付けをしていると、小箱に入れられたロスメリッサの枝が出窓に置かれているのに気づいた。


 学生が水あげしてから植えて置いていってくれたものだろう。


 土にそのまま刺さっている枝は、鼻を近づけても青くさい葉の香りしかしなかった。


 これをうまく増やすことができたら、いつかレザイー先生に差しあげることができるかもしれない。


 そうなるには月日がかかるものなのだが、セシリアは先程の場面を妄想して一人でニヤけていた。


 そんなことをしていたら、サン・ホセ教会の十七時を告げる鐘が鳴り響き、慌てて支度を整えて執務室を走って出る羽目になった。

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