第5話 青服

 それから二日程、鷲甕の間(特に名称がなかったので勝手にそう呼んでいる)のロスメリッサについてセシリアは調査を始めた。


 元総督府全部を見て回った訳ではないが、旧役所部分にあたる区画は、ここにある木のみだった。


 常緑広葉樹の低木で、花は枝先に約二十から三十個集まって手毬状に咲き、その花の周りを放射状に葉が付いている。


「これは雄株でしょう。東の国には雌株もあるようですが、国外には流出させていないようです」

 図鑑を片手に、都の大学の学生は言った。


「古い園芸の文献によると、種を作ることができないので挿し木で増やしているとある」

 学生の言葉を受けて、教授が負けじと知識を披露する。


「恐らくだが、ここには一面この木があったのだろうが、人の手が入らなくなって枯死してしまったのだろうな」


 鷲甕の間には、月桂樹の大きな木とこのロスメリッサの木一本のみが残っている。


「なぜこの株だけ残ったのでしょうか」

 挿し木ができなかったら、他の株と同じように枯れているはずだ。


 なのに、なぜこの一本だけが今あるのか。

 セシリアは教授に尋ねた。


「なぜだと思う?」

 逆質問されて、セシリアは慌てて頭を巡らし、学生も顎を摘んだ。


「地元の子供が遊んでいる時に木を折ってしまって、打ち捨てた所から根が生えて生き残った一本だったりして」


「落雷かもしれませんね。雷が元の木に落ちて裂け、その裂けた枝が土に刺さり、発根したのではないでしょうか」


 教授はふむふむと、セシリアと学生の推考を楽しげに聞いていた。


「二人とも、あながち外れていないのではないかな。想像力は推察の足掛かりだ。実に素晴らしい」

 褒められて学生は頬を染め、セシリアは照れ隠しに麦わら帽子を被り直す。


「詳しく調査もしたいが、ここより他にあるかどうかわからんので、挿し木用に剪定しておくか」

 この建物の動植物は国の物だが、教授は学術研究のためのものなら標本サンプリングの許可を得ているという。


 学生が鞄の中からシャベルと小さな空箱を出し、周囲の土を箱に詰める。


 セシリアが花の状態を見て、差し障りない部分を示し、教授がナイフで切る。


 それを小箱に挿す。


「君も挿し木のやり方は知っているかな?」


 父に連れられてお屋敷の庭の手伝いをしていた時に教わったことがある。

 セシリアが頷くと、教授は剪定したうちの一つを渡して寄越した。


「私らはすぐに都に戻る。水が合わないとだめになってしまうこともあるから、頼むよ」

 今週末には帰都する予定だという。


 セシリアは貴重な時間を割いていただいたことにお礼を述べた。


 その時、回廊からセシリアを呼ぶ声があった。

 遊び場だったこの建物の内部に詳しいので、案内や伝令をして小遣い稼ぎをする地元の少年だった。


「青服がすぐ来るようにって、セシリアさん」

 苔むしている所に足を踏み入れたくないようで、回廊から大声で呼び掛ける。


 青服とは、上級官吏のことだ。

 青い制服なのでそのように呼ばれている。ちなみにデルガドのような地方行政官はベージュだが、特に服の色で呼ばれたりはしない。


 地元で顔見知りだから、名前で呼んだ方がわかりやすいのだろう。


 都のからの役人を待たせてはいけないと教授にも言われたので、セシリアは丁寧に挨拶をして鷲甕の間を後にした。



 十六時前で、昼休憩から戻ってくる人々もいて回廊はおしゃべりをしながら持ち場に戻る人もいれば、まだ眠そうに窓際であくびをしている人もいる。


「青服に呼び出されるなんて、何かしちゃったの?」

 ミルクチョコレート色の髪と目の、鼻の上にそばかすのある少年は一歩前を歩いて先導するが、振り向きもせずに尋ねてきた。


「心当たりないんだけどなあ」

 上級官吏に呼び出されるなんて、監査に引っかかった人物しか記憶にない。


 資金や物品の私的流用をしたとか、勤務態度が著しく不良であるとか。


 該当するようなことをした覚えはないので、セシリアも首を傾げつつ、思い当たらないところで何かしでかしたのではと不安がよぎる。


 上級官吏のいる部屋の前で少年と別れ、セシリアは深呼吸してから失礼しますと声掛けをした。


「中へどうぞ」

 ドアはなく、入室の許可が出たので部屋の中に足を踏み入れると、書類を書いていたのか、顔を上げた青い制服の上級官吏と目が合った。


「セシリア・ゴジャックです」


「ああ、呼び立てをして申し訳ない」


 椅子から立ち上がりセシリアの前に来ると、糸杉のように細身で背が高い。

 濃茶色の髪を役人らしく乱れもなく撫でつけているので左右対称の顔がよく見える。見た限りではまだ若そうだ。


「官吏のガルシアです」


 そう言って、右手を差し出した。

 淑女に対してのものではなく、握手のためのものだ。


 セシリアも右手を出すと、がっちりと握られた。


 仕事に対しての用事なのだと確信して、やましいことに心当たりはないのだが心拍数がわずかに上がった。


 部屋の脇にあるソファを勧められて腰を掛けると、彼と同じ青い制服の男性がお茶を持ってきてくれた。


「失礼します、レザイーです」

 聞き覚えのある声がした。


 ガルシアと共に振り向くと、入り口には異国風の装束の男性がいた。


「ご足労ありがとうございます、レザイー先生。どうぞ、中へ」


 入ってきた男性はセシリアを見つけると目を大きくした。

 意外なところで再会をしたので驚いているようだが、それはセシリアも同じだった。

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