第4話 屋敷

 丘を下る石段の下には子供を迎えに来た親や兄弟がいて、揃って家路に着く。


 幾人かの親子に挨拶をして、セシリアは石段から少し離れた場所に停めてある馬車に歩み寄った。


「お疲れ様、セシリア」

 御者台から降りてきたのは、つばの広い帽子を被った四十代の男性だった。


「お迎えありがとうございます、スエロスさん」

 踏み台をすかさず用意する御者にお礼を言った。


 セシリアが乗り込むと、馬車はすぐに出発した。


 前時代の面影を残す曲がりくねったロサレダの町の細道を抜け、大きな通りに出ると馬車の速度が上がる。


 商店の立ち並ぶ街路を北に走り、二十分くらいすると高級住宅街のレバンテに入る。


 塀や柵が並び、門の前に門番のような役割の男性が所々に立っているので時折スエロスが挨拶を交わしながら通り過ぎると、鉄柵の続く屋敷の門の前で停まった。


 門番のクルスが大人二人分くらいある門を開けて馬車は屋敷へと進む。


 玄関先で出迎えてくれたのは、屋敷の執事のノリエガとメイドのアンナだ。


「おかえりなさい、セシリアさん」

「ただいま戻りました、ノリエガさん、アンナ」


 今年で十二歳になるアンナに麦わら帽子と鞄を預けると、ノリエガに従って屋敷の中へと進む。


 途中から様々な花の香りが廊下にまで漏れて漂ってきた。


「セシリアさんがお戻りです、ビアンカ様」


 庭に面した半円形の小部屋は全面がガラスの出窓になっており、色とりどりの花が花瓶に活けてある。


 艶かしいカーブを描く腰に両手を当てて、花を眺めていた女性は執事に労いの言葉を掛けると、ノリエガは一礼をして下がった。


「ただいま戻りました、ビアンカさん」

「おかえりなさい、セシリア。帰って早々で悪いわね、どれがいい?」


 両腕をふわりと広げて居並ぶ花を振り示した。


 花の贈り主は彼女の信奉者達で、今日これから舞台で使われるために彼女宛に届けられた花束だった。


 時間もあまりないので、セシリアは目を閉じてすっと集中する。


 そして目を開けると、花一つ一つに数字が浮かんでいるので、その中から「7」を指し示す。


「よし、今日はこの花にするわ」


 一番多くその数字のある赤いラナンキュラスの花瓶を持って、これに合うドレスの色を考え始める。


 ビアンカの職業は踊り子だ。


 グレイディアス地方の伝統的な舞踊である『バレナス』の踊り手で、『スペリオーラ』と呼ばれる特別な肩書きを持っている。


 独特な節回しのギターと歌声を背景に伝統衣装を着て踊るバレナスは、お祭りの時には老若男女問わず踊り出すが、その中でも最上の踊り手であるのが『スペリオーラ』だ。


 劇場に立ってお金を稼げるプロであり、時には権力者の外交手段として手札にもなる。


 ビアンカが『スペリオーラ』になったのは二年前だが、それでもたったそれだけで、この屋敷と公演がある度に花が贈られてくる。


 そして、信奉者は贈った花を身に付けて彼女が舞うのを最上の喜びとする。


「おかえりなさい、セシリア。今日の花は決まったのかしら?」

 小部屋に入って問いかけてきたのは、チョコレート色の髪をきっちりと結い上げて地味な深緑色の服を着た女性だった。


「ただいま戻りました、ウルスラさん」

 彼女はビアンカの秘書で、今日は舞台があるので屋敷に来ている。


「今日はこのラナンキュラスにするわ。ドレスは薄い色がいいかしら」

「黒がいいわよ。今日の演目にはね」


 セシリアは花の状態を見ればいいだけだが、彼女達は演目に合わせドレスの色から髪型まで決め始める。


 そうなるともう出番はないので、自室に戻ろうかとした時だった。


「あらあなた、何かいい匂いがするわね」

 ウルスラはセシリアに顔を近づけて鼻をふんふん鳴らす。


「さっぱりしたいい匂い」


 思い当たる節があるので、セシリアは上着のポケットからハンカチを出した。


 ずっとポケットにしまっていたので、花は潰れてしまったが、匂いはそれ程変質せずそのまま残っている。


「見たことない花ね」

「でも、いい香り。ネロリに似てるけど、それより優しいわね」


 ウルスラとビアンカはハンカチに顔を寄せて大きく息を吸い込んで、うっとり吐く。


「『ロースメリーザ』とか『ロスメリッサ』っていうそうです。聞いたことあります?」


 ビアンカは知らないと即答だったが、ウルスラは顎を摘んで首を傾げた。


「何かの本で読んだことあるわ。確か、ミシュル教関係の花だったんじゃないかしら」


 都の大学を出た才媛だけあって、ウルスラは名前を聞いて思い出したようだ。


「これ、どこに咲いていたの?」

 今日、この花を見つけた出来事を話すと、二人は溜息をついた。


「あそこは国の持ち物だもんね。勝手に採ったりしたら捕まるわ」

「残念ね。でも、精油か香水にできたらすごくいいのに」


 その時、執事が再度来て、馬車の準備はできていると告げた。


 ウルスラが懐中時計を見ると、いつもなら屋敷を出る時間になっているので、ビアンカもウルスラも慌てて支度を整えに行ってしまった。


 屋敷の二階にある自室に着いたセシリアは、上着を脱いでクローゼットにしまうが、やはりポケットのあたりを中心に花の香りが残っていた。


 明日、この花の分布を調べてみようと決めた。

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