第3話 お昼

 セシリアも邸内に戻り、日陰のベンチで手弁当を食べているタイル職人の見習いの子に挨拶をして通り過ぎ、割り当てられた仕事部屋へと足を進めた。


 セシリアの仕事部屋はかつて役所の機能を果たしていた区画で、恐らく書類置き場か物置に使われていた小部屋だと思われる。


 木製の机しかないが、壁には腰高の座れる出っ張りがあり、窓から入る日の角度によって机を移動して仕事をしている。


 回廊や邸宅部分のように、幾何学的でもあるミシュル教様式のタイル装飾はないが、外庭にある木や花が見えるのでセシリアはこの部屋を気に入っている。


 麦わら帽子とスカーフを取って資料の散らばる机の上に置き、壁に掛けてある鏡を見ると、朝にまとめた三つ編みから金色の髪がぴょんぴょんほつれているので結い直した。


 机の上にあるのは、この建物に棲息している植物に関する調査資料だ。


 今までここは賢王妃の墓廟として国が一応管理していたが、実際は王妃の墓廟の周りだけであとは野放し状態だった。


 現国王のパブロ三世は王妃の墓廟を王都の墓地への改葬を計画し、財政改革からここを取り壊すかどうかを検討しており、現在そのための学術調査が行われている。


 建物の状況、美術的価値、時代考証から宗教的位置づけまで調査検証がなされて、それ如何で取り壊すかもしくは諸侯に払い下げを企図しているのだ。


 中には損傷激しい部分もあるので、地元の左官やタイル職人も招聘され、安全に調査が行われるように有識者の指揮の元で補強作業もしているので、所々足場が組まれていたり、タイルが崩れている所の補修などもされている。


 セシリアはその中でも、邸内に生息している植物の調査チームに所属している。


 植物学はおろか大学にも行ったことはないが、特殊な能力を買われて参加しているのだ。


 セシリアは植物の寿命が数字で見える。


 花の咲く度合いと、その花や木自体の寿命だ。


 就学前に絵本で数字を習っていた時、母が大事にしていた出窓のゼラニウムを指差して、これは5、こっちは9と言っていた。


 覚えたての言葉を言いたいだけなのか、それとも小さな子供には花の形が数字に見えるのかと、母は微笑ましく思っていたそうだが、その次の日に「9」の花は枯れ始めた。


 それから母はセシリアの言った数字を書き留めて、貴族の屋敷の専属庭師だった父に見せた。


 数字は芽を出したばかりの「1」から、枯れて落ちた「10」まで見える。


 大抵の草木は見えるが、果実の寿命は見えない。


 そして、どんなに集中して目を凝らしても見えないこともある。


 両親共にそのようなものは見えず、なぜ娘にだけ見えるのか数日悩んだそうだが、すぐに開き直った。


 父はたまに職場である貴族の屋敷にセシリアを連れて行って仕事の手伝いをさせた。


 木や花の寿命を見て父が肥料を変えたり、お客様が来る時に一番良く咲く花を選定したり、老木や病気の木をあらかじめ伐採したり。


 父の手伝いは楽しかったし、お屋敷に行くと美味しいおやつを誰かしらがくれたのでセシリアは手伝いの日が待ち遠しかった。


 元々、楽天的で細かいことには拘らない家族だった。


 セシリアが生まれ育ったのはフランソル国の南部の港町だったから色々な人がいて当たり前で、髪や目の色、肌も違うし、顔立ちも様々だった。


 こういう環境だったので、他人と違うことを重荷に思うことは、ほぼなかった。


 自分の能力もそういった違いと同じものだと両親に言われたら、セシリアも深く考えずに受け入れていた。


 今は流れ流れて隣国にいるが、この気質のお陰で今もこうしていられるのではないかと、両親譲りの能天気をありがたく思う。


 書類を片付けて部屋を出た時には貴重な昼休みが二十分近く過ぎていた。


 この国は昼休憩シエスタがあり、昼休みがやたらと長く、ランチの後に昼寝をするのが通例だ。


 十三時を過ぎると店も閉めるので、もたもた食べていると途中で皿を下げられてしまう。


 丘の上にあるこの建物から下の町まで下りでも十分はかかるので、急がないと中断の憂き目にあう。


 この昼休憩があるために、ここでの勤務は九時から十二時までと、十六時から二十時までとなる。


 この時期は二十三時近くまで薄明るいが、やはり帰宅が遅くなるとそれなりの危険があるので、セシリアや十五歳未満の者は例外的に九時から十七時までの勤務になっている。


 その関係もあり、セシリアの昼休みは十二時から十三時までなので、急がないと本当に食いっぱぐれる。


 石段を下る速度を速めて、ロサレダの町へと足を進めた。



   ☆

 十七時を告げるサン・ホセ教会の鐘の音が聞こえてきた。


 それを合図に、セシリアは斜め掛け鞄を持って部屋を出る。


 まだ仕事をしている鳶職人達に見送られて、行政官のいる部屋へ向かうと、入り口前には数人の子供がすでに並んでいた。


 出勤簿に役人のサインをもらうためだ。


 この出勤簿を行政が管理して、労働時間や賃金の確認をしている。


 顔見知りの子供と挨拶をして、今日は何のお手伝いをしていたのか聞いているうちに順番がくる。


「はい、今日もお疲れさん」

 いつもはシャツのボタンを三つくらい開けて、時々口髭におやつで食べただろうビスケットのかすなどをつけている男性職員のデルガドは、今日はきちんと一番上までボタンを閉め、髪の毛もぴちっと七三に分けて撫でつけている。


 セシリアの視線を感じて内心を読み取ったのか、デルガドはぎょろりとした大きな目だけを部屋の脇に移した。


 隣の部屋はいつもと違い、何だか忙しない。


 よく見ると、青い制服を着た上級官吏が見えた。


 そういえは、今日は月に一度の監査の日だった。


 調査の進捗や労働環境の監督、会計監査などが入って、適正に稼働しているかを監督官庁の監査部門が検査するのだ。


 セシリアは顎を引いて得心を示した。


「では、お先に失礼します、デルガドさん」

「今日もご苦労さん。はい、次」


 無駄口は叩かずにさっさと部屋を後にした。

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