6・叡智の果実 The Axiology
人物
・チュリパン:妹たちの中で最も姉たちに近い実力を持つ赤い髪の若者。正義感が強い。
・斜陽:カーランフィルの一つ前に入園した天才的魔導師。月日星に次ぐ四人目の賢者。
雨が降るなか久々に訪れた人間の街は、園と違って酷く雑然としていて、人間たちが出す強い匂いに混ざって色んな匂いが感じられました。
化粧品、消毒液、下水、吐瀉物、生ゴミ、動物の死骸、ペンキ、プラスチック、ガソリンなどなどなど……中でもアスファルト舗装路は石油特有の甘ったるい匂いとカビ臭さが織りなす不快な匂いがどこまでも追いかけてきます。レインコート姿のチュリパンは吐きそうになりながらもなんとか耐えて、先を急ぎました。
どこまで行っても繰り返される、目にうるさいLED照明、落書きされたシャッター、客引きの男たち、表面が剥がれ落ちたコンクリートの建物、鉄格子で守られた窓、ネオンで型取られた二階の窓からこちらを見つめる不気味な視線、オレンジ色の街灯と、青紫色の誘蛾灯……下品以外の特徴を一切持たない、無数のそれらを掻い潜りながら、チュリパンは遂に、ある路地へと辿り着きました。
そこは街頭の明かりも、店の光も届かない、太さがばらばらの何本ものパイプがひしめく不気味な路地裏でした。壁には落書きと乱雑に貼られた意味不明なマークのシール、そして謎の電話番号が無数に書かれてあります。
バーの裏口に面したその路地裏は、他の路地裏と違って、数人の男たちがタバコを片手に小さな屋根の下でたむろする溜まり場です。
男が一人、酒の匂いを帯びさせながら話しかけてきました。二十台前半でしょうか、サイドカットされた黄緑色の髪を大きく横に流し、耳には複数のピアスがついています。
「どうしたんだい? ここはお嬢ちゃんが来ていい場所じゃないよ」
ヘラヘラとした喋り方にチュリパンは苛立ちながら言いました。
「情報が欲しいの」
チュリパンが尋ねます。
「一昨日、ここで女の子が殺されなかった?」
「ああそりゃあ……いいや、知らねえな」
男が何かを咄嗟に隠そうとしたことは明らかでした。
「お金ならあるわよ。いくらほしい?」
「金? へへッ、いやいや、じゃあどうしようかな、お嬢ちゃんでどうだ?」
男が笑いながら言います。他の男たちも笑いました。その時です。
「ドルカリエス」
チュリパンがそう呟くと「ッぎゃあああああッ‼︎」
男は悶絶し、そのまま倒れ込んでしまいました。必死に頭を押さえつけて掻きむしり、ひたすらに苦しんでいます。
チュリパンは頭痛どめの呪文の基礎構造部四百二十文字を四文字の呼び出し符号「エリカル」に紐づけ、それを逆さ言葉にして効果を反転、圧縮接頭辞「ド」と圧縮接尾辞「ス」で合計で「四百二十二文字ある呪文」を、「ドルカリエス」という六文字に変換詠唱したのです。被術者が感じる痛みは群発性頭痛の六十倍以上──もはや比較の意味がないほどの激痛に匹敵します。
「おい大丈夫か⁉︎」
他の男たちは立ち上がるや、一斉に駆け寄りました。黄緑髪の男はあまりの痛みに痙攣しながら気絶していました。
「おいお前コイツに何しやがった‼︎」
「……同じ目に会いたくなかったらさっさと言いなよ。それともここであんたら全員同じ目に会いたい?」
男たちが動揺した時です。
「ちょっと待ちなよ」
そこに現れたのは斜陽でした。
「おつかれさま!」と斜陽が男たちに声を掛けると、「わかりましたー……おつかれさまですー……」と男たちがまんまるとした瞳孔で、水たまりの上でのたうっている仲間を踏みつけながらその場から去っていきました。
チュリパンが警戒した目つきで質問します。
「またお前……今更どのツラ下げてきてんだ? マジでお前何考えてんだよ」
「そっちこそさ。きっと天球が見たら悲しませるようなことを企てていたんだろ?」
「……それがなに?天球は神じゃない。従う必要も義理もないだろ」
「そうじゃなくてさ……知らないの? 魔女は他人の魔法が互いに視える。全ての魔女は形而上領域での同位階層内で意識を共有しているから、いつどの魔法を使ったかは簡単に他人が把握できるんだ」
「それで?ここに長居はしたくないんだけど」
「まあまあ。もっとも? 普通には他人の魔法の痕跡は見れないよ。もし見えたら大混乱が起きるからね。でも、調査の時に天球は必ずその記録を探し当てるだろう」
とくとくと話す斜陽に痺れを切らしたチュリパンが言いました
「要するにもうやめておうちに帰りなって言いたいの?」
「いいや」
「? じゃあ何の用で来たの」
「キミに力を授けるためさ」
斜陽はお花を見つめるお姫様のように倒れている男の前に優美にしゃがみ込むや、髪を掴んで、顔を無理矢理上に見上げさせて尋ねました。
「一昨日ここで殺された女の子について、洗いざらい全部話してもらうよ」
男はうまく息ができないのか、白目を剥きながら涙目で口を開け閉めするばかりです。
「あ……あ……」
「ふんふん、なるほどなるほど」
思考聴取の魔法を使っているのか、まるで会話が成立しているようには見えませんでしたが、斜陽は重要な情報を十分聞き出せたのか、男の頭から手を離すや、そのまま男は気を失ってしまいました。
斜陽は遠く斜め上を指差しながらチュリパンに言います。
「あそこに見える建物、タワーマンションだっけ? 家賃すごそうでしょ? 特にあのてっぺんにあるライトアップされた部屋」
「それがどうしたの?」
「さあこれで犯人の大体の位置は掴めたね」
「え……? うわ!」
「けどどうする? チュリパンの魔法じゃ遅かれ早かれ天球にバレる。けど復讐はしたい。君はどうやって、この犯罪を成功させる?」
「……凶器を自作して、生活用魔法を活用して忍び込む……くらいかな。あとは事故に見せかけるか。侵入くらいなら魔法でやってもバレないと思うけど……」
「まあまあ良い考えだね。道具のDIYこそ魔女の真骨頂! そんなキミにプレゼントがあるよ!」
そういうと斜陽は懐から一冊の青い豆本を取り出し、チュリパンに渡しました。それを少し開いた途端──
「……! これやばい え? ど、どうやってこれを?」
斜陽が渡したのは、園の魔女たちが使う魔法の標準規格──三賢者と天球が力を合わせて作り制定した──である【正書魔法】とは全く別の独自規格で創られた魔法形式【禁令正道魔法】、その手引き書でした。
問題はその中身です。大規模殺戮や近距離即死系、物体破壊系といった攻性魔法の、執念すら感じる異常なまでの充実。より複雑で高度なカスタマイズ性を持つ、軍用品レベルの大量の防御魔法や錯覚・認知阻害魔法。そして三賢者ですらも苦戦するであろう侵食魔法と催眠・洗脳魔法。
例えば身体が近づいただけで人間の臓器を一瞬で腐蝕させ即死させる【キルオーラ】。
命中した攻撃を吸収し発射元へ正確に弾き返す【ミラーリング】。
そしてまさにさっきゴロツキ相手にやってみせた、声かけだけで相手の意識を停止させ、反射運動だけで操縦する【統制魔法】。
そして何より正書魔法と違い、この禁令正道魔法にはあらゆる追跡を拒む無数の仕組みが取り込まれており、特に「使用履歴」は他人が同じように禁令正道魔法を使っても追跡ができないようになっていました。
いくらチュリパンが優秀な魔女といえど、それでも手に持って数枚めくった程度でも確認できるその異常性に、チュリパンは若干恐怖しました。
「斜陽……いや、アンタは、何者なの?」
「それはどうでもいいよ。とにかく使い方はね、その本を両掌で挟んで、⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎って唱えるの。そしたら後はキミの自由さ!」
斜陽は笑顔の表情を変えませんでした。
チュリパンのレインコートは激しい雨でびしょ濡れの一方で、斜陽の髪や衣類には雨粒一つ付いていませんでした。
*
それから翌日のことです。空は澄み渡り、風は穏やかな過ごしやすい天気模様です。
水たまりは陽光を反射し、黄金の輝きを放っています。
森に広がる木々の葉は、その一枚一枚が艶めいていました。
そこへ、監視カメラの映像と目撃者の言葉をもとに、殺人事件の疑いで複数名の警察官が園を訪問してきました。
パトカーから降りた警察官に応対したのは三賢者の内の一人、「月」でした。
しかし、これは本来ならあり得ない出来事でした。というのも、園と人間が使う道路を繋ぐ山道にはカモフラージュの魔法がかけられており、道路側から山道は見えないようになっているからです。
事件の顛末を警察官が話すと、月は粛々とした態度で「寡聞にして聞き及びませんが、捜査には協力いたします。」
と、述べ、警察官らを園に招き入れました。
園の中を警察官があちらこちらで調べ回ります。しかし、怪しいものは何一つ出てきませんでした。
事件に絡みそうな物品のあまりの欠如ぶりから警察官の一人は違和感を感じ、本部に連絡を入れました。
本部からの応援が到着する前に、可能な限りの調査が進められます。
特に園の立地上、紛争地帯である南部の反政府組織による偽装アジトの可能性が考えられたため、予防的に執られた措置でした。
そこに赤い髪を下ろした Tシャツ姿の少女が、声を荒げて大邸の宿舎から出てきました。チュリパンです。
「なんでここに男がいるんだよ! おい月! お前何考えてんだマジで‼︎ 何で入れたんだ‼︎ ここには男性恐怖症の妹たちが何人もいるんだぞ‼︎」
月が落ち着いた声で対応します。
「これは複雑な事情のためです。冷静に考えてください。相手は警察です。対抗しても益はありません。ここは協力すべき場面なのです」
「だからそれが間違いなんだよ! うちらにはうちらの自治権があるだろ⁉︎ なんでそんなことすら男共に任せなきゃなんねーんだよ‼︎」
その同じ頃です。
「タワーマンションの一室、街と運河を一望できるリビングで、監視カメラに映った赤い髪の女が謎の挙動に出るや、部屋にいた男が倒れ込んだ」という映像が警察本部に見つかり、武器を所持している可能性が高いと現場の警察官たちに通達されたのです。
赤い髪の女、なんとまさにそれこそが、警察官たちが探していた「ホシ」でした。
警察官は手にしていた端末で例の動画を視聴後、髪の長さや赤みの色合いから実行犯はその中で騒いでいるチュリパンだと確信し、同行をお願いしました。
勘が当たったことで、警察官らの間に一斉に緊張感が走ります。
もちろんチュリパンは同行を拒否します。そして叫びました。
「ありえない! お願い信じて下さい! 確かに私は昨日の夜出かけたけど、普通に帰りました! 人を殺すなんて……そんな……とにかくあれは私じゃない! 私はやってない‼︎」
「分かりました。確かにあなたではないんですね? 申し訳ないのですが、私たち現場の者では確認しきれないことが多すぎますので、どうか手荷物確認の後、一旦署までご同行頂けますか?」
そう言うと警察官はチュリパンの衣類に手を伸ばした──その瞬間です。チュリパンが声にならない声でこう叫びました。
「ドイヴェンクロブシチェコーラツェス(地より出でし杭よ、貫け)‼︎」
すると、何もなかった地面から突然鋭い杭が何本も生えてくるや、警察官一人の身体を串刺しにしてしまったのです。
心臓と脳を、長く太い杭が三本ずつ貫通し、頭蓋はその威力によって崩れ落ち、もはやさっきまで話していた警察官は、バラバラに分かれた内臓と塊肉を、布切れになった制服でなんとか包んだだけの物体と成り果てました。
チュリパンは怒りと焦り、それと何より自分を庇ってくれない姉妹たちへの裏切られたような感覚から頭の中がぐちゃぐちゃになり、思わず攻撃呪文を叫んでしまったのです。
刺された警察官は即死でした。杭を伝って大量の血が地面にこぼれ、刺すのに失敗した串焼き料理のようにすこしずつ内臓がずり落ちてきています。
自らの髪色と奇しくも同じ──流れ落ちる大量の血液を目にして、やっとチュリパンは自分がしたことの大きさを理解しました。
現場はパニック状態になり、特に警察官はすぐさま拳銃を取り出して威嚇、全員その場に手を上げて跪くよう命令しました。
それと同時にもう一人の警察官が車載無線で本部に対テロ特殊部隊の派遣を要請しています。
もう誰にも止められない勢いが、ついに広がり始めてしまいました。
騒ぎを聞きつけた天球と太陽、それに星が大邸の広い玄関から出てきて「一体どうしたのですか?」と尋ねました。
数十名の妹たちも、大邸の前の広場に集まりました。
チュリパンは尚も叫びます。
「なんで誰もアタシを庇ってくれないんだよ‼︎」
叫びに反論しようとした月を静止し、天球が静かに答えました。
「いいですか? チュリパン。あなたは人間の領域に降りて、人間の法を破った。そして園の規則も破った。だから人間の手と私の手によって然るべき罰が下されねばならないのです」
「は? なんだってそ──」
チュリパンが言い切る前に、天球が右手を上から下に素早く下げました。
その途端、チュリパンは全身が謎の脱力感に襲われたのを感じました。
その一瞬の隙を突き、警察官の一人がチュリパンの腕を掴んで後ろ手に回そうとします。
脱力の原因についてチュリパンは無意識のうちになるべく考えないようにしました、が、どれだけ力を込めても警察官の腕が振り解けません。身体強化の呪文(ドクラインスエス)を唱えてもです。
チュリパンはいよいよこの現実を認めざるをえませんでした。
そうです。
チュリパンは園を破門されたのです。
もう魔法は使えません。魔力は失われ、髪色は黒に戻り、チュリパンはただの非力な少女となりました。
自分の長い髪を掴んで見ながらチュリパンは狼狽えます。
「嘘だ……え? 本気でやったの? なんで? え、嘘でしょ?」
「あなたは魔法で人を殺した。それは園においては禁忌なのです」
狼狽するチュリパンに対し、天球が淡々と言いました。しかしその目は、どこか潤みを含んでいます。
チュリパンの激昂は更にヒートアップしていきました。
「ふざけんなババア! おい戻せよ‼︎ なんで、アタシじゃねえっていってんだろ‼︎」
警察官がチュリパンを抑えつけます。
「クソ! クソ! クソ! マジでざけんなクソ共がよ‼︎ 離せ‼︎」
そこに応援の警察官らがパトカーで駆けつけました。
あまりの混乱ぶりに現場では更に関係者全員を捕縛する必要がないか検討されています。
チュリパンはそのまま捕縛され、簡単な身体検査を受けると、パトカーの後部座席に無理矢理押し込まれ、署まで送られることとなったのでした。
「降ろせ! 止まれ! マジで早く降ろせっつってんだろ‼︎」
「私たちは危害を加えません。だからどうか落ち着いて下さい」
警官は慣れたような口調で受け答えします。チュリパンが前の席を蹴っても、ドアガラスに頭を打ち付けても、警官は「落ち着いてください。お話を聞くだけですから。まずは深呼吸をしましょう。」
両脇と両脚を警察官に掴まれながら、チュリパンは尚も抵抗を続けました。
パトカーが走り出そうとした時です。チュリパンの中に閃きが起こりました。
チュリパンは後ろに回された両手を巧みに使い、ズボンのベルトを上につまみ上げました。
するとその思惑通り、ポケットの片端が上がったことで豆本が音もなくポケットから滑り落ちるや、ぽとりと手の上に落ちてきました。
チュリパンは昨夜の斜陽の言葉── 「本を両掌で挟んで、⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎って唱えるの」──を思い出します。そして──
──「禁制解放」
チュリパンが小声で唱えた瞬間、豆本は大判の分厚い本になりました。
突然の出来事に警察官はすぐに反応しました。何をした! と若い警官が叫びますが、もはやその声はチュリパンには届きません。
本はチュリパンを主人と認めると、髪色が再び焼け付くほどの鮮紅に染まり、両腕の拘束が解かれ、そしてチュリパンの頭の中に直接メッセージを送りました。
「唱えよ」と。
そしてチュリパンは唱えます。それはこの場で最も邪悪で、強力で、効果的な呪文を。
チュリパンは不敵な笑みを浮かべて。
「ザグラス」
その瞬間、パトカー内の警察官全員が、白目を剥いて窒息したかのように口を喘がせるや、全身の穴という穴から溶けた臓器が流れ出し、猛烈な腐臭と頭髪と皮と骨と衣類だけを残して、それ以外の肉は全て赤黒い粘液になってしまいました。
運転手のいなくなったパトカーは制御を失い、そのまま園の常夜灯に衝突して止まりました。
しばらくすると、パトカーのドアが内側から外れ落ち、車内からチュリパンが出てきました。
血と内臓にまみれたシールドで身を包みながら。
それを見て、園では過激派の興奮が更にヒートアップしていきました。
天球だけでなく月、日、星の三賢者や姉たち、穏健派の妹らが説得にあたりますが、過激派は全く耳に入れようとしません。
魔法を使われると悲惨な事件を招きかねないとして、天球は過激派の全員から魔導権限を剥奪すべきか考えていました。
すると過激派の一人が暴走し、穏健派の妹たちを襲おうとしたのです。
天球はすぐさまその過激派のメンバーから魔導権限を取り上げました。
「まだ何もしてないのに魔法を奪った!」
過激派の一人が叫びます。それに呼応して数十人の妹たちが一斉に抗議の声を上げました。
天球は考えました。女性が酷い目に遭ってるのを見過ごすべきではないという、妹たちの主張もわかりますが、だからといって男たちに復讐するのは、人間たちの法に触れることだということも。
前提が正しいのかすらうやむやな両論が、パラドクスとして立ち塞がります。
「どうしますか?」
太陽が聞きました。天球は数秒考えた後、こう言いました。
「全ての過激派から魔導権限を一時的に奪います」
その瞬間から過激派の全員が魔法を使えない状態にされました。
これで少しは冷静に考えられるようになるだろう──天球はそう考えました。
しかしそれでも処分を受けた妹たちと少ない姉たちは動揺すら見せず、園の出口を一斉に目指し始めたのです。
これには天球も三賢者も、姉もみな驚きました。
「魔法もなしに一体何をしようというんだ!」
星が言います。すると月が「嫌な予感がする。天球、あの子たちを強制的に捕縛した方がいいのでは?」「もう試しました」
「え?」 皆が驚きます。
「止められないのです。私の魔法が、……彼女たちに通用しないのです」
穏健派の皆が目を丸くしました。
その時です。
園と街とを繋ぐ山中の一本道から、数台のいかつい四輪の警察車両と、防弾仕様になっているバスが押し寄せるような勢いでやってきたのです。
それぞれの車が園の正門前に止まるや、中から二十数人の隊員──警察の特別対テロ部隊です──が銃と防弾盾を構えながら現れ、過激派たちの前に立ち塞がったのです。
黒づくめの戦闘服を着た隊長がスピーカーで叫びます。
「全員武器を捨てて両手を頭の後ろに回せ‼︎」
しかし過激派の魔女たちは歩みを止めません。
「止まれ!」
隊長と思しき隊員が銃を構えるや、他の隊員も一斉に銃を向けました。
そこをチュリパンが、過激派の集団から離れ隊員たちに近づきました。
「それ以上来るな! 撃つぞ!」
チュリパンの足は止まりません。そして隊員が、やむなしと考え発砲許可を出そうとした、その瞬間です。
その場にいた隊員らの首が、人形の頭のようにはずれ飛んで宙を舞いながら何度か空中で回転したのです。
隊員らの身体は力なく崩れ落ち、その場に山積みとなってしまい、血溜まりをつくるやその上から幾つもの頭がヘルメットを被ったまま落ちてきました。
そしてチュリパンは魔法の力で車やトラックをぺしゃんこに──その中には待機中の隊員もいました──すると、穏健派のメンバーらを見て、笑いながら言いました。
「これは序の口だ 今度はこっちのターン。我慢も遠慮ももうしないよ」
そう言い残すとチュリパンは過激派のメンバー全員を連れて、飛翔魔法で街へ向かって飛んでいってしまいました。
フリザンテマが天球に言います。
「どうしますか? とにかく私たちも街に行かないと、きっと恐ろしいことが起きます!」
「……元は魔法を教え始めた私の責任です。街へ降りましょう……」
穏健派の皆が「お供します」と声を上げ、天球は浮遊の魔法を皆にかけてあげると、妹たちの身体が浮き上がりました。魔女たちはそのまま空を飛び、過激派を止めに向かいました。
皆が飛んで山を降りていく中、一緒に移動しているカーランフィルだけ状況が分からず、戸惑うばかりでした。
道中、穏健派のメンバーたちは様々な可能性を議論していました。
しかし最大の問題は何よりもまず「なぜこちらの魔法が通用しないのか?」という点でした。
「魔法の仕組み、……例えば【ドーフ(Dofu)】自体に不正干渉する技術なのでは?」
星が言いました。
「そうだと思います。いえ、未知数ですが、誰かがドーフに似た【形而上下間変換体(けいじじょうげかんへんかんたい)】を自作したように思えます。ドーフ阻害はその機能の一部でしょう」
天球の言葉に三賢者はどよめきました。
「もしそうだとしたら、過激派を止めるのは容易ではありませんよ」
「ええ……考えたくはありませんが、正直、どこかで血を見なければいけなくなるでしょう……」
「あ、あの……」
天球と三賢者の会話に、恐る恐るカーランフィルが質問しました。
「ドーフって…なんですか? あと、血を見るって……そんなに大変なことなんですか……?」
天球が答えました。
「カーランフィル、あなたはまだ園に入って日が浅いから、まだ幼子のように何も分からず、その故に不安となっていることでしょう。そしてカーランフィル以外の妹たちも同じように……」
皆が頷きました。
「魔法とは何かを、即成ですが説明しましょう。この世界は二つの領域に別れています。即ち、手ではさわれない魂の領域である【形而上世界】と、現にいま私たちが生きている【半形而下の世界】です。ここまではわかりますか?」
「うーん……まだちょっと……わかんないです……」
「そうですね、形而上とは「形がない」という意味の言葉です。それに対して形而下とは見たり触ったりできる、「形ある」という意味です。つまり、私たちが今こうして肉体を持って生きてる世界が「形而下の世界」です。逆に、手で触ることも見ることもできない、魂だけの世界を「形而上の世界」と言います」
「少しイメージできました?」
「は、はい この世とあの世的なイメージですか?」
「ええ。その理解で問題ありません。」
「この二つの世界は、簡単には行き来できません。そこで必要となるのがドーフというシステムです。」
「ドーフとは形而上下間変換体とも呼ばれます。つまり、形而上と形而下という、本来は行き来のできない二つの世界を限定的に行き来できるシステムです」
天球は妹たちに細かく目をやり、分からなそうにしていたら更に噛み砕いて説明してくれました。
「この世界には、一つの特徴があります。それは【MRCP】、【道徳的責任媒介粒子(Moral Responsibilty Carrier Particle)】という物質で成り立っているという点です」
「ここで一つの法則があります。それは、形而上の出来事は形而下の出来事に優先するということです」
「つまり、形而上世界のMRCPの振る舞いに引っ張られる形で、形而下の物質も同様の振る舞いをするということです」
「例えば、形而上のMRCPの集まり具合によって現実の道徳的責任が発生したりするのです。」
そこで妹たちの一人が尋ねました。
「それだと、人間の自由意志はどうなるのですか? 形而上にあるMRCPの振る舞いが形而下に生きる私たちの道徳的な判断を決めるのなら、自由意志も責任も問うことは出来ないと思うのですが……」
「ごめんなさい、自由意志の問題は更に複雑ですし、魔法のメカニズムとは少し離れてしまうので、そこは後でお教えします」
天球は申し訳なさそうな表情で返しました。その天球を星がフォローするように付け加えます。
「MRCPは素粒子ではありますが、私たちと同じように心を持っており、その有心性によって人間の道徳責任や現実世界の因果関係を担保しているのです」
「なるほど……」質問をした妹は納得したようですが、カーランフィルにはさっぱりでした。
天球は続けます。
「形而上世界でのMRCPの振る舞いが、一方通行的に形而下に反映されることは話した通りです。そしてここからが本題なのですが、逆に現実世界を生きる私たちの思念によって形而上のMRCPを操作する技術、これが魔法です」
「形而下では脳内のイメージはあくまで空想であり、実在しません。しかしそこでドーフを使えば、一時的に形而上空間内に個々人の空想を具現化できるのです。そうして作られた形而上の諸物は、形而上世界の優先性に沿って、形而下に具象化するのです」
聞き飽きたように月が言いました。「平たく言えば要するに『誰でも妄想が現実になる!』ということですよ」
「しかしそれでは現実の秩序が乱され、大きな混乱が起きてしまいます。ドーフの役目は魔法を使えるようにするだけでなく、魔法使用の上限や用途を限定化する役割も果たしています。」
「ですが今回、チュリパンは魔法の核心部分であるドーフを止められたのにも関わらず魔法を行使し、その上こちらの魔法を無効化してきたのです」
「我々の知らない新たな魔法様式を誰かが作り出し、それを私たちの見えない場所でチュリパンをはじめ過激派一同に与えた……一体誰がその手引きをしたか……この事件、必ずや暴き出さねばならないでしょう」
いつになく低いトーンの声で天球が締めくくりました。その顔はまるでもう誰が犯人かの目星がついているかのようでした。
天球の講義が終わると同時に、一行は人々が住まう街に辿り着きました。
*
街は既に地獄絵図の様相を呈していました。
洗脳を受けているのか、街中の至る所で殺し合いが起きています。
ある人はゴルフクラブを、ある人は包丁を、ある人はチェーンソーを。
互いに振り回して殴り合い、刺し合い、切り刻み合いながら、まだ洗脳されてない人々を追いかけ回して、捕まえるや容赦なく殺していくのです。
どこもかしこも血溜まりができています。色鮮やかな内臓や四肢、目玉も落ちています。
何かに気づいたのか、天球はすぐさま穏健派の全員を覆える大きな魔導障壁を展開しました。
次の瞬間、魔導障壁の表面に無数の羽虫が次々と飛んできては、体当たりを繰り返し、またはその表面にとまりました。
穏健派の姉は目に顕微の魔法をかけて虫を凝視して言いました。
「虫……? 魔法で動く極小のロボット……?」
同様に望遠の魔法を使っている月が叫びました。
「な、なんだあれは⁉︎」
なんと魔法の羽虫が無数に飛び交い、人々の首に噛みつくや、そこからどんどん紫色のあざが広がり、それが全身に広がると、傷口から無数の羽虫と共に、数メートルはある細く長い腕が出てきたのです。両腕が生えてきて、そこから患部を引き裂きながら背中と思しき部位が出て、頭のような部分が出てくるや、その勢いで足も姿を現し、四足歩行の不気味な生物が生まれてきました。
次の瞬間、その怪物は首を百八十度回して、穏健派一向を見ました。
しかしその顔には、眼窩だけで目玉がありません。高さのない貧相な鼻には縦筋が二つだけ大きく開いています。口を開くと乱雑に生えた歯がぐにゃぐにゃと動いていました。
その姿を見るや、天球は即座に天を指すようなハンドサインを作り、手を下向きに倒しました。
その瞬間、あの不気味な生物が数メートルはある巨大な正方形の【マジッククリスタル】の中に封じられたのです。
このクリスタルは内部の捕縛対象が暴れようとしたり脱出や破壊の魔法を使おうとすると、それらのエネルギーを即座に吸い取り、そのエネルギーを利用して更に頑丈になるという、高度な魔法を用いて造られたものでした。
またそれだけでなく、天球は障壁の外側に斥力を持ったキルオーラを生じさせ、表面に取り付いた無数の羽虫を、粉々に殺しました。
天球が穏健派の姉たちに言います。
「ここからは私と三賢者で行きます。姉の皆さんは妹たちを障壁で守りながら飛行魔法で大邸に戻って、そのあと園全体を障壁で囲んでください。できますか?」
姉たちは快諾し、すぐに天球が言った通りにしました。
身体が魔法で浮いたカーランフィルが不安げに言いました「天球様や三賢者さんは大丈夫なんでしょうか…?」
フリザンテマが言います。
「大丈夫ですよ。あのお方々は大変に強い方ですので……」
*
天球と三賢者が魔導障壁を展開しながら街の中心部に駆け足で向かいます。
街は尋常甚だしい、大混乱と虐殺の痕跡で埋め尽くされていました。
この街でまだ立っていられる人間は、洗脳によって殺し合いをしている男たちだけです。
街のどこを見ても、まだ無事な人は一人として見つかりません。視界に映る風景は、地獄と呼ぶ他ない状況です。
眉毛から下の顔の前半分だけをえぐられ、喋ることも泣くこともできず生きたまま放置された男たちが街中で数千人という規模でうめきながら苦しみもだえています。
他にも、ちぎられた性器を自分の口に入れられたまま全身を輪切りにされた男の死体がまた数百と。
身体のあらゆる部位の皮を生きたまま引き剥がされた男も無数にいます。
そして、虫の刺し傷から生まれた例の怪物があちらこちらを闊歩し、逃げ惑う人々を掴んでは振り回し、食べ殺していました。
星が言います
「この街に無傷の人はいないようです……魔力が続く限り、私はあの化け物を倒しながら怪我人たちに治癒魔法を施しますので、皆さんは他の街の様子も見てきて下さい」
そう言い残すと星は白い大きな弓矢を持った守護精霊を呼び出し、街へと向かいました。
天球と二人の賢者は頷き、更にその先、首都を目指して翔びました。
*
首都は更に、地獄の最奥部とでも呼ぶべき情景になっていました。
走る道中、街中の至る所で折り重なって男たちが倒れ、黒い血と悪液を噴き出して死んでいるのです。眼球から手の指先に至るまで、隙間なく腫瘍が全身に広がっていました。
天球は口元を抑えながらつぶやきました。
「この人々……全身の臓器を癌細胞に置き換えられている……⁉︎」
その遺体の山の上から、一人の少女が紅い長髪を手で軽く払いながら降りてきました。
苦悶に歪んだ遺体の顔を見つめながら、天球はききました。
「チュリパン、これはあなたがやったのですか?」
「そうだけど。何? なんか不満でもあるの?」
「ええ。不満というよりも、後悔と悲しみですが」
そう言って天球は少しうつむくと、顔を上げてチュリパンに言いました。
「先の動画に現れた赤い髪の女性は、チュリパン、あなたではありませんでした。申し訳ございません」
「は……?」
今更そんなことをチュリパンに伝えても、もう何もかもが手遅れなのはあきらかでした。
「私の判断の鈍さと遅さのせいで、あなたとの関係を悪化させたのは、他でもなく私です」
「あのさ、私言ってたよね?やってないって。それなのにお前はやれルールを破っただの言ってその上みんなから権限取ったりしてさ」
「人のこと悪人扱いしといて今更どのツラ下げてきたんだよ‼︎」
天球は素直です。
「あなたの言う通りです。私の早計な振る舞いのせいで、あなたをはずかしめてしまった」
そう言うと天球は深々と頭を下げて言いました。
「あなたを悪人扱いし、権限を取り上げて、本当にごめんなさ」
「いやもうおせーから」
天球は頭を上げてチュリパンの顔を見つめした。
チュリパンが失笑気味に言います。
「いやいやマジで今更過ぎでしょ。というか自分の謝罪にどんだけ自信持ってるの」
「ごめんなさい。チュリパン、あなたをここまで苦しませて」
「は? 何言ってんだ? オメーと話してる時間もったいねーから先行くわ」
チュリパンが飛行魔法でどこかへ行こうとしたその瞬間です
「言葉で通じない以上、やはり魔法で分かってもらえるようにするしかないでしょうか……」
そういうと天球はチュリパンの真下に巨大な重力場を形成し、遺体の山の上に叩き落としました。
「⁉︎」
突然のことにチュリパンは混乱しました。そして何か喋ろうとしますが、あまりにも強烈な重力で口がうまく動きません。
禁令正道魔法は正書魔法からの直接魔法は無効化しますが、重力場の力で引き留めるというような間接魔法までは無効化できません。天球はそれを見抜き、重力場を魔法でつくりだしたのでした。
「先ほどの映像、亡くなった警官の方の手にあった端末から見させていただきました」
「あの動画に写っていたのは、たしかにあなたではありませんでした」
「あれは誰か別人が、魔法によって変装し、罪をあなたに被させようとしたものですね?」
「それも恐らく、あなた方が持っている本を配布したのと同じ人物の仕業でしょう」
チュリパンは尚も口が動かせませんでしたが、次に天球が何を言うか、予想がつきました。
「斜陽……あの子から唆されて本を渡されたのでしょう?」
そう言うと天球は重力魔法を解除しました。
「ハアッ、はあ、はぁ、はぁ……」
それまで微かにしかできなかった呼吸を、チュリパンは思い切り繰り返しました。
「間違いありませんか?」
「はぁーー……ひゅう……そうだよ、それがなんだ? 欲しいのか?」
「いいえ。斜陽の意図はわかりませんが、こうして私たちの分断を煽っているのは明らかです」
「チュリパン、あなたがしているこの虐殺に、意味や大義など何もありません。その本を捨てて、園に帰りませんか?」
「斜陽は明らかに危険な思想を持っています。それに乗るのは自殺行為に他ならない」
天球の説得に、やっと息が整ったチュリパンが返します。
「だからさ……言ってるじゃん。もう手遅れだって」
「そんなことは……人はいつだって立ち戻ることはできます」
「あのさあ! 手遅れなんだよ! 何もかも全部!」
「どうして……」
「どうしてって……当たり前じゃん」
チュリパンは目に涙を浮かせながら続けて言いました。
「もうこんなにたくさん人を殺しちゃったんだよ? そんなあたしがさ、今更園なんてキラキラしたとこに帰れるわけねーじゃん」
「チュリパン……」
天球が心配そうに言いました。
「それにさ、私の幼馴染がクソ男共に殺された時にもう誓ったんだよ。あの【Y野郎】共を絶対に全部殺してやるって」
YとはY染色体の意味です。そこから転じて、男性全般を指します。
「チュリパン、あなたの決意やそれに至った経緯の苦しみはわかります。ですが、どんな理由があっても虐殺は正当化され得ません。魔法はそんなことのために使われるべきではないのです」
「いいや違うね。魔法は私たち女が得た、自由になるための唯一のツールだ」
「違います! 魔法はあくまで自分に向き合い自己研鑽するためのものでしかありません!」
「それが何? 何の役に立つんだよ。」
「誰にも依存せず、幸せに生きるのに役立つもの、それが魔法です」
「いやいや……マジでそれ言ってるの? やっと男共の呪縛から自由になれる力を得たのに、一体いつまで我慢しなきゃいけねーの? いつまで男共に苦しめられるなきゃいけない?」
「あんたの【自衛魔法論】は結局【レイプカルチャー】の一種でしかない。圧倒的武力による威嚇でなければ女性は真の自由を得られないんだよ」
「ですから、私は園を作ったのです。みんなが安心して暮らせるようにと願って……」
天球の反論にチュリパンは全く耳を貸しません。
「園の外までちゃんと見ろよ! この世界が女にとってどんだけクソだと思ってんだ⁉︎ 何のために魔法の修行をしてきたと思ってる? このクソみてえな世界を変えるためだろうが!」
チュリパンは更に続けます。
「MRCP(道徳的責任媒介粒子)自体が女性差別的な存在でもなきゃ、私たちが経験した事の説明がつかねーだろ⁉︎ そんなふざけた事があってたまるか! MRCPの力場復元─応報効果はどうなってんだよ! 女はどこまで呪われ縛られなきゃいけないんだ!?」
「それはそうですが、だからといって虐殺をするのは明らかにやりすぎです。無関係な男性を巻き込んで、一体何の意味があるのですか? それに応報効果はMRCP自体が持つ自然復元力であって、人為的に再現するものではありません。人間世界の大規模な改変はよりよきものを招いてしまいます」
「意味あるに決まってんだろ! 男に生まれた時点でそいつらは性犯罪者予備軍なんだから、無関係な男なんかいねーんだよ!」
「それは過剰な一般化、無益な発想です……」
「無益じゃない! これは全ての女のために必要なんだよ! 男共の責任には時間的連続性がある。男共は未だに過去の負債を払い切れていない!」
「負債? もう断罪の果てに男を殺し尽くしてきたのに、まだ負債があるのですか?」
「当たり前だ! 女は人類史以来ずっと虐げられてきたんだ、その同じ時間を【ミラーリング】しないで何が道徳だ!」
「アリストテレスが重力の概念を発見できていなかったのと同じように、先人らは「女性が平等である事実」を発見できていない時代に偶然生まれてしまったのです」
「そうだとしても、それまで女性を虐げてきた罪が清算される筈がないだろ!」
「いいえ、そこは不可知の領域です。裁きはあくまで時間の波が洗い流す事によってのみ成される。もしあなた個人が過去を追求すれば、あなたもまた未来から追求されることになる。MRCPの無限遡及性(スカラー自在性)と転嫁伝播性(ベクトル自在性)を甘く見ない方がいい……なによりあなたの言うミラーリングには何らの意味もありません。仮に全ての男性を殺したとして、そのあと一体どうするつもりですか?」
「男がいなくなってはじめて、女は女による女のための社会システムを構築できるんだよ。そんなことも分からないのか?」
「ではおききしますが、あなたが秘密裏に造っている、女性だけの街【聖域】はどうなりましたか?」
「な、お前、なんで知ってるんだよ!」
「私に隠し事は無意味です。 それで、聖域は結局男女差を解消しても人間自体の限界に新しくぶつかっただけでしたよね? 女性同士の序列という問題に直面したあなたたちは結局、人々の意識を魔法でコントロール……洗脳する結果になった」
「それがあなたにとっての理想なのですか?」
「天球……お前は誰の味方だ?」
「私は人間と違って国家に属さず、あなたと違って存続を否定しません。ただ弱い者だけの味方です」
「そうか。私は永久に女の味方だ。さようなら。名誉男性」
そう言い残し、チュリパンは瞬間移動の魔法で姿を消しました。
*
そして現在。
爆炎と轟音とむせるほどの匂いで、カーランフィルは目を覚ましました。
音の主は、飛び交う無数の戦闘機から放たれた焼夷弾によるものです。
人間たちは森に火をつけることで逃げ込んだカーランフィルを燻そうとしていました。
カーランフィルは大急ぎで森を出ようとします。先ほどまで降っていた雨と霧のおかげで火が広がりづらいのが幸いでした。
しかしそれでも道中、火のついた木々がミシミシと音をたて、葉っぱを散らしながら次々と倒れ込んできました。
(森の神様、守ることが出来なくてごめんなさい……今だけは力を貸して!)
燃え盛る豪炎の中、カーランフィルは全速力で走り抜け、そして遂に森を抜けました。
鬱蒼と生い茂る森を抜けると、そこは辺り一体全てがガラスでできた、ガラスの丘でした。
空は雲一つなくそのまま絵の具にできそうなほど深い青色を呈しています。
透明化のマントのおかげか、爆撃機はカーランフィルが森を抜けたことをまだ把握できていないようです。
カーランフィルはマントで全身を包み、重い足を引きずって数十メートルの丘を登り切りました。
丘の頂上でその目に映ったのは、輸送機から降り既に展開している戦車十六両。
カーランフィルは絶望しました。
急いで引き返し、斜面に身体を伏せます。
ガラスの透過率が極めて高いせいなのか、丘の向こうにいる戦車がガラス越しでもはっきりと見えます。
丘にはついたものの、肝心な手がかりが全くなく、カーランフィルは何かないかとパニックに陥ってしまいました。
その時、カーランフィルは何かを思い出したかのようにカバンから小さな角笛を取り出しました。
「この角笛はとある場所に持って行くと青白く光り、天球と連絡が取れる」という過去に先輩が教えてくれた話を思い出したからです。
角笛はたしかに青白い輝きを放っていました。
カーランフィルは藁をも掴む思いで角笛を吹きます。
するとどうでしょう、角笛から人の声が聞こえてきたのです。
〈これを使ったということは、あなたは今ガラスの丘にいるのですね?〉
「は、?はい!」
〈いいですか? 魔女の世界に上下はありません。私たちは全て平等で、そこには相互の尊敬だけが在るのです〉
〈同様に、目の前にあるものが両脚で立つべき舞台なのかはたまたドームの天井なのかも、魔女にとっては瑣末なことでしかありません〉
〈ごめんなさい、これ以上は人間に探知されてしまうから伝えられません。あなたの無事を祈ってます〉
「え……それだけ⁉︎ ど、ちょ、えええ⁉︎」
カーランフィルが狼狽する中、角笛は光りを失い、ただの砂へと変化してしまいました。
「嘘嘘嘘待って! ああああ!」
カーランフィルがどれだけ慌てても、無情にも風が吹き、角笛だった砂は指の隙間から流れ去ってしまいました。
その瞬間です。戦車の砲撃がガラスの丘に命中しました。
*
「電話?」
マンションの一室でハルの弟が尋ねると、セレスティアは答えました。
「そうですね、仕事仲間からの連絡です。ちょっと出かけてくるのでそれまで良い子にしてくださいね」
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