第19話 帰省
夢。
ひらひらのフリルが似合う黒髪長髪の少女がこちらを見ている。
フリルのついた白い服は頭から流れる血で赤く染まっている。
『ねえ、私のヒーロー……』
小学生の頃の記憶。
楓はこの世界に来てから毎日この夢を見る。
その日は朝から雨が降っていた。
「こっちきて初めての雨だな……」
「不穏だねー」
訪れた約束の日。あれ以来ミルからの連絡はなく、楓たちは不安の海を泳ぎながら夜を過ごしていた。
ふーと緊張を醸し出すような息を吐き出す。ハイリスクハイリターンの賭け。楓はもともと慎重を期すタイプではないが、それでもここまでの賭けは初めてであった。
(結局のところミルの動き次第……それでもきっとやるだけの価値はあるはずだ……)
楓は心の中で自分にそう言い聞かせる。
――妙だ。
それが先日この作戦を聞いた未来の考えであった。
(作戦自体にとやかくいうつもりはないが、いくらなんでもリスクが大きすぎる。なぜ楓はこれで納得した?)
未来にとっても大きなメリットがあるのは理解している。しかし、未来の中の楓像はこの作戦を容認するとは思えなかった。
(まだ知らない部分があるということか……やはり彼は――)
そこで未来は考えるのをやめた。楓がやるというのならやるだけだ。
未来は心の中で自分にそう言い聞かせる。
ピコンという音が部屋に響く。
「……来たか」
楓が端末を取るとメッセージが来ていた。
メッセージ
本日、15:00に大広場にお集まりください。
場所については添付した地図をご参照ください。
「これだけか」
「でも今日集まるのは本当っぽいね」
添付した地図には大広場の位置が記されていた。そこは現実でサン・マルコ広場と呼ばれている場所だった。
部屋の中に緊張が走る。
ついに始まる。
場所は移り、遠く離れた空間。管制室のような場所。壁には無数のモニターが取り付けられている。
「ミル」
黒いローブを着た長髪の男、アルテラ・ナイトホープがミルを呼ぶ。
「……なに」
ミルが鬱陶しそうに返事を返す。
「今日はお前も来るのか?」
「当たり前じゃん。来いって言ったのお前でしょ」
「そうか」
アルテラは興味なさそうに踵を返す。
「……お前が聞いたんだろうが」
ミルが目を伏せながら呟く。ミルにとっても大きな賭けだ。楓が協力するという保証はない。
(もし彼が乗ってこなかった場合、私はアルテラ……父に殺されて終わる。だが、もし乗ってきてくれれば――)
ミルは自分の目的のために作戦を計画し、楓たちに提案した。そこに自分のミスはなかったはず。きっと彼は動いてくれる。
ミルは心の中で自分にそう言い聞かせる。
「アダム……」
大広場。
多くの人が集まっていた。
「こんなに人がいたのか」
広場には目測ですでに10000人以上の人が集まっていた。
楓は明や夏希の話から日付を跨いで人が入ってきているのは知っていたが、既に多くの場所で戦闘が行われていたため、かなり人数は減っているはず。この人数は想定外だった。
「結構多いね」
そう言った未来の表情は、緊張など全く感じさせず、これから乾坤一擲の賭けをするとは思えないほど朗らかな表情だった。
(緊張とかないのかな)
楓がそんなことを考えていると顔に出ていたらしく、
「楓……大丈夫?」
夏希に心配される。楓は心配をかけまいと無理やり笑顔を作る。
「大丈夫さ」
無論、夏希にそんな作り笑いが通じるわけもなく、すぐにバレる。しかし夏希にはどうすることもできず口をつぐむ。
それから10分ほど経過し、15:00になる。
広場の奥にある建物、サン・マルコ寺院の反対側に突如ステージのようなものが現れる。
そこには黒いローブを着た男が立っていた。それと――
緑色のフードを被った人物。
「ミル……」
楓がそう呟くが誰にも聞こえていない。周りは集められた時から多少ざわついていたが、二人が現れてからさらに喧騒は大きくなりすでに多くの人間が狼狽していた。
未来が「ふむ」と納得したように呟く。
(この混乱を見るにほとんどの人間が戦闘を経験していないようだ。やはり楓たちについたのは正解だったね)
そんな喧騒をよそにアルテラとミルの後ろからさらに三人の人物が現れる。
一人は黒い服と黒い髪の男。風に靡いているその長髪は、顔を完全に隠し、その中から燃えるような赤い瞳が光っていた。
一人は3メートルを超える巨大な体で、黄色いローブを被った人物。巨大な体をしているにもかかわらず、ローブで全身を隠しており、顔はおろか肌すら見えなかった。
一人は褐色、白髪の少女。頭からは猫のような耳が生えている。服はほとんど着ておらず、女体の凹凸の部分は細い胸骨のようなものがそれぞれ一本被さって隠していた。
三人の登場により、さらにざわつき騒がしくなる。
「えぐ……」
「すごい騒がしいね」
「あの女なんつう格好してるんだ……」
「そこかよ」
夏樹が楓を睨む。今の会話で多少は楓の緊張が解けたようで眉間が緩む。しかし葉月はここにきてから一度も喋っていなかった。
(緊張してんのかな。葉月がやるわけじゃないのに)
楓は葉月のことを案じていたが、この後のことを考えるとそれどころではなかったため声はかけなかった。
「えーおほん」
ざわついた人たちを黙らせるようにミルがわざとらしく咳払いをする。その甲斐あってざわついていた大広場に静寂が訪れる。
「えー……それでは……」
「私がこのゲームのゲームマスターを勤めている、アルテラだ」
ミルの言葉を無視してアルテラが始める。一瞬ざわついたがすぐに静かになる。
「今回集まってもらった理由だが……」
「まだ私が……話してんだろうがっ……!!」
小さな声だが確かにミルがアルテラに反抗する。この声が聞き取れたのはわずか二人。
一番近くにいたアルテラと――
「来るか……!」
遠くにいるミルの共謀者、楓である。楓の呟きを聞いた未来も構える。ミルの反抗の言葉を聞いたアルテラはそれでもまるで聞こえていないかのように話を続ける。楓たちの中にその話を聞いている者などいない。
一世一代の作戦が始まる。
「
ミルの叫びと同時に体から黒い泥のようなものが溢れ出て、ミルの手の中で三叉槍、つまりはトライデントの形に固まる。驚いたアルテラがミルに向けて手の平を向ける。
しかし何かをする前にミルのトライデントがアルテラの腕を切り落とす。
「ちっっ」
アルテラが反対の手でミルを制そうとする。その時、何処かからミルを模した人形が飛んできてアルテラに体当たり。予想外の攻撃にアルテラの体勢が崩れる。
「がああああああ!!」
ミルはそのまま突っ込む。何も邪魔されない。――まだ他の幹部の手が回らないこの瞬間!このタイミングしかない!
ミルのトライデントがアルテラの胸に突き刺さる。
「今ぁ!!!」
同時に楓と未来にスライム型の人形がくっつく。楓と未来の能力が発動する――
瞬間、大広場から楓、未来、他敵幹部を除き人が消える。
「なっ……!」
アルテラに加勢するために走り出していた幹部の一人、黒い髪に赤い瞳の男が絶句する。
無論、本当に消えたわけではなく未来の能力、
しかしそれを知っているのは未来をのぞくとミルと楓のみ。ただでさえミルが親殺しを敢行したというだけでも問題なのに集めた人がいきなり消えるという以上事態。すぐにはミルの対処に動くことができない。
その間に楓と未来は前方に向かってダッシュする。
ちなみに
楓の目的地は大広場の奥。サン・マルコ寺院の内部。ミル曰くそこに元の世界に戻るためのスイッチがあるらしい。そのためには幹部たちの脇を抜けて寺院の中に入らなくてはならない。
駆ける楓と未来を止めようと黄色いローブの人物が二人の前に立ち塞がる。その人物は黄色いローブの中から触手のようなものを出し、楓を拘束しようと巻きつけてくる。
しかし、そこで楓も能力を発動。楓の能力、
「切られた……!?」
「おや、君喋れたんだね」
黄色いローブの人物には未来の刀は見えておらず、突然自分の体に傷ができたようなものだ。その隙に走り続けていた楓が脇を抜ける。続けてさらに三振りの傷を入れた未来が続く。そのうちの一刀は内臓まで到達しており、黄色いローブの人物は再生に時間を要していた。
「ありがとうございます」
「構わないよ。君が真っ直ぐ走って私が援護する。そういう作戦だ」
楓が未来に声をかけたのは純粋に感謝を伝えるためもあったがそれ以上に未来に驚いたからだ。
まずはその刀捌き。
刀というのは存外扱うのが困難で、今まで刀に触れてこなかったものなら切ることはおろか、”鞘から抜いて刀を振るう”という行為ですら難しい。
その点、未来は刀を鞘から引き抜き、黄色いローブの人物に切り込み、そのまま三振りもの太刀傷を入れた。
間違いなくなんども振るったことがあるであろうことがわかる。
そしてなにより――
(なんで当然のように追いついてるんだ……)
驚くべきはその身体能力。楓が一直線に走っている間に未来は幹部たちの相手をしていた。幹部同士を能力で見えなくさせ、黄色いローブの人物に切り込み、追ってくるものがないように相手の視界に罠を映した。
これだけのことを行なった後、現在楓に追いつき並走している。それも楓は能力を使って異次元の速度で走っている。常人では目で追うことすら難しいほどに。未来はその楓に追いつき並走した上で、会話までこなしている。
(さらに謎が増したな……後でちゃんと聞きたいな……)
走る楓はその速度を落とさずに心の中でそう思う。
(こんだけ動ければいけるか……)
「未来さん」
「ん?」
「加速します」
未来は一瞬、不思議そうな顔をしたが
「いいよ」
すぐに承諾。
楓の足元で音が鳴る。瞬間、楓が異次元的な動きで加速する。
「おお……すごいね」
未来には楓が加速した原理はわからなかったが、それでも楓を見て静かに微笑む。
「着いた!!」
楓と未来が建物の前に着く。距離にして約百五十メートル。ミルがアルテラを刺し、二人が建物に到着するまで時間にして約五秒の出来事。速度にして時速百キロでの走行である。
黒い扉を無理やり突き破り中に入る。中はまるで別世界のような黄金の大聖堂が広がっていた。
楓が思案する。建物内に入れば、未来の能力があるとは言え純粋に範囲が狭くなる分逃げづらくなる。楓はミルの様子を見て信じることができると判断したが、もしもミルが裏切った場合無事では済まない。生きて帰るのも難しいだろう。
その思考が一瞬楓の頭をよぎり、一瞬楓の行動を遅くする。
「楓!」
敵の攻撃から楓を庇った未来が腹に傷を負う。
黒髪赤瞳の男の攻撃。手から出た風が空を切り裂く鎌鼬になって二人に襲いかかる。未来の腹は出血し、肉の断面が見えるようになっていた。
「君にはかなりキツめのモノを見せたはずなんだが……追いつくのが早かったね」
「……慣れてますので」
赤目の男と一言交わした
「ごめん!大丈夫!!??」
「問題ない。行くよ。敵の攻撃に当たる前に」
敵の攻撃に当たるのは時間の問題。そんなニュアンスを含んだ言葉を聞き届けた楓は前回と同じ容量で加速。
「あった!あれだ!」
ホールの中に透明のガラスカバーがついた、”いかにも”なスイッチがあった。
(あとちょっと……行k――)
楓の横を”影”が通り抜ける。
「なに……」
遅れて背後から爆音と共に何かが爆発した様なとてつもない風が吹く。
「回避!」
避けるため後ろを向いた楓の目に入ってきたのは――
巨大な怪獣だった。
怪獣の口から大気を震わす咆哮が鳴る。
「っっ!なんだあれ……!」
怪獣としか表現しようのない巨大で白いモンスターがもともと楓たちがいた場所に立っていた。身長は目測で50メートルほど。全身から棘のようなものが生え、歪な形をした後部からは巨大な尻尾が生えていた。
「あれは……」
呆気に取られていた楓がつぶやいた後、「騙された!?」という思考が頭に駆け巡る。
しかしその後、その考えは一瞬で撤回される。楓たちを追っていた男がその足を止めていた。攻撃も止み、怪獣の方を見つめている。つまり――
(向こうにとっても想定外……!)
これを好機と見た楓は怪獣に背を向け走り出す。そこで先ほど隣を通り抜けた”影”が目に入る。
それは――人の死体だった。
怪獣の出現の反動で飛ばされた人間。その死体である。楓の動きが止まる。乗り越えた、それでも記憶から消えたわけではない。楓の脳裏にあの日の景色が蘇る。
「……明」
未来の目にも
(生物が死体になったことによって幻覚が解けたか……)
このアクシデントの中、未来が楽しそうに微笑む。
「まだまだ改善の余地有りだね」
楓は右腕の痛みによって我に帰る。
「っ
先程の爆風で飛んできた鉄柵が右腕を掠めたらしく、右腕から血が出ていた。無論、すぐに再生。問題はない――はずだった。
「よけろ!」
未来の声に気づいた楓が視界を右腕から大広場に戻す。そこに見えたのは巨大な白い壁、正確には怪獣が振り回した尻尾であった。尻尾が直撃した楓は聖堂の反対側まで吹き飛ぶ。
寺院は壊れ、崩れる。あの巨体の前では完全崩壊も時間の問題に思えるほどだった。
「楓!」
未来の呼びかけに返事はない。楓は気を失っていた。脳震盪自体は再生能力ですぐに治ったものの、同時に起きた血液操作による反動で、脳への血液がうまく回らず脳全体の酸素不足により気絶していた。それもすでに治っているが、気絶からの目覚めは睡眠からの起床と同じく再生能力によって解決するものではなく、自分自身で目覚める必要がある。
「ちっ」
未来が怪獣に近づき切り上げる。しかし怪獣は見向きもせず楓に向かってゆっくり歩いていく。
(……随分ゆっくりだな。あの速度でしか動けないというよりまるで――」
まるで獲物を追い詰めて楽しんでいる狩人のようだった。それに加え、正気を取り戻した黒髪赤瞳の男と、回復した黄色いローブの人物も未来に迫っていた。
(さて……どうするかな)
「ここは……」
楓が目を覚ますとそこは自分の部屋だった。この世界で楓たちが暮らしていた部屋ではなく、実家の元々暮らしていた部屋である。
左を向くと、椅子に少年が座っていた。後ろ姿だが、それでもわかるくらいに落ち込んでいた。
いつもの夢。
いつもの言葉が聞こえる。
「ねえ、私のヒーロー……」
怪獣が楓に向かって腕を振り上げる。
「いつもお前だな……」
その声に怪獣は一瞬動きを止める。その隙に楓は脇を通り離脱。裏に回り、未来に顔を向ける。
「未来!援護!」
幹部二人の相手をしていた未来はその声を聞いて
「ふふ」
笑った。
「いいよ。スイッチは任せた」
楓が怪獣を無視してスイッチに向けて加速する。それでも怪獣の巨体から振り下ろされる腕の方が早く楓に直撃する。
未来は幹部二人に能力を使い、二人の視界から自分の姿を消す。一瞬の動揺の隙に二人の腹、顔、首を切り付ける。それも二人が反応できないような速度で。
「硬いな……」
切り落とすまでには行かなかったが、十分な致命傷。二人の視界が赤く染まる。そのまま踵を返し、怪獣の方に向き直す。
怪獣と楓の距離は僅か。一秒も経たないうちに直撃する――はずが、そうはならなかった。
怪獣の体は青白い光に包まれ、体は後退し口からは「ぐぎゃあ゛」という声が漏れる。
楓にはなにが起きたかわからなかったが、1/10秒にも満たない一瞬の出来事、加速した楓にはそれで十分だった。
「あああああああああああ!!」
ガラスカバーをたたき割り、楓がスイッチを押す。
「じゃあね、神咲楓。また会おう」
凝縮された時の中で未来の声が楓の耳に響いた。
風が吹いている。
高層ビルが並ぶ上にはこの一週間見たことがないような高い空があった。
巨大なビルにはどこかのアイドルが写っており、手前の広場には犬の銅像があり、たくさんの人が集まっていた。
日本人なら誰もが見たことのある光景。
「……渋谷?」
楓はハチ公前の交差点に立っていた。ふと我に帰る。
「みんなは!!?」
楓が後ろを向くと、そこには所狭しと立ち並ぶ人たちの姿があった。
「ハハ」と笑いを漏らす。
「やった……やっったあああああ!!」
勝利の雄叫びであった。
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