第187話 あだ名
「今後、スガワラさんとの連絡についてですが――」
「私が彼のギルドに入って連絡係りを致します。ご安心を」
厚めのカーテンに陽の光を遮られた薄暗い部屋。部屋の壁はほとんど本棚と化しており、机や床にも積み上げられた書籍が並んでいる。インクの臭いが充満しており、慣れない者ならすぐにでも換気をしたいところだろう。
魔法ギルド「知恵の結晶」ギルドマスターのラグナ・ナイトレイの部屋。今はここに同ギルド所属のアレンビーが呼ばれていた。
「彼と面識のあるあなたが橋渡し役を買って出てくれたのはとても助かります。ただ、彼のギルドへの派遣は――」
「私が引き受けます。マスターへの連絡も滞りなく行いますのでご安心を」
「いえ……、我がギルドでの経験がまだ浅いアレンビーではなく――」
「私が! 引き受けますのでご安心ください」
「……いいでしょう。あなたは一定の期間、彼の連立ギルドに加わり手を貸してあげてください」
「かしこまりました、マスター・ラグナ。ご期待に添えるよう全力を尽くす所存でございます」
ラグナはアレンビーに半ば強引に押し切られるかたちで、スガワラのギルドへの派遣を決定した。彼女がこうも連立ギルドに拘るのは、憧れの魔法使いであるラナンキュラスの傍にいられるからに他ならない。
大きく一礼をしてラグナの部屋を後にしたアレンビーは、軽い足取りでスキップを踏みながら誰も見ていない廊下を進んでいくのだった。
◇◇◇
「……ズルい」
「ズルくありません!」
「……ズルい!」
酒場「幸福の花」では、先日決闘をしたばかりのスピカとアトリアが言い合いをしていた。服の内側には痛々しさを感じるほど包帯を巻きつけている両者なのだが、元気だけはすっかり取り戻したようだ。
「あたしがスガワワユタタさんのギルドに入るのは魔法使いとして自立するためです! それもあの金獅子カレンさんが提案してくれたんですよ! センセも賛同してくれています!」
「……それは私も聞いてたから知ってる。けど、スピカには『ユピトール卿』という偉大なお師匠様がいるでしょう? さらに『ローゼンバーグ卿』からも教えを乞おうなんてズルい」
「ズルくありません!」
「ふふ……、ボクがスガさんのギルドに協力するかはまだ決まってませんよ? たしかに彼は
ラナンキュラスは言い争う2人の姿を微笑ましく眺めながらそう言った。
「あたし、センセに頼んでこの近くで住むところを探そうと思うんです! ギルドの依頼をたくさん受けて自立した立派な魔法使いになります!」
「……魔法使い見習いでしょ? 免許がないと受けられる仕事もずいぶんと制限されるらしいから。まずは免許の取得……、その道をしっかりと見つけなさい」
アトリアはこのままセントラルへの在籍を続け、卒業に至ればそれと同時に魔法使いの免許を取得できる。だが、退学してしまったスピカは改めて別の道を模索しなければならないのだ。
「……私だって、ラナンキュラス様に魔法の手ほどきを受ける約束をしてるんだから。抜け駆けは許さない」
「だったらアトリアの方がズルいじゃないですか!?」
「……ズルくない」
ふたりの顔を交互に見つめニコニコと楽しそうにしているラナンキュラス。彼女は突然、手を叩くとこんなことを言った。
「アトリアさんは――、カレンから『チャトラ』って呼ばれてるのよね?」
「……えっ、ええ。はい、まあその成り行きで――」
「チャットラー♪ チャットラー♪」
「……スピカ、黙りなさい」
アトリアはこれでもかと不機嫌な顔をする。
「ボクは『ローゼンバーグ卿』とか『ラナンキュラス様』と呼ばれるのは苦手なので、先におふたりをあだ名で呼んじゃいましょうか?」
話の流れからアトリアはラナンキュラスにも「チャトラ」と呼ばれるのが確定した。親しみゆえの嬉しさと恥ずかしさが同時に押し寄せ、彼女は顔を赤面させて俯く。
「スピカさんは……、『スピカ・コン・トレイル』よね?」
左手の人差し指を立て、唇に押し当てながら真剣な顔で考え込むラナンキュラス。そして、再び手を叩いて「ポン」と音を鳴らす。
「スピカさんは今日から、『コンちゃん』!」
「――コンちゃんっ!?」
「そう! チャトラちゃんとコンちゃん。さあ、ボクがこんなふうに呼ぶのだからふたりも『ラナ』と呼んでください?」
彼女の勢いと空気に流され、アトリアとスピカは互いの顔を見つめた後、タイミングを合わせてこう口にする。
「……「ラナ…さん」」
「ええ、これからもよろしくお願いしますね? コンちゃん、チャトラちゃん」
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