第182話 魔法使い

 スピカの反重力魔法によって、2人の落下の衝撃は和らげられると――、誰もが思っていた。


 しかし、スピカとアトリアの落下はまるで減速しない。時間にすればそれはほんの一瞬。

 アトリアが手を離すか、スピカがブレーキをかけるか……、さながら「チキンレース」の様相をしたふたりの駆け引き。



 落下に対処できるであろう寸でのところでアトリアはスピカの足首から手を離す。下半身を脱力させ、膝をクッションにするようにして地面に落下。そこから身体を捻ってしゃがみ込むように――、さらに背中から肩と流れるように地面に接地させて転がった。


 どこで身に付けたのか、高所からの着地する際の衝撃を分散する技術。タイミングがギリギリだっただけに完全にそれを消し去ることはできなかったようだ。

 それでも受け身をとった後、すぐに態勢を立て直して木剣を構えるのだった。


 一方のスピカは、アトリアの手が離れた瞬間に反重力を展開。地面擦れ擦れで急ブレーキをかけた。――とはいえ、アトリアほどの技術も運動神経もない彼女にはそれなりの強さで落下の衝撃が襲い掛かる。



「ぁうっ!!」



 胸が詰まり、瞬間的に呼吸が苦しくなる。スピカは声を洩らして地面に転がっていた。それはアトリアのように衝撃を殺し、次に備える動きではなく、体を襲う痛みと狂った平衡感覚ゆえのものだ。


 アトリアは今の位置からもっとも近いところにいる審判――、ルーナの方を見つめた。スピカのダメージから決着と思ったのかもしれない。

 しかし、彼女は特になんの反応も示さず、じっとスピカの方を見つめている。スピカはやや遅れてよろよろと立ち上がろうとしていた。


 戦いは継続――、それが無言のルーナの意思ようだ。アトリアにもわずかに平衡感覚のズレが生じているのか、木剣を構えた姿勢がわずかにふらついた。それでも両の足先に思い切り力を込めて踏ん張り、スピカを真っ直ぐに見つめる。


 スピカも態勢を整えスティックの先をアトリアへと向ける。彼女を射抜くように見つめる目からは、まだ闘志の炎が消えていないことを窺わせる。



「……続けるの? 相当ダメージきてるでしょう? 魔力だってあまり残っていなさそうだけど?」


「あたしは負けてません! アトリアだって、余力はそれほどないんじゃありませんか!?」



 闘技場の舞台上で、初めてまともに言葉を交わしたふたり。


 彼女たちのダメージは?


 余力は?


 どちらも本人にしかわからない。ただ、お互いに唯一理解しているのは闘志だけはまだ燃え尽きていないこと。



◇◇◇



「もう十分なのでは? お互いに、ダメージも消耗もかなりのものでしょう?」


 黙って戦いを見守っていたアルヘナは立ち上がって、戦いの舞台へ向かおうとした。だが、彼の前にベラトリクスの無骨で鍛えられた手が現れその進路を塞ぐ。


「御曹司様よ? あいつら2人が気の済むまでやらせてやろうぜ?」


「ベラトリクス・ヌーエン、どいてください。あなただって理解しているでしょう? これ以上続けたら大怪我をしてしまう。今のだって1秒でも判断が遅れていたら大変なことになっていた」



「魔法使いの戦いなんてそんなものよ? 見習いだからって『的当て』ばっかり練習してるわけじゃないの。そのくらいふたりとも理解しているわ?」


 シャウラは闘技場を見つめながら冷めた口調でそう言った。



「アルヘナくん、だっけ? ニワトリクスの言う通り――、アトリアとスピカの気が済むまで戦わせてやろうぜ? なんてーか、ここで全部出し切らせてやるのがあいつらのためだと思うんだよね?」


 ゼフィラは「座れ」と言わんばかりにアルヘナの方を見ながら手を振っている。



「本当に危険だと思ったら、きっと審判の魔法使いが止めてくれるよ? あのアレンビー先生もいるし、他の方々だって只者じゃない気配が漂っているからね?」


 サイサリーは落ち着いた口調でアルヘナに語り掛ける。


 4人の意見を聞いたアルヘナはふとあることに気が付いた。シャウラもゼフィラもサイサリーも――、両手を固く握り、額にはかすかに汗も滲んでいる。


 ベラトリクスに限っては、アルヘナが立ち上がる前からひとり、立ったり座ったりを繰り返しているのだ。


 ここに集まっている魔法使いたちは皆、スピカとアトリアの身を誰よりも案じている。それでも、今のふたりにとってはこの戦いが大事だと思って、ただただ見守っているのだと……。



 アトリアとスピカ、睨み合った状態のままお互いに次の一手をなかなか繰り出さないでいる。ただ、本人たちも――、見守る仲間たちや審判も気付いているはずだ。


 決着はそう遠くない……。

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