第176話 幸福の時
河原で膝に手を付き肩で息をするアトリア。ルーナが展開した半径5m程度の高重力地帯を自身に周囲に魔法結界を展開――、「魔空結界」を使って幾度か通り抜けていた。
最初こそゆっくり、じりじりと歩くのがやっとだったアトリアだが、結界の調整を少しずつ体が覚えていき、3度目にはそれなりの速さで走り抜けられるようになっていた。
彼女は自身の身体が無意識で「ルーナの領域」に入るの拒否するのを、さらに拒んでなんとか訓練を続けている。
アトリアは思っていた。表舞台にこそ出ていないものの「ユピトール卿」は、今でもなお魔法使いの最高峰に位置する人なのだと。そして、彼女の弟子であるスピカを少し羨ましく思うのだった。
「くふくふくふ……、この短時間で重力魔法の対処をこうも身に付けるとは。大したセンスだこと」
「……ご冗談を。ユピトール卿が手加減しているからではありませんか?」
「くふくふ、当然だろう? この訓練は対スピカ用なのだから? 私が本気を出したらペチャンコにしてしまうからね?」
おそらくルーナは冗談のつもりで言っているのだろう。ただ、アトリアにはそう聞こえなかった。この人が本気になればおそらく自分は手も足もでないのだろう、と。
アトリアは自分の才能にそれほど自惚れているつもりはない。ただ、今ここにいるユピトール卿とローゼンバーグ卿……、この2人と比べて自分の能力は如何ほどのものなのか考えていた。
『……体が拒絶してるんだもの、まったく敵う気がしない。セントラルが魔法学校の最高位だとしても、そこに入ったからといって、魔法使いの天辺に立てるわけではないのがよくわかった』
「さてさて……、酒場にいらしてた知恵の結晶の綺麗なお姉さんはまだいらっしゃるかしらねえ? スピカの決闘の日はあの人が場所をいつ確保してくれるかにかかっていそうだから」
ルーナは大きな声でそう言うと、ここを立ち去る気配を見せた。どうやらアトリアへの訓練はこれにて終了らしい。
「アレンビーさんはスガさんにお話があったようですから、きっとまだ酒場にいると思いますよ?」
ラナンキュラスはルーナの言葉に答えながらアトリアの元へ歩み寄って来る。疲労困憊の彼女に手を貸してくれるようだ。
ルーナ、ラナンキュラス、アトリアの3人が酒場に戻ると、スガワラ、アレンビー、パララに加えてマルトーがテーブルを囲んで熱心に話をしていた。
ラナンキュラスは、マルトーがそこに入っていることに違和感を覚え、かすかに首を傾げた。
「そこの綺麗なお嬢さん――、『アレンビーさん』と仰ったかしら? なにやら弟子たちに決闘の場を手配してくれるのだとか? お手を煩わせてしまって申し訳ないですねえ?」
ルーナの言葉を聞いたアレンビーはスガワラたちとの話を止め、椅子を弾き飛ばすようにしてその場に立ち上がった。
「なっ……、なにを仰いますやら! あの『ユピトール卿』からお声かけ頂けるとは! こっ、光栄の極みでございます! 申し遅れました! 私、『知恵の結晶』所属、アレンビー・ラドクリフともっ…申します!」
突然大きな声でこう言い放つアレンビー。スガワラはいつか似た光景を見たなと自分の記憶を辿っていた。
パララもペコペコと頭を下げてルーナに挨拶をしながら、アレンビーに小さな声で「緊張し過ぎです」と声をかけている。パララがフォローにまわる姿はなんとも珍しいのだが、アレンビーのこの高名な魔法使いに対しての極端な反応に対しては、上手く機能しているのかもしれない。
アトリアはアレンビー先生の意外な一面に、ほんの少し表情を綻ばせる。以前に一度訪れた時もそうだったように、ここではとても幸せな時間が流れるのだ。まさに名前の通りの「幸福」が……。
ただ、アトリアはその時間を共に過ごすルームメイトの姿が隣りにないのが寂しいようだ。
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