第167話 業火

 「インヘルノ」、魔法学の理論上だけ存在する超級魔法の一種。属性は火。実際にそれを発現させた者がいないため、それを「最上位」とするのはいささか疑問を感じるが、机上の世界では、火属性最上位の魔法。

 この異世界にもお伽話や神話は存在し、そこで描かれる地獄にだけ存在するすべてを焼き尽くす業火。それが命名の由来となった。




「インヘルノ」



 ラナンキュラスの声が聞こえたのはおそらく本人と、その近くにいたウェズンだけだろう。ゆえに遠目から見ていたカレンにはなにが起こったのかわからなかった。


 少なくともカレンの目に映ったのは「炎」ではない。彼女の経験の中で、今目にしたものにもっとも近いのは「火」ではなく「日」の方だった。


 暗い部屋に突然、日の光が射し込み「眩しい」と感じる瞬間。カレンがたった今感じたのはそれによく似ていた。

 そして「眩しい」ゆえに、無意識に目を逸らしていたカレン。彼女が改めて視線を元に戻したとき、眼前には焦土と化した地面が広がっていて、そこにラナンキュラスは立っていた。


 目の前の光景に、瞬間的ではあれどれほどの熱量が放出されたのかとカレンは冷や汗を流す。遅れてウェズンの姿がどこにあるのかを探そうとした。

 しかし、彼女の姿は探すまでもなく、ラナンキュラスの真正面に尻もちをついて座っているのが確認できた。


 その状況からカレンはいろいろと察するのだった。明確になにが起こったのかまではわからない。ただ、自分の連れてきた「最強の魔法使い」が圧倒的魔力を見せつけ、相手から戦意を喪失させたであろう、と。




 ウェズンは腰が抜け、膝が笑っていた。もはや自分の意思で立ち上がることもできず呆然と、ただただ正面に立つラナンキュラスの顔を見つめている。


 誰よりも勤勉に魔法学を学んできた彼女だからこそ「超級魔法」の存在を知りつつ、その実現性に疑問を投げ掛けていた。

 今、現役で活躍する優秀な魔法使いたちが数人掛かりで同じ術式を練り上げ、ようやく1度使えるかどうか――。そんな代物を、目の前の魔法使いは、自身が得意とする火の上級魔法「ヴォルケーノ」の詠唱を塗りつぶすように使って見せた。


 そして、いつかのアトリアとの模擬戦でやったみせた、攻撃をしながらも相手の身を案じて守りの一手を繰り出す――、これをラナンキュラスは「超級」を使って、なおやってのけたのだ。


 対戦相手として、敵に守られることはこれ以上ない絶望と屈辱を与える。本気の戦いに際して、相手にもらっているのだ。



 ウェズンとラナンキュラスの周囲数メートルは、瞬時に焦土と化した。その距離がカレンのいるところまで及んでいないのは、ラナンキュラスの成せる正確な調整なのか?


 そして、2人の立っていた場所とその間だけが何事もなかったかのように、緑の芝が生い茂っている。おそらくラナンキュラスは、この空間に超高密度の結界を展開して、自身とウェズンを守ったのだ。


 これはウェズンの立場からすれば、超至近距離で強力な魔法を放とうとも、超級魔法「インヘルノ」を超える火力を出さなければ、ラナンキュラスが展開する結界を突き破れないことを意味する。


 彼女にとってこれは――、絶望以外のなにものでもない。



「――ウェズンさん? ボクはあなたが思っているほど『優しい人間』ではありません。これにて勝負ありですね?」


 ウェズンは頷くでもなく、じっと彼女の顔を見つめるしかできないでいた。ぽかんと口は開け放たれ、いつもの威厳ある彼女の面影はどこにもない。



『――ボクの敵じゃない』



 ほんの数秒前に、彼女から投げかけられた言葉が頭の中でこだまする。


 これが伝説の「ローゼンバーグ卿」。競うとか、超えるとか……、あまりにバカバカしくて笑い話にもなりはしない。

 桁が違うとか、規格外とか……、そんなレベルの話ではない。目の前の人間を同じ「魔法使い」と扱っていいものなのか?


 魔法を使えども「魔法使い」にあらず、ウェズンにとってラナンキュラスはまったく別の「なにか」に映っていた。

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