第166話 愚者
「――君の存在があったからだよ? スピカ・コン・トレイル?」
「なっ…なにをわけのわからないことをっ!」
スピカは言葉とともに風の刃をシリウスに向けて放った。しかし、それは冷静さを欠いたためなのか、かすかに彼の横を通り抜けていく。
「出まかせでも作り話でもない。これは事実だ。彼女はたった一度だけど……、僕に話してくれたからね?」
アトリアは人目を避け、こっそりとシリウスから「エリクシル」を受け取っていた。彼はアトリアに対してあくまでも「改良中のポーション」と説明をしていたようだ。
アトリアも当然、自身の身体に起こる喉の渇き、そして一時的ではあるにせよ増幅される魔力に対して疑問を持っていた。
体の不調に関してシリウスは、一時的に起こる副作用と説明し、服用を続けることで次第に症状は治まると話していた。そして、魔力の増幅については、元々そういった要素をポーションに取り入れようと改良しているモノ、と説明する。
これにアトリアが疑問を口にしなかったかというとそうではない。だが、彼女はそれほど危険なクスリとまで知らなかったがゆえ、多少の体の異変より、高められる魔力を優先したのである。
「彼女に聞いてみたことがある。僕の渡す試験段階のポーションなんかを使ってまでより高みを目指すわけを」
アトリアはシリウスの問いにこう答えたそうだ。
『……最初は同学年で1番の実力者、ウェズンさんに勝ちたかったからです。けど、今は少し違う。確実に後ろから迫ってくるスピカが怖くなってきた。あの子の成長速度は尋常じゃない』
「彼女の気持ちは理解できるよ。人は目標が遠のく以上に、後から来たものに追い抜かされる方が傷付くからね?」
今度はシリウスから放たれる風刃。彼の話を聞き入ってしまってか、わずかに反応が遅れたスピカは回避できないと思い結界を展開する。しかし、完全に魔法を消し去るには強度が足りず、後ろへ吹っ飛ばされてしまった。
シリウスは同じ魔法でありながら、その範囲と強度の操作をかなり細かいレベルで調整できるようだ。すぐに起き上がったスピカは彼の魔法を結界で受けるのは危険と判断した。下手に防御すると貫かれて、大ダメージを負いかねない、と。
「アトリアが……、アタシを競争相手として見てくれていたのはとても嬉しいです。学校に入って、共に魔法を磨いていける友達をつくるのが目標でした。けど、あなたは彼女の向上心すらを利用した! それは絶対に許せない!」
スピカの表情にこれまでより強く、よりはっきりとした憎悪が浮かんでいた。しかし、それをシリウスは軽薄な眼差しで見つめる。
「僕は君みたいな考えはあまり好きになれないね? 『踏み台』は必要であってもそこに友情やらなんやらはノイズでしかない。ウェズンやアトリアさんは魔力向上にとてもストイックだった。僕にとってはそれ以上でも以下でもないよ?」
スピカは大きく息を吸い込むと次の魔法の準備をした。
『もういい。シリウス・ファリド、この人の言葉はどれもこれも油にしかならない。アタシの怒りがより強く燃え盛るだけ。でも、この人を倒さないと進めないのなら……、すぐにでも終わらせる!』
彼女から発せられる魔力を警戒してシリウスは守りの姿勢をとる。しかし、それは自分に向けられる魔法とは異なるかたちで発揮された。
シリウスの視線が徐々に上へと向けられていく。そう――、スピカは空中へと浮かび上がっていったのだ。それは彼との戦いでみせた「大きな跳躍」とは明らかにことなり、明らかな浮遊状態。
建物の4~5階あたりの高さまで浮上し、今度はそこからスピカは滑空を始めた。シリウスの頭上に大きく円を描くように空を舞い、風の刃を降らせた。
上からシリウス1点を目掛けて、風刃はすり鉢状に的を絞って降り注ぐ。実力・経験ともに十分なシリウスではあったが、さすがに真上からの攻撃は想定していなかった。咄嗟に結界を張って防御するが、完全にその足を止めてしまう。
だが、彼は次にその足が……、膝が今にも崩れ落ちそうな予感を感じていた。あれほど警戒していたスピカの重力魔法。範囲にさえ踏み込まなければ、と思っていたシリウスだが、スピカが滑空して頭上に回り込んだことで、あっさりとその射程にのまれていたのだ。
「こっ……、これが重力魔法!? なんだってこんな――」
重力操作といってもあくまで魔法の一種。シリウスが頭上に展開する結界の力によって抗うことも可能なのだ。そして、今まさに彼はスピカの力に対して魔法結界で対抗している。
だが、スピカの重力魔法の出力は、同じく彼女の使う「風」とは比較にならなかった。
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