第157話 リンデの記憶
セントラルの医務室、学生が休暇に入る期間は人の出入りがほとんどなく、リンデは暇を持て余していた。
一応、学生の出入りは減っているだけで無くなるわけではなく、教員や外部の人間の出入りもあるため、彼女は滞在時間こそ減らしていても、不在にはしないようにしている。
リンデは机の引き出しを開けて、中に入れている魔法の写し紙の束を見つめる。それは姉のリンカとの連絡用に持っている……、持たされているものだ。
『ウェズンさんの件、姉貴に報告したからきっとブレイヴ・ピラーの人間が調べているのでしょうね……。血液検査は断られてしまったけど、逆にやましいことがないのなら普通は応じてくれるはず』
リンデは姉のリンカから、エリクシルを服用した者に現れる特有の症状をいくつか聞かされていた。そして、それと一致する学生がいたら必ず連絡を寄越すように言われていたのだ。
真面目一徹の妹リンデと、不真面目を絵に描いたような姉のリンカ。2人の仲は決して良くはない。しかし、リンカは妹に頼みごとをすることが稀にあり、リンデもそれを決して断らなかった。
彼女が姉からの依頼を断らないのは、生真面目な性格が災いしてのところもある。だが、それよりも大きな理由があった。
リンカの依頼には必ず大きな意味がある。
2人の仲が良くないのは、一方的にリンデが姉との距離を置いているからだ。彼女が思う姉は典型的な「天才型」。
それは努力を続ける才能だとか、陰で研鑽を積んでいるとかではない。ある種の「天然」の――、生まれながらの天才なのだ。
ゆえに、いわゆる「秀才型」のリンデは姉と共にいると劣等感を感じてしまうのだ。努力をしても決して届かない存在、それが実の「姉」。彼女は心の平穏を保つために、あえて彼女との距離を置いている。
ただ、そんな姉が自分を頼ってくる時は必ず、「妹にしか頼めない」大事なことなのだ。そのため、リンデは姉からの依頼をいつも何度もため息をつきながら応じているのだった。
『姉貴は案外、剣士ギルドなんかに馴染んでしまっているのね……』
リンデはいつだったか、姉のリンカと直接会って話した時のことを振り返っていた。それはリンデが王立セントラル魔法科学研究院に勤めると決まった時まで遡る。
「――姉貴はどうして剣士ギルドなんかに入ったのよ?」
城下町のカフェのテラス席で2人の、長い金髪を靡かせた女性が向かい合って話していた。1人はフォーマルな服装に身を包んだ妹のリンデ。その正面には服こそ高価そうだが、胸元のボタンをいくつも外して肌が露出している姉のリンカ。
「どうしてって? 血ぃ、いっぱい見られそうじゃない?」
姉のふざけた返事に、妹はこれでもかとうんざりしたため息をついた。
「嘘! 絶対違う。ずぼらで面倒くさがりの姉貴が、あんなに忙しそうなところを好き好んで選ぶはずない。たしかに姉貴の悪趣味なら、怪我人の流血に大喜びしてそうだけど……」
「――ふーん、さすが伊達に私の妹やってないね? 意外とわかってるじゃない?」
リンカは妹の顔を見ながらにやりと笑った。
「あんたの言う通りで、私はずぼらだからね。楽して生きたいわけよ? ――で、一番楽できそうなところが『ブレイヴ・ピラー』だったってわけ」
「意味わからない。どう考えても楽できる職場ではないでしょう?」
「ふっふーん、ねえ、リンデ? あんたの考える『楽』ってなーに?」
奇妙な質問にリンデは一瞬、返答に迷った。
「えっ……と、仕事が少ないとか、責任がない――とか?」
「私はねー、絶対的な『安心』と『安全』が約束されてること。それが『楽』だと思ってる。後先考えて不安になったら心が『楽』にならないわけよ?」
「やっぱり意味わからない。『安心』はまだわかる。けど、剣士ギルドは『安全』から一番程遠い組織じゃないかしら?」
「普通はね? けど、私の考える一番安全なところは、『世界一強い人の傍』だから」
「――シャネイラ・ヘニクス……か」
「そゆことー! マスター・シャネイラの近くにいるより安全なところなんて他にないって話よ。だから、私はブレイヴ・ピラーに所属した。ま、仕事は適当に手ぇ抜いてるしね?」
リンデはふっと息を吐き出した。ため息とはまた違った、姉の話にある種の納得をみた吐息。リンカの思考が特殊だと知っている妹ならではの理解だった。
「けど、おもしろいのがねー? みんなして『不死鳥』とか呼んでるくせして、マスターがどうしてああも戦えるか誰も理解してないわけよ?」
リンカの発言をリンデは不思議に思った。
王国最強の「不死鳥」は超一流の剣の使い手であると同時に、水・氷系統の一流の魔法使い。双方を究極のレベルで使いこなす「魔法剣士」。だが、これはアレクシアに暮らす者なら誰もが知っていることだ。
「そう、リンデもわかんないよね? けど、あんたがもしブレイヴ・ピラーにいたらきっと気付けるよ? だって同種なんだから?」
「同種……? 一体どういうこと?」
「マスター・シャネイラはね、超一流の回復魔法使いでもあるのさ? 同種の私はすぐに気付いたけどね」
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