第156話 口火

 塗料の痕跡を辿ってシャネイラが辿り着いたのは、大きな廃屋の入り口だった。建物の外観から元は教会だったのか、今は人が出入りしている気配はまったく感じられない。


 彼女が傾いた扉を開けて中に入ると、天井が抜けており、屋内であるにも関わらず、陽射しが射し込んでいた。地面から舞った埃が光を乱反射させキラキラと輝いている。


 シャネイラは周囲の気配を探るように目を閉じ、耳を研ぎ澄ませた。



「――鬼ごっこもかくれんぼもずいぶんと下手なようですね? 姿を現しなさい」



 彼女の声はそれほど大きくはなかった。だが、澄んだ声は建物の淀んだ空気を切り裂くように響き渡る。



「――シャネイラ様っ!?」



 シャネイラの声に応えたのは、セントラルの学生ポラリス・ワトソンの声だった。


「シっ……シャネイラだとっ!? まさかあの『不死鳥』か……?」


 柱の影から姿を現したのは、黒い頭巾を被った背の高い猫背の男。おとぎ話に出てくる盗賊を絵にかいたような風貌をしていた。ポラリスの首元に小さなナイフを当ててシャネイラを凝視している。


「『魔導書狩り』かなにか知りませんが、その子を解放しなさい。私の名を知っているのなら抵抗が無駄なこともわかるでしょう?」


 シャネイラは話しながらゆっくりと……、しかし、まったく躊躇せずに盗賊の男との距離を詰めていく。一方の男は人質がどうのこうのと必死に叫んでいるが、彼女の耳にはまるで届いていないようだ。



「冗談じゃねえ……。こんな化け物とやってられるか」



 男は近寄って来るシャネイラに気圧されてか、早々に彼女を解放した。ポラリスは恐怖から逃れるように、前のめりになってシャネイラの元へ走っていく。そして、藁にも縋るが如くその胸に飛び込むのだった。


「ポラリス、危ないところでした。少しの間、私の後ろに隠れていなさい。すぐに終わらせます」


 ポラリスの肩に手を置き、諭すように話しかけるシャネイラ。その視線は正面の「魔導書狩り」に向けられている。



「――っ!!」



 しかし、次の瞬間、シャネイラはポラリスを突き飛ばしていた。尻もちをついたポラリスは慌てた所作で起き上がると……、魔導書狩りの男がいる方へと向かっていった。


 そして……、シャネイラはその場に片膝を付き、地面には鮮血が滴り落ちていた。



◇◇◇



 カレンがラナンキュラスを連れて来た理由は2つ。1つは酒場で、パララやアレンビーと話す姿を見ていたからだ。


 彼女たちの姿を見ていると「ローゼンバーグ卿」の威光は、魔法使いにとって絶対的なものだと思えた。ウェズン・アプリコットが万が一、カレンの話に耳を貸さなくても、ラナンキュラスが相手ならそうはなるまいと考えたのだ。


 もう1つはリンカの忠告通り、ウェズンが口封じのため牙を剥いた場合を想定したがゆえ。相手が仮に一流の魔法使いであってもカレンは後れを取らない自信があった。

 しかし、自らが戦うとなれば必然的に、学生へ刃を向けることになる。伝説の魔法使い、ラナンキュラスを目の前にすれば、魔法使いのウェズンが抵抗してくるとは思えなかったのだ。



「――まさか、あなたがあの……『ローゼンバーグ卿』?」



 ウェズンは瞬きを何度も繰り返しながらラナンキュラスの顔を見つめていた。


「ウェズンさん、カレンから簡単な事情は聞いていま――?」


 ラナンキュラスは、「セントラルの先輩」としてウェズンが危険なクスリに手を染めているならやめさせるつもりでいた。しかし、話の途中、彼女の様子がなにやらおかしいことに気付く。



「うふ、うふふ……、あははははっ!」



 急に声を上げて笑い出すウェズン。これにはラナンキュラスもカレンも眉をひそめた。今の流れで笑い出すところなどなかったはずだ、と。


「ごめんなさい。まさか……、まさか、あの『ローゼンバーグ卿』にお会いできる日が来るなんて、それもこんな唐突に。あまりのことに少々取り乱してしまいましたの」


 上品な仕草で口を隠すように手を添えて、ウェズンはそう言った。彼女の発言に表情を緩めるラナンキュラスとカレン。


「『ローゼンバーグ卿』はすべての魔法使いの……、当然私にとっても憧れの存在です。それに――」


 笑顔のウェズンはこの瞬間、急に表情を引き締めた。


「――私が、もっとも超えたい存在」



『あれ? ひょっとして……、私がラナを連れて来たの、大失敗だった?』



 カレンはウェズンの顔付を見て、心の中でそう呟くのだった。

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