第152話 欺き

 セントラル第2演習場、学生が長期休暇に入っているため、ここは誰もいないだだっ広い平原と化していた。

 風の音が聴こえるほど静かな場所――、そこに今、2人の人影があった。


 1人は3回生、スピカ・コン・トレイル。そして彼女と向かい合って立っているのは4回生のシリウス・ファリド。



「ごめんなさい、シリウスさん。お休みの日にお呼び立てして……」


「いいや、構わないさ? 僕は休み中もほとんど男子寮にいるからね。なにかあったら、いつでも声をかけてくれたらいいよ?」


 スピカは彼の言葉を聞き終えると、ぺこりと頭を下げた。


「しかし、わざわざこんなところに呼び出すなんて……。決闘でも申し込むつもりかい?」


 シリウスは冗談を言いながら軽く笑ってみせた。スピカの笑いを誘ったつもりのようだが、当の彼女は珍しく感情のよめない「無」の表情をしている。

 スピカとは何度か顔を合わせ、言葉を交わしたことのあるシリウス。それゆえに今の彼女の異質さにはすぐに気付いていた。



「どうやら深刻な話のようだね? なにか学校でトラブルでも?」



 彼は4回生の代表であり、校内の風紀委員会の委員長をしている。ゆえに同級生や後輩から校内の問題で相談を受けることも珍しくない。



「――アトリアに『エリクシル』を飲ませたのは、アナタですね?」



 一瞬、シリウスは自分の耳を疑った。それは彼女が口にした言葉に驚いたがゆえ。しかし、それとは別に……、スピカの声が、彼の知っているそれとはまったく異なるものに聞こえたからだ。


 シリウスの眉毛の片方がぴくりと反応した。だが、彼は笑顔を崩さず、平静を装ってスピカの問いに答える。


「えっーと、スピカさんの言いたいことがよくわからないのだけど……、友人のアトリアさんになにかあったようだね? よければその話、詳しく聞かせてくれないかな?」


 この返答に対してスピカの表情は変わらない。ただ、シリウスは彼女の目を直視できないでいた。

 なにかその瞳の奥に、得体の知れない怪物の気配を感じているのだ。


「アナタから渡されたポーションを一度アタシも飲んでいます。ですから、あの異様な喉の渇きを知っているんです。アトリアが水をたくさん飲むようになって……、ひょっとしたら、あの時のポーションと同じものをずっと飲んでいるのではないかと疑うようになりました」


 シリウスの目の前にいるのは本当にスピカなのか。彼女の姿をした別の「なにか」と言われれば納得するほどの異質さがそこにはあった。


「図書室に何日も通って……、見つけたんです。かつて王国を騒がした魔法使いを破滅に追いやる悪魔のクスリ、『エリクシル』についての記録を――」



 スピカはここ何日も、学校の図書室に通っていた。名目は魔法の勉強をするため。しかし、本当の目的は、異常なほど喉の渇きをもたらす薬が存在しないか調べていたのだ。

 きっかけになったのは、偶然にもその図書室で出会ったウェズンとの会話。彼女はアトリアが頻繁に水を飲むと話した時、明らかに表情を強張らせた。


 普段から笑顔を絶やさないウェズンの、その一瞬の表情の変化は、スピカが「喉の渇き」について調べるのに十分な理由となったのだ。



「スピカさん、君の考えは飛躍し過ぎているよ? 僕にはさっぱりなんの話だが――」

「白を切るつもりならそれで構いません。実は――、アタシとアトリアの部屋の共有スペースに未開封のポーションの瓶がありました。きっとアナタにもらったものだと思います」



「なんだって……?」



 シリウスの声色から途端に余裕がなくなり、表情を険しくした。


「これを然るべきところへ持っていけば……、きっと中身がなんであるかわかるはずです」


 そう言うと、スピカはシリウスに背を向けてこの場を去ろうとした。だが、彼女が数歩歩いたところでシリウスが呼び止める。


「スピカさん、僕の邪魔をしないでもらえるかな? これは――、魔法使いの未来のために必要なことなんだ。アトリアさんは、それに協力してくれていたのさ」


「アトリアに、『エリクシル』を渡していたこと……、認めるんですね?」


「たしかに気まぐれでいくつか渡したけど……、そのあとは彼女の方から欲してきたんだ。僕はアトリアさんの希望に応えてあげただけのこと」


 シリウスの言葉を聞いて、背を向けていたスピカは振り返る。不思議とその表情は笑顔だった。



「部屋に未開封の瓶があったなんて大嘘です。まんまとひっかかりましたね?」

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