第16章 2人の師

第102話 東の酒場

 シャネイラ、カレンの2人がセントラルを訪れてから数日後、アトリアの手元にある魔法の写し紙は淡い光を放っていた。


 授業を終え、剣の稽古も終えて部屋のベッドで寝転んでいたアトリアは、机の上に置いたそれの光に気付いて飛び起きる。


『……次の休み――。休みの日、カレン様に指導をしてもらえる。あぁ、なんて待ち遠しいのかしら』


 彼女は写し紙に、返事の一文とお礼の言葉を記して再びベッドへ飛び込んだ。



◇◇◇



 城下町の東にある酒場「オデッセイ」、2階建ての建物と地下1階を使った大きな酒場だ。カレンは任務の一環としてこの酒場に出入りしている。「幸福の花」ほどではないが、一部の店員からはその容姿も手伝ってか顔を覚えられていた。


 もちろんブレイヴ・ピラー「金獅子」の異名は王国内に広く知れ渡っており、声に出さなくても彼女の存在に気付いている店員や客は大勢いる。カレン自身もそれを承知の上で、ごく普通の客を装いここへ通っていた。


 彼女は店内1階の隅の方、2人掛けの席に座り店の様子を眺めている。表向きはごく普通の大衆酒場、怪しい噂の元はすべて地下から流れてきている。

 ただ、店員の案内もなく地下へ行くのはあまりに目立ち過ぎた。カレンもあくまで一般客としてここを訪れている風を装っているため、焦らずじっくりと機会を窺っているのだ。



「――あっ! ご、ごめんなさい!!」



 カレンが半分ほど飲んでいた木製のジョッキが倒され、零れたお酒がテーブルいっぱいに広がった。それは床まで滴り落ちて、彼女の服も一緒に汚してしまっている。どうやら配膳をしていた男性店員がジョッキに肘をぶつけてしまったようだ。


「あららら……、これは困ったもんだねぇ?」


 彼女は立ち上がり、手持ちのハンカチでとりあえず服に付いたお酒を拭うのだった。



「バカ野郎、トーマスッ!! なにやってんだ!?」



 店の奥から怒号と共に、頭の禿げあがった店員が飛び出してきた。


「すっ、すみません! ついうっかりしてしまって――」

「ああ、お客さん、本当に申し訳ございません! すぐにキレイにしますので!」


 奥からやってきた男と「トーマス」と呼ばれた男は、カレンの服とテーブルを拭きながら何度も謝っていた。


「大丈夫だよ、私にはそんなにかかってないし。それより溢れた分のお酒はサービスしてくれるのかい?」


「もっ、もちろんです! お勘定はいただきません!」


 禿げあがった店員は何度も頭を下げた後、お酒を溢してしまった店員に追加のお酒を持ってくるよう命じた。トーマスは大慌てでカウンターへと向かい、客席に足をぶつけて転びそうになっていた。



「転んだら大変だよ? 急いでないからゆっくり準備しな?」



 店員の背中に声をかけるカレン。少し振り返って、彼は2、3度頭を下げた後に再び慌てた様子でカウンター裏に入っていった。



「お客さん、本当に申し訳ございません。あいつは新人――、といってもかれこれ2か月くらいはここで働いてるんですが、どうにも要領が悪い男でして」


 店員はカレンを近くの別席へ案内しながら、言い訳とばかりに「トーマス」と呼ばれたの話をしていた。

 彼曰く、元々働いていたお店が突然閉店してしまい、ここへ下働きとしてやってきた冴えない中年の男、だそうだ。


「ははっ、知り合いにも要領の悪いウエイターがいてさ? 別に気にしちゃいないよ」


 新しく準備された席について笑顔で話すカレン。その表情に店員は心底安堵したようだ。


「お客さ――、お客様は……、他の客の噂で聞いたんですけど、あのブレイヴ・ピラーの――」

「はい、そこまでそこまでっと。私はただ酒を飲みに来てるだけの客だからさ? 普通に扱ってほしいわけよ?」


 カレンは手を広げて、店員の話を遮った。



「お待たせしました、お客様!」



 トーマスがまたも慌てた様子で今にも零れそうなほど並々入ったお酒のジョッキを持ってきた。


「はい、ありがとさん。そんなに慌てなくても怒ってやしないよ」


 店員2人は改めてカレンに大きく頭を下げた後、元の仕事へ戻っていった。カレンも改めてお酒のジョッキに口をつけようとした――、ところで自身の持つ魔法の写し紙が発光していることに気付く。カレンはそれを手にして、目を細め小さな声で呟いた。


「チャトラ、返事が早いねぇ……」

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