◇間奏11

 お昼時より少し前の酒場「幸福の花」、入口のcloseの札を外したが、まだお客が来店する気配はなかった。


「――裏通りの大きなお家、買い手がついたようですよ?」


 ラナンキュラスは自分の後ろを指差すようにしながらスガワラに話しかけていた。


「ああ、駅からは少し離れますが、とても良さそうなところでしたからね」



 異世界にやってきて1年以上が経過したスガワラ。彼の商売はそれなりに軌道に乗っていた。小さな依頼をコツコツとこなして収入を得ていた彼だが、こちらの世界では「提案型の営業」自体があまり一般的ではない。

 その特殊性も手伝ってか、彼の仕事は人伝に広がりを見せ、いつの間にか相談客が増えていた。


 スガワラはどれだけ忙しくなっても、酒場の手伝いは続けるつもりでいる。ただ、収入が安定してきた今、酒場の離れからは引っ越してもいいと考えていた。

 ――とはいえ、ラナンキュラスの傍からあまり離れたくもない彼は、酒場の周辺で安く借りられそうな家がないか時々見てまわっているのだ。


 いっそ、離れではなく、ラナンキュラスの家に一緒に住まわせてほしい、と言い出せないのが、ある意味でもあった。


 今、ラナンキュラスから話題の上がった家も彼が見ていた家のひとつだった。もっとも、1人で住まうにはあまりに大きく、賃料も高かったようだが……。



『離れの暮らしも悪くない……。なによりラナさんの近くにいられる。ただ、ずっと居候はさすがに気が引ける』



 スガワラがそんなことを考えていると、酒場の外で大きな音が鳴った。その音は、こちらに世界にやって来てからよく耳にするようになっていた。馬の蹄が地面を蹴る音、おそらく酒場の前に馬車が止まったものだと思われた。


「ここの前に……、止まりましたね?」


 ラナンキュラスは、左手の人差し指を唇に当てながら小首を傾げている。


「馬車での来客は、珍しいですね?」


 お互いに覚えがなく、顔を見合わせて首を捻る2人。スガワラはとりあえず、入口の扉を開けて、お客を確認しようとした。



 外へ出たスガワラの前には、背の低い小太りの男が立っていた。オールバックにして不自然なほどに固められた黒髪、額の中心にはまるで「ノ」の字を書いたような前髪が垂れ下がっている。皺ひとつなく整えられたスーツに磨き上げられた革の靴。

 失礼と思いながらも、スガワラの頭に最初に浮かんだのは「成金」の2文字だった。


「――っと、いらっしゃいませ」


 スガワラは脳裏に過った言葉を追い払うように、軽く首を振ったあとに頭を下げてにこやかな笑顔で話しかけた。


「貴公は、この店の主人ですかな?」


「いいえ、私は雇われの者ですが、いかがされましたか?」


 男の声は妙に甲高い声だった。質問の内容から単なるお客ではなさそうだとスガワラは感じていた。


「うーむ、まあ貴公でも構わぬか。『パララ・サルーン』という女性を知りませぬかな?」


 彼の質問に、スガワラはいつかカレンが言っていた話を思い出した。パララの所属ギルドとブレイヴ・ピラーに、彼女を訪ねてきた身なりの綺麗な男がいた、と――。


「ええと、失礼ですが、貴方様はどういった――」

「知らぬならよいわ。邪魔をしたな」


 スガワラが名を尋ねようとすると、男は背を向けて立ち去ろうとした。このあたりも含めてカレンの話と一致している。

 この男がどういった人物なのか、スガワラはなんとか素性を明らかにしたいと思った。もしも、友人のパララがなにかしらのトラブルに巻き込まれようとしているなら、事前に食い止めたいと思ったからだ。


「中でお話をしませんか? もしかしたら貴方様の期待に沿えるお話をできるかもしれませんよ?」

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