第90話 登山者
下山は一度だけ休憩を挟みましたが、登りよりずっと早く進みました。町の光景がずいぶんと近くに見えるようになってきました。
ゼフィラは常に先頭を行って、跳ねるような足取りでどんどん山道を下って行きます。ベラトリクスは口を開くたびに「楽勝!」と言っています。サイサリーは余裕ある雰囲気で一番後ろをゆっくりと進んでいます。
「おんや? 前から登山者が来るぜ? ここまで誰ともすれ違わなかったのにな?」
ゼフィラが指し示す先を見ると、たしかに山道の奥に何人かの人影が見えました。ここは少し広めの明るい道で、あたしたちとは逆方向に――、すなわち山を登って来ているのがわかります。
「オレたちと同じで植物採取とかじゃねえか? 今から登ってくのは大変だな?」
「そうだね。今は明るいけどこれから徐々に日が暮れていく時間だ。もっとも彼らがどこまで登るつもりかわからいないけど」
あたしたちは邪魔にならないよう道の片側に寄ってまとまって歩きました。登山者の方々はこちらと同じ4人連れです。すれ違いざまに軽く会釈をすると、あちらも視線と会釈を返してくれました。
「――はっ!?」
次の瞬間、視界が宙を舞ったかと思うと、あたしは地面に倒れていました。隣りには同じくサイサリーも地面に手をついています。
数秒遅れて、ベラトリクスがあたしたち2人を突き飛ばしたのだと気付きました。ゼフィラは少し離れたところにいましたが、こちらに駆け足で戻って来ています。
あたしたちを倒した当のベラトリクスは、こちらに背を向けて立っています。その視線の先には、今すれ違ったはずの登山者4人がいました。なんと彼らは刃物をこちらに向けています。
そして……、よく見るとベラトリクスの左手からわずかですが、血が流れています!
「はっ! 今のでようやく汚名返上ってところか、サイサリーよぉ?」
「なにバカを言ってる? 左手! 怪我してるぞ」
サイサリーは素早く立ち上がると、あたしに手を貸してくれました。
「利き腕じゃねえし、かすり傷だ。――それより、てめえらは一体
すれ違った人たちは、どうやらただの登山者ではないようです。明らかにこちらに敵意を向けて武器を構えています。
「後ろの赤い髪の女、お前
――赤い髪の女、間違いなくあたしのことを言っています。この人たちの狙いはあたしが持っている魔導書のようです。まさか城下から離れた町の、それも山の中で「魔導書狩り」に出会ってしまったのでしょうか?
あたしが背中の鞄を降ろそうとすると、ゼフィラが制しました。そして、向こうの4人にはギリギリ聞こえないくらいの声で話しかけてきます。
「おいおい、スピカ? まさか素直に魔導書を渡すつもりじゃないだろうな?」
「でっ…でも、あの人たちみんな刃物を持っています。とても危険です! 狙いがあたしの魔導書なら渡してしまった方が――」
「バカ言え。まもの相手にビビらないスピカが盗賊風情になに弱腰になってんだ?」
「正面の野郎ども以外に気配はねえ。敵は4人だな」
腕を怪我しているベラトリクスも戦う気でいるようです。
正面の4人組は、前に2人後ろに2人の隊列で武器を構えたままこちらを睨んでいます。いきなり襲ってくる感じではありません。
「――みんなよく聞いてくれ。こいつら少しばかり厄介な連中だ」
視線を正面に向けたまま、サイサリーが言いました。彼の言葉にベラトリクスが説明を求めます。
「後ろの2人、剣を持っているわりに構えが不自然だ。それにわずかだけど、呪文の気配を感じるだろう?」
サイサリーの言葉を聞いてハッとしました。たしかに精霊のざわめきを感じます。
「見かけは、刃物の使い手4人だけど……、実際は剣の使い手2人と魔法使いが2人、しっかり隊列を組んでるあたり、集団戦に慣れている連中だ」
「やるね、サイサリー。ついでにオレも気付いたけどさ、あいつらが着ている服、どう見ても防魔服だぜ?」
「防魔服」……、対魔法の防御に優れた特殊な生地で縫われた服のことです。あたしたちの通うセントラルの制服もこの生地でつくられています。
「てぇと、なんだ? こいつら、最初からオレたちを狙ってやって来たってことかよ? わざわざ山まで登ってご苦労なこったな」
「向こうが僕ら相手に対策済なら、一筋縄ではいかないかもね……」
「オレが前に出るよ、ベラトリクスは怪我してるけどいけるかい? スピカとサイサリーが後ろからの援護を頼む。前衛は任せな」
ゼフィラがベラトリクスの横に並んで立ち、あたしとサイサリーはその後ろに隠れるかたちとなりました。
「あっ…あたしが魔導書を――」
「「「いいか? 絶対に差し出すな」!」よ!」
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