第51話 影

 時間は午後3時を過ぎた頃、夜の営業に向けて仕込みにやってきたブルードはたくさんの来客に驚いていた。スガワラはこの空間に1人男性が増えたことに心底安堵しているようだった。


 センセが「今日はそろそろお開きにしようかしら?」とスピカに促したところで、酒場に集まった皆も一緒に解散の流れとなった。


 スピカとアトリアの2人はセントラルの学生寮に帰る。道中はアレンビーとパララが付き添ってくれるようだ。路面電車の時間に合わせてカレンも一緒に酒場を出ていった。――とはいえ、彼女はおそらく夜に再び現れるのだろうが。


 センセのみが遠方からここへ来ているらしく、近くの宿に部屋をとっているようだった。



 陽はかすかに陰っているがまだまだ外は明るい。センセを除いた5人の女性たちはその影を並べ、駅まで歩いて行った。その後ろ姿を見送るラナンキュラスとスガワラ、そしてセンセ。スガワラはセンセに頭を下げると、先に店内へと戻っていった。



 センセもラナンキュラスに一言挨拶をして宿屋への道を歩き始めた。だが、その背中にラナンキュラスは声をかける。地面にはひと際大きな影が伸びていた。


「間違っていたらごめんなさい。貴女あなたは『ユピトール卿』ではございませんか?」


 背を向けたまま立ち止まる「センセ」。3秒ほどの静寂のあと、彼女から独特の「くふくふ」といった笑い声が聞こえてくる。


「これはこれは……、まだ私の名前なんかを知っている魔法使いがいるとは。それもあの『ローゼンバーグ卿』から呼ばれるとは驚いた、驚いた」


 「ユピトール卿」と呼ばれた彼女は相変わらず、ラナンキュラスに背を向けたままで返事をするのだった。


「やはり……、お会いできて光栄です」


「こちらこそ、伝説の『ローゼンバーグ卿』にお会いできて光栄ですよ? 私の名前はあなたにすっかり上書きされてしまいましたから。くふくふくふ……」


「いいえ、ボクは――」

「それに」


 ラナンキュラスの話を遮るようにセンセは話を続ける。


「私はあなたほど優秀な魔法使いではありません。今はひっそりと……、魔法の手ほどきをしながら暮らしています」


「ボクは……、貴女をとても優秀な魔法使いだと思っています」


「くふくふくふ……、偶然とはいえお話できてよかったです。そして……、スピカとあなたが知り合えたことが私はなにより嬉しい。もしもあの子が、あなたを頼ることがあったら手を貸してあげてほしいのです」


 この問いかけにラナンキュラスは口元を大きく緩めて答えた。


「もちろんですよ? スピカさんも……、センセもボクの大事なお客様で、きっとですから」

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