◇間奏4
ラナンキュラスが営む酒場の入り口にスガワラは看板を取り付けていた。まだ陽は昇りきっておらず、朝の涼やかな風が流れている。脚立の上にいるスガワラを下からラナンキュラスが見上げていた。
「朝からごめんなさい。いきなりお仕事を押し付けてしまって……」
「いいえ! これくらいお安い御用です。今日も暑くなりそうですから、陽が昇る前に終わらせてしまいましょう!」
――数日前。
「酒場の名前、ですか?」
料理人ブルードの仕込みを手伝っていたスガワラにラナンキュラスが話しかけていた。
「ええ、実はこのお店……、長らく名前が無いんですよ」
ラナンキュラスの酒場は元々彼女の両親が経営していた。しかし、とある事件によって彼女の家族は命を落としてしまい、ラナンキュラスひとりが残されたのだ。
それからしばらくの間、ラナンキュラスは酒場を閉め、看板も下ろしていた。
彼女が改めて営業を始めたとき、以前の看板を掲げなかった。元々常連客ばかりで賑わっていたお店だったこともあり、店の名前がなくても特に不便を感じることはなかったようだ。
「近くに他の酒場もないしな! ここいらの人なら『ラナさんのお店』って言ったらみんなわかるんだよ」
ブルードはスープの入った大きな鍋に蓋をしてからそう言った。彼は額の汗を手で拭ってからスガワラの方に目をやる。
「最近はスガさんまで、『販売の伝道師』なんて呼ばれて有名になっちまってるしな、はっはっは!」
スガワラは、商品の販売に悩む人への相談やアドバイスを仕事としている。異世界にやってくる前は営業マンをしていたので、その経験をこちらの世界でもそのまま活かしているのだ。
「ずっと前はボクの親が付けた名前でやっていたのですが、心機一転の意味を込めて新しく名前を付けようと思うんです」
ラナンキュラスの親の事情を知っているスガワラは、あえて細かいところには触れずに彼女の話を聞いていた。ここ数日の短い期間に、ラナンキュラスにはいろいろと心境の変化があったようだ。
「とてもいいと思いますよ。――ところで、肝心なその『名前』は決まっているんですか?」
スガワラの問い掛けに、隣りにいたブルードもうんうんと頷ている。ラナンキュラスはそう聞かれるのを待っていたとばかりに、にこりと笑って見せた。
「もちろんです。ほんのちょっと前に決まった名前ですよ?」
そう言って彼女は、含みをもたせるように一呼吸置いてからその名を口にした。
「……幸福の花」
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